昭和の暮らし:(13)近所のお店

幼稚園の頃、買い物に連れて行かれたときのことや、昭和のお店のことを書いてみる。

昭和40年代は、お店が小売店として独立していて、チェーンとかスーパーなどもなかった。近所には、床屋さん、薬屋さん、本屋さん、文房具屋さん、化粧品やさんなど、歩いていける範囲にいろいろなお店があった。

小売店がひとつの建物に集まっている「市場」とか「センター」とか呼ばれるところもあった。よく行っていたのは、S市場、Fセンターなどだった。

S市場は、入り口の右手にお肉屋さんがあってショーケースにお肉が入っている。肉を100グラム単位で買うと、白いワックスペーパーで包んで、さらに緑色の薄い包み紙で包んて輪ゴムで止めてくれた。それを母が自分の買い物かごに入れる。その店でコロッケを買ってもらうこともあった。コロッケは私のかごに入れる。私のかごは緑色のミニチュアバージョンで、買い物には必ず持って行っていた。妹のピンク色のかごもあった。
左手にはパン屋さんがあった。パンやお菓子を売っている。そこで何斤かパンを買って、おにぎりせんべいなども買って、それは包装されているので母はそのままかごに入れる。日曜には父が家にいる日なので、一緒にアイスを家族分買いにいくこともあった。
その奥にお好み焼きを焼いてくれるお店があった。店内で飲食できるようになっていた。母が買い物をしている間に、私はそこで、ひとりでお好み焼きを食べて待つということもあった。
その奥には、元気な奥さんがいる魚やさんがあった。その店とは別に「乾物や」と母が呼ぶ店が反対側の通路のところにあった。乾物のことはお菓子とくらべて子どもの記憶には残っていない。

Fセンターの方には、入り口の前にアイスクリームのケースがあって、ホームランアイスを買ったりした。入り口の最初のお店はお菓子屋さんで、飲料もあった。ペプシやサイダーの箱がたくさん店先に置いてあった。そこでチューインガムを買ってもらった。板ガムの形の長細いおまけのシールが入っているのだ。表面に凹凸があって見る角度によって絵が変わる。赤いスポーツカーとか宇宙船とか、男の子用の絵柄だったけれど嬉しかった。
奥の方までいろいろなお店があったけれど、あまり覚えていない。

小学2年か3年生ぐらいになると、そういう風情も変化し、スーパーマーケットができはじめた。S市場が閉店するときのことは覚えている。名残惜しかった。その建物はスーパーになり、買い物はしやすくなった。Fセンターは閉店は遅かったけれど、中の小売り店が少しずつ減って、買い物に行くことも減った。

その頃には、別の近所にスーパーがいくつかできたし、バスで3区ぐらいのところにジャスコもできた。市場の思い出はかなり幼少期のことなのだ。

文房具屋さんにはファンシーな商品もあって、友達の誕生日にプレゼントを買うお店だった。お店のおばさんは少し噂話の好きな人で、なんとなく苦手だった。
本屋さんは好きだった。家族経営で、変な話をしてこない。その本屋さんで本をたくさん買ってもらった。高学年になっても、夕方何もすることがないときは、家族でその本屋さんへ行っていろんな本の背表紙を見たり、いいのがあれば買ったりもした。文具なんかも売っていたので買ったようなきがする。

その向かいには床屋さんがあった。子どものころはそこで「ケンちゃんチャコちゃん」(自動ドラマシリーズ)のチャコちゃんの髪型にされていた。「ケーキ屋けんちゃん」ぐらいしか覚えていないし、それほど夢中になれるドラマではなかった。母が髪型は「チャコちゃん」と決めていたので、不満はあっても長らくチャコちゃんカットにされていた。

薬屋さんには白衣の男性がいて、薬を出してくれていた。その薬剤師さんは子どもと直接しゃべろうとはしなかった。母とその人が話すのを聞くのに飽きて、店頭の薬局キャラ(コーワのカエルやサトウのゾウ、エスエス製薬のうさぎなど)を見ていた。よく風邪を引いて鼻水や咳が治らないままの私に、ブロン咳止めシロップを出してくれた。シロップ薬は子どもは好きだ。それ以外の薬のことは覚えていないが、家の薬箱にあったムヒとか赤チンは、その薬局で買ったはずだ。