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我がルーツは、FMJAGA「らじおPUNK!」にあり。

どうも、ゆるラクゴプロデューサーのイエモトです。
毎週ゆるい落語みたいなショートストーリーを作るPodcast番組を配信しています。

昨日のnoteに書いたしゃべり足りない部のまいこうさんがゲストでいらっしゃった回などよろしければ聴いてみて下さい!

最近、たまーにかるーく冷やかしみたいに転職活動をしてみたりする過程で、ふと自分の人生を内省することがあります。主に履歴書とか職務経歴書からはみ出たパーソナルな部分について、フワーッ思い出しては小一時間経ってたりとか。黒歴史も含めて。というか主に黒歴史メインか。

今の自分を形づくる上で、最も影響を受けたものをひとつだけ挙げるとすると何かとか、考え出すと止まらないですよね。

ちなみに、私の場合はたぶん「ラジオ」です。

中高生の頃は、家にいるときはもうずーっと聴いてました。いや、浪人時代とか大学時代も聴いてたかな。というか、減ったとはいえ今も聴く方か。なんならPodcast始めてるし。
とまぁ、そんな感じで、中2くらいから私の人生にはずーっとラジオがありました。

ラジオを聴くようになったきっかけは、中学の友達から「らじおPUNK!」というラジオ番組を教えてもらってからでした。

らじおPUNK!~Positive × Unique NetworK all friends night~は、北海道帯広市にあるコミュニティFMラジオ局、FM-JAGAが、2001年4月~2013年3月まで放送していた自社制作ワイド番組。

http://ja.yourpedia.org/wiki/らじおPUNK!

確か月曜から金曜の21時〜24時(聴いていた当時)に放送していたはず。コミュニティFMとは思えないほど気合の入った番組作りで、当時の帯広のティーンはスクールオブロックよりこっちをよく聴いてたんじゃないのか?というほど大人気のワイド番組でした。
ちなみにFMJAGA自体は、今も元気に自社制作番組を作り続けています。

なんと言ってもFMJAGAの母体は、あの十勝毎日新聞社ですからね。十勝毎日新聞、通称「勝毎」は、帯広市内の新聞のシェア約7割だそうです。うちは北海道新聞(道新)でしたが。帯広の花火大会も、大きいのが「勝毎」主催と「道新」主催とありましたが、規模的にも人気的にも「勝毎」に軍配が上がっていました。うちは道新でしたが。

参考データ
https://www.tokachi.co.jp/ad/kadwp/wp-content/uploads/2023/11/tokachimainichi-mediadata-2023.pdf

そんな十勝毎日新聞社が母体のコミュニティFM局であるFMJAGAが地元のティーン向けにゴリゴリに力を入れていたワイド番組が「らじおPUNK!」なのです。

番組の内容は、男女二人のパーソナリティが、毎日違うテーマに沿ったフリートークや、曜日別のコーナー、メッセージ紹介をしたりするという、至ってスタンダードなもの。
ただ、このパーソナリティ二人のトークがとにかく面白かった。コーナーもAMの深夜ラジオからそのまま持ってきたような(というか丸パクリも多かった)攻めたものが多かった記憶があります。
パーソナリティの女性の方はコロコロ変わっていたのですが、男性の方の「福嶋裕介」さんは、番組終了までずーっと変わらず出演し続けていました。この裕介さんがブレーンで番組構成等をすべて決めていたこともあり、相方が変わっても番組のクオリティが担保されていたのでしょう。

かく言う私も、裕介さんに死ぬほど影響を受けました。彼は私のルーツみたいな存在です。
そもそもAMの深夜ラジオを聴き始めたのも、裕介さんが伊集院光さんのJUNKが好きだと言っていたからだし、ラーメンズも同じ理由で知ってハマりました。高校でハンドボール部に入ったのすらも、裕介さんが畜大のハンドボール部だったからで、、うわー、今思い返してみるとなんか気持ち悪いですね。
裕介さんは、当時30代半ばくらいだったんでしょうか。今の私くらいですかね?いや、もうちょい若かったのかな?とにかく、私にとっては「近所の憧れの兄貴的な存在」でした。

地元のコミュニティFMの良いところは、リスナーとの近さですが「らじおPUNK!」も例外でなく、物凄くリスナーとの距離が近かったのを覚えています。リスナーからのメッセージをフレンドリーだけど大切に読んでくれるし、面白かったら本当に楽しそうに笑ってくれる。お悩みなんかも真剣に悩んでくれる。友達にメールをしてるような、そんな感覚に陥るくらいの近さを感じさせてくれました。
そして、さらにすごいのは、番組内でその日のテーマに対するメッセージは基本全部紹介していたところ。たぶん何十どころか何百と来ていた日もあるのではと思うのですが、とにかく全部紹介していたと記憶しています。たぶん選別もせず、どんなメッセージもちゃんと読んでいました。コーナーとかもやりながら。今思うとどうやってたんでしょうね?

ちなみに、私もメッセージをよく送っていました。ラジオネームは「楽太朗」と名乗っていた気がします。たぶん伊集院光さんの落語家時代の師匠が三遊亭楽太郎(圓楽)さんだったからそこから取った気がします。ラジオなのに「朗」の字にこだわっているのがポイントです。そこからも当時の私のボケのスタイルが窺い知れますね。まぁ全盛のラーメンズ被れの時期は誰しもそんな感じになりますよね。
毎週金曜日に「らじ-1グランプリ」というリスナー参加型の大喜利コーナーがあったのですが、何回か最優秀ボケに選ばれたら、年末のグランドチャンピオン大会に参加できるみたいな感じだったと思うのですが、楽太朗も出ています。グランドチャンピオン大会。それが人生一番の誇りですわ。
あと、一年後の自分に向けたメッセージを実際に一年後に読んでみよう!みたいな、タイムカプセル的な企画がありました。一年前に「電話OK」でメッセージを送ったリスナーには、番組から電話がかかってきてその一年前のメッセージを読み上げられるのですが、楽太朗はそれも2回くらい出演していたのを思い出しました。クソほど緊張したのを覚えています。ぜったいその録音とか発掘されるな。

思い出したらもうどんどんいろんなことが思い起こされます。
私の理想とするラジオ番組は、紛れもなく「らじおPUNK」ですし、今も「福嶋裕介」になりたいと思って喋り続けています。
もうちょい聴いている人と近くならなきゃなぁと反省をしたりしつつ、初心を忘れることなく、これからもPodcastをつくっていけたらなぁと朧げながら思いを新たにするのでした。

今度実家に帰ったら、MDでも探してみようかしら。

では、また。

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