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ファッションとスタイル


スーパーが好きだ。
色んなものが綺麗に陳列されている。

惣菜のコーナーが好きだ。
特に買うものがなくても、割引シールが貼られていないか必ず見てしまう。

鮮魚コーナーが好きだ。
生きている魚が泳ぐ水槽があったら、なお良い。

納豆コーナーが好きだ。
個人的ブームが来たら、全種類試して好みを見つけたい。

ウインナーコーナーが好きだ。
『薫燻』ってやつが特にお気に入り。

お菓子コーナーが好きだ。
小さい子と並んでおやつを選ぶのは楽しい。

アイスコーナーが好きだ。
箱で買って一人で食べてしまうのは、贅沢なひととき。

和菓子コーナーが好きだ。
妙に歯応えの良い団子は、お茶と共にほっこりしたい。

冷凍食品コーナーが好きだ。
日本の食品企業の努力が垣間見える。





服が好きで、服を着ることが好きで、
そうやって過ごしていると嫌でも思うことがある。




「ファッションってなに。」




ファッションは自由。とか。
それもファッションだよね。とか。
ファッションしてるね。とか。

ファッションって使っとけば良いみたいな空気感。
雑誌。テレビ。ユーチューブ。
いろんな媒体でいろんな人が使う言葉に対する違和感。

あなたの言うファッションって、
ヤバイとか
エグイとか
目の前に起きている物事に対して、
的確な感情表現を吟味せずに
一言で表せてしまう便利な表現と同じですよ。

まあ、かく言う自分も
「えんぐすんぎ」
って最近使うことが多いですけども。

そもそも、ダサイとかオシャレとかも
なんとなく使ってるだけでしょ。
その人の主観で、その人の感覚で、
その人の経験から弾き出されただけの。

結局、気分の問題のようである。俺たちは雰囲気で洋服をやっている。

sushiのB面コラム

この言葉好きだなぁ。
今のファッションってこういうことよね。


少なくとも自分はアパレル業界側の人間で、
服好きの一人で、
服に関わるいろんな表現に触れる機会が多いけれども、

「ファッション=身に付ける物(服、帽子、靴、アクセサリー、化粧、etc.)」
という前提は、業界に限らず一般的に受け入れられていると思う。

でも、それは半分正解みたいなもんで、
本当は「ファッション=現象」で、
「洋服に関わる物事にファッションという現象が多く見られる」
っていうだけの話。

映画、音楽、建築、食べ物、写真、乗り物、
その他ほとんどのもので「ファッション」という現象が見られるのであって、
ただ洋服に関して顕著に「ファッション」という現象が見られるというだけ。

だって、人間なら皆、服着るじゃん。
映画を年に何十本も見るやつも、
出勤時はいつも音楽聞くやつも、
写真撮るのが趣味でカメラぶら下げてるやつも、
全員服着るでしょ。


そして、一番大事なことは、
「ファッション=現象」が変化を前提としている
ってこと。

わかりやすい例は、流行。

この服が流行って、その反動であの服が流行って、
その次はこんな服が、、、

流行の服は次々に変化していて、
でも、タピオカやAdoみたいに、
食べ物や音楽にも流行がある。

つまり、流行は「変化する現象」で「ファッション」。

大きく言えば、変化するものは全て「ファッション」なんだ。




一方で、自分がここ数年で一番違和感を感じる言葉がある。

それが、スタイル

偏見やけど、
スタイルって言葉を深く考えずに使うやつは、
「雪見だいふくって和菓子やよな。」
って話題振っても、
「いや、雪見だいふくはアイスやろ。」
ってマジレスしてくると思う。
少なくとも、「いや、雪見だいふくは洋菓子やろ」
って返してこいよ。


ファッションと同じように、
洋服に関して一般的に思い浮かべられるスタイルって、
ノームコアとかテックとか
服装の細分化されたジャンルを意味する気がする。多分。

でも、ファッションと違うのは、
「この人ってこういうスタイルやよね。」
っていう時、
服装だけじゃなくて、生活全般も指すことが多いと思う。

街中でボーダーのTシャツにリジッドのデニム履いて、
足元コンバースとかの人見たら、
家具とか木製で朝には白湯とか飲む無印良品好きな人っぽいやん。


スタイルって言葉がなんでこんな使われ方するのか考えてみたら、
多分、スタイルは「ファッション」ではないからかな、と思う。

もっと言うと、スタイルは「変化しない(変化しにくい)もの」だから
じゃないかな。


「あの人はスタイルを持ってる」って言う時、
その「あの人」は決まったルールで決まった服装をしてるはず。

「あの人」がスケーターなら、転けても気にしなくていい服装だろうし、
「あの人」が美容師なら、髪の毛がついても目立たない濃色の服装だろうし、
「あの人」がオードリー春日なら、半袖白シャツにピンクベストだろう。

そう考えたら、春日からピンクベスト取ったら、ザキヤマになるね。


つまり、洋服に関するスタイルっていうのは、
「ある一定の縛りの中で限られた服装をすること」
なのではないかな。

職業とか、思想とか、
様々な環境が要因となって、
服装に偏りが出てしまうんだと思う。

ミニマリストを主張してる人で
派手な色物を着てる人っておらんやん。

そういう人って、大体同じような格好をしがちよね。

そして、自分がファッション側の人間だからこそ、
「スタイルを持っている=格好良い」
と思ってる人に対して違和感を持つんだと思う。

だって、自分は毎日服装を変えたい人間だから。
同じ服の組み合わせはできるだけ避けたい人間だから。

自ら、ましてや服が好きだと主張している人間が、
アパレルの業界に関わる人間が、
いつも同じような格好をすることを望むなんて、
矛盾しすぎていると思う。

あと、スタイルスタイルってうるさいやつは、
自分が何者でもない不安定な人間やから、
表面上のうっすい安定を求めてるんやとも思う。


それでも、「スタイルを持っている=格好良い」という感覚は
やっぱりわかってしまうわけで。

自分が長谷川昭雄や在原みゆ紀、
最近は横ノリのスケーターを好きな理由も、
やっぱりその人たちのスタイルが格好良いと思うからなわけで。


だからこそ、ファッション側の人間として、
両方の目を持っていたい。

スタイルを持っていることの格好良さに憧れを持ちながら、
スタイルを持たないことの格好よさも主張したい。


まあ、結局そのうち、
憧れのスタイルも変化して、
バッチバチのスーツスタイルに憧れたりもするんやろなぁ。





ゆらりゆらりと漂うクラゲのように、
ひらりひらりと散る儚い桜のように、
気分に身を任せながら洋服を着ていきましょう。





だって、俺たちは雰囲気で洋服をやっているんですから。





ほな。



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