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自己否定にカギカッコをつける

 坂口恭平さんが書いた躁鬱大学の中に、「自己否定にはカギカッコをつけて小説にでもしてしまえ」というアドバイスがあった。私は今絶賛鬱期なのでやってみる。

 まず自己否定文だ。
このところ毎日何もしていない。バイトも休んだし、家にいて昼頃まで寝て、酷いときにはまた14時頃から17時頃まで寝る。生きている意味を感じない。そして夜眠れなくなり夜中の3時頃まで起きていてしまう。悪循環を断ち切れない。午前中は体が重くて起きる気にならないし何より起きてもしたいことがない。起きたところで嫌なことが頭の中をぐるぐるするのなら寝ていたほうがマシだ。そもそも働けない奴に価値なんかない。働かないくせに欲しいものは買うし食べたいものは食べる。お金だけは使う。死んでしまえばいいのに。死んでしまえば何も消費しない。無駄がない。少し何かしようかと思って、趣味程度でネイルやレジンの製作をしてもお金にならない。むしろお金がかかるだけだ。やらないほうがマシだ。そんなことをしているくらいなら働け。何故働けないんだ。役立たず。趣味の舞台観劇やライブ参戦も面倒が勝ってしまう。なんでこんなことになったんだ。純粋に楽しいこともできない。死んだほうがマシだ。

 カギカッコをつけて物語にしてみる
これを話しているのはメロディーといううさぎ、ということにしよう。合いの手を入れるのは私だ。

「このところ毎日何もしていない。」
『今日はお風呂掃除していたじゃない。自分で昼ごはんも用意して食べていたよ。』
「バイトも休んだし、家にいて昼頃まで寝て、酷いときにはまた14時頃から17時頃まで寝る。生きている意味を感じない。」
『寝たい時は寝たらいいじゃない。眠れるって良いことなのよ。それに今日は午後起きて活動していたわ』
それでもメロディーは続ける
「そして夜眠れなくなり夜中の3時頃まで起きていてしまう。悪循環を断ち切れない。」
『でもその時間に躁鬱大学を読んでいまnoteを書けてる』
「午前中は体が重くて起きる気にならないし何より起きてもしたいことがない。起きたところで嫌なことが頭の中をぐるぐるするのなら寝ていたほうがマシだ。」
『あなたが不調の時間帯なのかもしれないわ。無理してその時間に活動する必要はないのかも』
「そもそも働けない奴に価値なんかない。働かないくせに欲しいものは買うし食べたいものは食べる。お金だけは使う。死んでしまえばいい。」
『働かないことが悪なら、働かず年金で生活していたり、家族の扶養に入って家事をしている人は全て悪になってしまうわよ』
「死んでしまえば何も消費しない。無駄がない。」
『生きている時間が無駄に感じるなんてかなしいわ』
メロディーは思い出したように続ける。
「少し何かしようかと思って、趣味程度でネイルやレジンの製作をしてもお金にならない。むしろお金がかかるだけだ。やらないほうがマシだ。」
『あら、ネイルやレジンの製作なんてしているの?すごいじゃない。器用なのね』
「そんなことをしているくらいなら働け。何故働けないんだ。役立たず。」
『働くことがメロディーにとって大事なのね。それなら今できることでお金になることってあるかしら」
メロディーはそれには答えず、先程まで怒っているような口調だったが、急に涙を浮かべながら言った。
「趣味の舞台観劇やライブ参戦も面倒が勝ってしまう。なんでこんなことになったんだ。純粋に楽しいこともできない。死んだほうがマシだ。」
『趣味が楽しめないことはメロディーにとって悲しいことなのね。その悲しさが改善したら少し元気になれそう』

 やってみてわかったことを3つあげよう。
①どうしてもメロディーを他人と思えない
他人の心ではなく自分の心の声なのでメロディーが言ったことに共感しかできない。でも、できたことや客観的な捉え方の提案はできる。
②柔らかい部分前面に出過ぎ
「躁鬱人は柔らかい」と坂口さんは記していたがやはりそうだ。柔らかすぎる。メロディーにフィットしすぎ。
③実はやっていることでストレスになっていることがわかる
私の場合は集中できて嫌なことを考えないからという理由で始めたネイルやレジン製作が材料費などの面も加わって負担にもなってきていると再確認できた。浅瀬でチャプチャプ趣味を終わらせるのが苦手なので、もっともっとと探究心が芽生え色々なことに挑戦しよう、もしかしたらお金になるかもしれないなどと追い求めていたことがかえって裏目に出ているのかもしれない。元の目的である「ただ集中できるから」という気持ちを思い出そう。

 以上が私が私の自己否定を戯曲化してみた結果だ。坂口さんが言っている鬱を抜けるための方法だが、私には合っているのだろうか。まあ、ひとつnoteが書けたので自分を良しとしてあげよう。



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