madonnalily1031

madonnalily1031

最近の記事

お題頂戴エッセイ⑩ 線香花火

8月のある夕方、まだ明るい時間に帰宅したときのこと。 マンションの前のガレージで、小学生の女の子が、 おとうさんおかあさんと手花火で遊んでいた。 横にバケツを置いて。 弾ける音と、煙と、匂い。 花火とあたりとのコントラストはまだ淡くて、それが微笑ましかった。 暗くなるのが待てない。 わたしのこどもたちもそうだった。 ママもういいよね、もう花火やってもいいよね。 まだ明るいんじゃないの、と答えても、 またすぐに、もういいでしょ、といってくるのだ。 根負けし

    • お題頂戴エッセイ大喜利⑨ 想像力について

      自分の想像力について、初めて自覚したのは11歳。 なにげなく見ていた教育テレビの通信高校講座の現代国語で 志賀直哉の「網走まで」の朗読を聴いたときだった。 冒頭の上野駅の改札の描写。 大きな荷物を口を曲げてひっぱる人がいる、という一節で、見たこともない、 まして遠い時の向こうの上野駅のイメージが内側から立ち上がった。 自分もそこにいた。乗客の一人になって、 主人公の後ろから改札を通っていくところだった。 言葉による描写の力は、読む者の想像力を呼び覚まし、強化す

      • お題頂戴エッセイ大喜利⑧ 神様の恩寵や計らいの不思議について

        21歳のとき、わたしは立川談志師匠にファンレターを書いた。 すぐにお返事をくださり、末広亭の楽屋でお目にかかることに。 それからずっとかわいがってくださった。   母は、わたしが赤ん坊のとき、 大井町のグランドキャバレーで社交ダンサーとして働いていた。 あるとき、そのキャバレーに人気の二つ目・柳家小ゑん、 後の談志師匠が漫談を聴かせにきた。 トイレから出てきた小ゑんちゃんに母がおしぼりを差し出すと、 彼は照れて「俺にはそんなことしなくていいんだよ」といったそ

        • お題頂戴エッセイ大喜利⑧ FB友達について

          息子が歩くようになって、最初のうちはわたしも近所の公園に連れていった。 まずはお砂場。 他の子と当然、おもちゃの取り合いになる。 その子たちのおかあさんはいう。 「おともだちに貸してあげなさい」 「おともだちと仲よくね」 おともだち、とわたしは心のなかで繰り返す。 いま会ったばかりなのに。 そのうち息子がその子の顔のまんなかをぎゅーっと握ってしまったりする。 居たたまれなくて、公園にはいかなくなった。 息子は電車が好きだったので、電車を見せたり乗せたりして

        お題頂戴エッセイ⑩ 線香花火

          お題頂戴エッセイ大喜利 ⑦寂しさの力

          一日に少なくとも一度は、外でお茶を飲む。 理由は、知らない人の顔を見たいから。 知らない人の顔を見ないで一日を終えると、寂しいからだ。 いま住んでいる国立から中央線で、 たとえば四ッ谷までいって丸ノ内線に乗り換える。 さらに赤坂見附で銀座線に乗り換えて銀座へ。 赤坂見附あたりから、ファミリアな感じがどんどん押し寄せてきて、 銀座の空を見あげる瞬間にはすっかりアイムホームなのだ。 品川の実家にいた娘時代、家にいるのに「帰りたいなあと」といつも思っていた。 それ

          お題頂戴エッセイ大喜利 ⑦寂しさの力

          お題頂戴エッセイ大喜利⑥ 「美意識」

          わたしが思う「美意識」とは「かっこわるいことをしないこと」。 かっこいいことをするのはさほど難しくないし、意識もとりたてて必要としない。 かっこいいことは万人受けするものだし、 受けなければかっこいいと思ってもらえない。 だから、かっこいいことはポピュラーだ。その形を踏襲すればいい。 いっぽう、かっこわるいことをしないためには、まず我慢しなければならない。 かっこわるいことというのは、たいてい、我慢のなさから生まれる。 人は、ほうっておいたらかっこわるくなるもの

          お題頂戴エッセイ大喜利⑥ 「美意識」

          お題頂戴エッセイ大喜利⑤ サクマのドロップス

          サクマドロップス、あるいはサクマ式ドロップス。 会社が異なるらしい。 わたしの記憶のなかでは深緑色の缶に入っている。 それはサクマドロップスのほうらしい。 いちばん好きなのから順に、オレンジ、レモン、グレープ、 いちご、メロン、はっか。 てのひらに二つか三つ出して、好きな色のを口に入れて、あとは戻す。 好きな色は戻して第二希望を食べるときもあった。 それでもいつかはメロンとはっかばかりになってしまう。 いやいや食べるメロンは、やっぱり好きじゃない味。 口を

          お題頂戴エッセイ大喜利⑤ サクマのドロップス

          お題頂戴エッセイ大喜利④ さくる流SNSとのつきあいかた

          Facebookでアカウントを持って6年あまり。 おおむね楽しんできたが、未然に防げたらよかったなと思うこともいくつかあった。 じつをいえば、羽生さくるのアカウントは昨年の始めに一度取り直している。 本名と二本立てにして、仕事とプライベートを分けたのだ。 さくるは仕事で知り合った人、本名は中学高校の同級生や私的につきあいのある人、 というくくりで、一部重なる人たちもいる。 投稿する内容は、さくるではライティングコンサルについて知らせたいことや、 一般に公開できる

          お題頂戴エッセイ大喜利④ さくる流SNSとのつきあいかた

          お題頂戴エッセイ大喜利③ 「死ねばいいのに」

          わたしは一人っ子だから、きょうだい喧嘩はしたくてもできなかった。 ともだちとは喧嘩したら終わりだと思っていた。 きょうだい喧嘩の経験がないから、 喧嘩しても仲直りができるということを知らなかったのだ。 「おねえちゃんなんて、しんじゃえ」 漫画やドラマでこんな台詞が出てくると、どきどきした。 ほんとにしんじゃったらどうするんだろう、と思って。 人はときに心にもないことをいうものだとは知らなかった。 それはいまでも変わっていない。 自分はただいいたいだけで言葉を

          お題頂戴エッセイ大喜利③ 「死ねばいいのに」

          お題頂戴エッセイ大喜利② 「わたしはここまでどのように神様に導かれてきたか」

          「お祈りします」 新入生への言葉の最後に院長先生がおっしゃると、 上級生たちが一斉に膝の上で指を組み、目をつむって顎を引いた。 わたしはあわてて真似をした。 ミッションスクールの入学式。 講堂いっぱいの生徒750人と壇上の先生方がともに祈る。 それから6年間、わたしたちは毎朝この時間を持つことになる。 いまでも「お祈りします」という声が聞こえたら、反射的にその構えになるのだ。 身についた自然な動作が誇らしくもある。 そのように「祈り」を経験してきた者として「

          お題頂戴エッセイ大喜利② 「わたしはここまでどのように神様に導かれてきたか」

          お題頂戴エッセイ① 「だから夢中なの、韓国宮廷ドラマ!」

          (註:このお題は「だから夢中なの、◯◯!」で頂きました。当時連日見続けていた「韓国宮廷ドラマ」を代入して、このタイトルとなった次第) 25年間のビデオレンタル歴のなかで、わたしが一度も手をつけたことがないジャンル。 それは韓流だった。 ところがこの夏、わたしは韓国宮廷ドラマに釘付けになっている。 きっかけはある方とのチャットだった。 ヨーロッパの修道院の話から韓国の宮廷女官の世界に飛んだ。 ぴんとくるものを感じ、すぐにAmazonプライムにつないで最初に出てきたの

          お題頂戴エッセイ① 「だから夢中なの、韓国宮廷ドラマ!」

          お題頂戴エッセイについて

          (2017年の夏、Fecebookのお友達にお題を頂戴し、それぞれについて800文字のエッセイを書きました。その後ブログに載せたものを再録します。) 田舎や郷里を持たない東京者だし、会社勤めもしたことがないし、 お盆やお盆休みと無縁に生きてきた。 今年のお盆もとくにいくところはなく、誰かがくるわけでもない。 といって、なんにもしないで終わっちゃうのはつまらないなあ、と思って、 以前から考えていた「お題頂戴エッセイ」を挑戦することにした。 これまでの経験で、エッセイ

          お題頂戴エッセイについて

          のりこちゃんとパパ②

          これはすべて母から聞いた話。 わたしとのりこちゃんがまだおむつをしていた頃のこと。 二人はしゃべることもまだあまりできなかったはずなのに、ある日、公園にいこうと相談をまとめた。 それも二人だけでいまからすぐ。 わたしたちは手をつなぎ、公園への道を歩きはじめた。 一本道だったらしい。 母とのりこちゃんのおかあさんはすぐにわたしたちがいなくなったことに気づいた。 物干し場にもアパートの前にもいない。 まさかと思いつつ、公園へ向かう道に目をやると、遠ざかっていく二人

          のりこちゃんとパパ②

          のりこちゃんとパパ①

          清和荘の一階に同い年ののりこちゃんというともだちがいた。 のりこちゃんも一人っ子で、おとうさんとおかあさんと暮らしていた。 今回の話は、半分くらいは母から聞いたものである。 おとうさんはテキ屋だったそうだ。 がっしりした体つきで、元気がよかった。 手にはいつも白いゴムボールを持っていて、それをちぎっては口に入れて噛んでいた。 チューインガムみたいなものだったのかも知れないが、ゴム臭くないのかな、とわたしは思った。 わたしはその頃髪を伸ばしていて、母が毎朝ポニーテ

          のりこちゃんとパパ①

          トウモロコシの別れ③

          彼女と会えないまま、引越しは一週間後に迫った。 なにも知らない彼女は、いつものようにわたしの部屋にやってきた。 わたしは、アパートの裏にある物干し場に彼女を誘った。 晩夏の日に温められた板塀に背中をつけて二人並ぶ。 彼女は茹でたトウモロコシを持っていた。 「たべる」 「うん」 トウモロコシやサツマイモ。 おかあさんが持たせるおやつを、いつもわたしに分けてくれていた。 指先で器用にトウモロコシの粒をぽろぽろ外す。 「て、だして」 手のひらに、五つ六つ落ちて

          トウモロコシの別れ③

          トウモロコシの別れ②

          4歳の夏を迎えるころ、両親は、わたしを幼稚園に入れることを考えはじめた。 小学校に上がる前に1年でも通ったほうがいいのではないかと、知人にアドバイスされたらしい。 立会川のアパートの近くには幼稚園はなかった。 母は、立会川の前に住んでいた北品川の友人に相談をした。 友人は、北品川の商店街に近い、ある幼稚園を薦めた。 母娘で経営している園で、歴史があり、評判もいいと。 じゃ、引越しもしなくちゃ。 母と友人はすぐにアパートを探しはじめた。 そのときのことはかすかに

          トウモロコシの別れ②