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躁鬱大学を読んで

 坂口恭平さんの躁鬱大学という本を読み終えたので感想と、私の躁の時、鬱の時の様子を書いていこうと思う。

 まず、躁鬱病を「躁鬱人」と定義していた坂口さんは、躁鬱人にとって生きやすい世界を模索してくれていた。神田橋語録を柱として大学のような講義形式での著作。とても読みやすかった。

 坂口さんは躁の時、

  • 発想が溢れて止まらず誰にでも電話をかけまくる

  • 知らない人や店員さんに話しかけてしまう

  • 自分は世界一素晴らしい人間になったような気分になる

と述べていた。私はそこまでではない。私は躁の時、

  • 散財する

  • 遊びに行こうと人を誘いがちになる

  • バーに行ったときにそこに居合わせた初対面の人と話したくなる

あれ?非躁鬱人からしてみたら似たようなもんだって?そうかもしれない。でも私としては「坂口さんほどじゃないよ!」と思うのだ。

 鬱の時、坂口さんは

  • 布団に24時間こもる

  • 誰とも会いたくなくなる

  • 死にたいと思う

私は、

  • 布団に14時間くらいこもる

  • 誰とも会いたくないし話したくないでも母とは話さないといけない物理的に

  • 生きていても仕方ないと思う、死にたくなる

  • 楽しいことも楽しいと感じられなくなる

  • 億劫で外に出られなくなる

  • 食べたくなくなる

鬱の時の症状はとても似ていた。(ただいま鬱なので鬱の症状のほうが沢山書くことができる)

坂口さんは「鬱の時にでも会える人を作れ」と言った。
また、「躁の時に意見をぶつけられる人(急に電話は迷惑なのでメールなどで)を作れ」と言った。そんな人できるだろうか。どうやって理解してもらうのだろうか。家族ですら理解できないものを。そこが一番の難関だなと読んでいて感じた。

 あと、「窮屈なことはしない」これは神田橋語録でも言われていることだが、鬱になると多くの事柄が窮屈だ。ほとんど窮屈。バイトも、家事も、犬のお世話も、楽しんで通っていたライブや舞台までもが窮屈になるのだから。その場合どうしたら良いのだろうか。ただ布団の中で鬱が過ぎるのを待つのか。いや、今回の鬱はもう1カ月以上経とうとしている。その間ずっと布団なんて、最も経済的に無茶な話だ。まったく、いつ明けるんだこの鬱は。

 noteは書けるんだって思った方もいるでしょう。これが不思議と今の気持ちを吐き出したくなるので書けるんですよね。noteが使いやすいっていうのもありますよね。

 躁になるもの怖いし、鬱が明けないのも怖い。なんとも生きにくい病気だね。あ、病気じゃなくてそういう特性、か。でも、私は治りたいです。躁鬱大学を読んで「自分の特性に寄り添って躁鬱人として幸せになろう」と言われても、非躁鬱人になりたい。治りたいです。

 いっそのこと私も「鬱になったら働けません」と職場に言って働いたら楽になるかしら。それでも休んだ時の罪悪感がまた鬱を深くしてしまうんだろうけど。罪悪感ってどうしたら消えるんでしょうね。自分の中で折り合いをつける練習が私にはもっと必要だなって思いました。

 今日は以上です。次はゆっくりと「坂口恭平 躁鬱日記」を読み始める予定。

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