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20歳のニース それでも恋するバルセロナとレーザーバージンな部分

齢30にもなると、全身どこにもレーザーを当てたことがないレーザーバージンの女なんて知り合いにいない。みんなどこかしらにレーザーを当てていて、それはフォトフェイシャルだったり、タトゥー除去だったりするけれど、大抵脱毛ってことになる。今や電車広告の半分は脱毛で埋め尽くされて(体感)、気が重い出社時に「お前ちゃんと毛処理してんの、やらないとか人間としてどうなの」なんてメッセージは、いくら清純派で売ってるモデルが微笑んでいても、自分でキレイを選び取っているように見えたとしても、実際は画一的な美の押し付けでしかないのでご勘弁願いたい。とか言いながら、ネットサーフィンしてれば勿論の広告で追い続けられているので、結局は検索もするし出て来た広告を一度クリックしちゃった方の人間なわけである。そんな自分自身を、左ふくらはぎにうっすらと残るやけどあとを見ながら憂う。そのやけどあとはオリンピックを前に立退きを余儀なくされた下町の横丁を更地にし、背の高い雑草がそよそよと風になびいているかのようだ。そんな光景、実際東京には存在しないわけだけど、無毛地帯の中、うっすらと残るやけどあとには、長い毛がたくさん揺れている。

ニースは治安が悪いという以外特筆点のないフランスの港町である。フランスとスペインに1ヶ月旅行しようと、のちに失踪事件を起こして世界の話題をかっさらったマレーシア航空でヨーロッパ大陸へ初上陸した。10年も前のことになる。成田空港で買ったフィガロに載っていた「リル・シュル・ラ・ソルグ」という、ありったけのクリエイティビティを総動員してもフランス人に伝わらない発音の街で、バケーションシーズンの物価に驚き、ソーセージを出来る限り薄く切ったものと、ホテルの朝食用のパンを盗んで飢えを凌ぎながら、このままでは宿泊費だけで破産し不法滞在者になってしまうのではと考えた末、シャルル・ド・ゴール空港からパリ行きのバスで日本語で話しかけてきた男の名刺を思い出し、書いてあったメールアドレスにサイバーカフェ(時代である。)からメールした。結局日本語は挨拶くらいしか出来なかったその男は、パリからリヨンまでのTGVの買い方を教えてくれ、半ば期待していた、フランス人に口説かれるといったイベントもなく、「ニースに来ることがあれば部屋泊まっていいよ」と名刺を渡してくれたのだった。その言葉を愚直に信じ、ニースまでノコノコ馳せ参じたわけだ。

そのニース男は簡単に私を泊めてくれ、見返りは何も求めなかったというか私自身に大して期待していなかったんだろう。フランス語はボンジュールしか話せないのと、バゲッドよりケバブの方が安くて美味いニースの街ではパリジェンヌ気取りは出来なかったのだが(そもそもパリではない)、ニース男のアパートを拠点にモナコやエズといった風光明媚な街や美術館を巡り、愉快に過ごした。

途中、ニース男の元妻という日本人の女が加わり、1週間ほどそれでも恋するバルセロナのような奇妙な共同生活となった。女は離婚後も度々泊まりに来ているようで、ディオール・ランコム・クラランスといったおフランスの美容液やクリームが我が物顔でアパートの洗面台を占拠していた。人当たりはいいけれど皮肉屋な所のある魅力的なひとで、ちょっと遠くまで出かける際に運転してくれたり、ランチをおごってくれたりしたが、彼女の留守中に高い美容液をかかとや肘に塗りこんだのは言うまでもない。「今は別の男と住んでいる」と話す女は、ランチの後はその男と待ち合わせている様子で、ニース男の「いつもアパートに泊まるときは同じベッドに入って来るし、彼女はまだ自分のことが好き」との証言とはどうも食い違っているように感じられたが、タダでヌテラ食べ放題、高いクリームまで肘に塗れる、セミダブルベッドの部屋が手に入ったのだから、詮索すべきでない。いちど、地元の観光名所である要塞の頂上までニース男がバイクで乗せて行ってくれたのだが、ショートパンツからむき出しになったふくらはぎを、灼熱のマフラーで焼いてしまった。

今年30になる人生の中で、もっとも深い傷となったこのやけどの箇所とVIOだけが、計11回サロン脱毛を受け続けた私の体にあって、唯一レーザーを浴びていない、レーザーバージンな箇所と言うことになる。かなり広範囲に渡るひどいやけどだったので、サロンでは何も言わずともその部分を避けて施術してくれた。しかし10年も経てば皮膚の再生も進む。やけどあとが薄くなるのと反比例して、代わりに太く長い毛がどんどん密生するようになった。たまに少し毛をなぞってみたりして、その夏を思う。

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