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形骸化

正しく読み解くならば、

 設立当時の意義や内容そのものに問題があるのではなく、
 運用や利用を経て、使っている者たちが、意義や内容に重きを置かず、
 その目的や価値を喪失させてしまっている状態

を『形骸化する』と言うのだと思います。あくまでも、形骸化は勝手にしてしまうものなどではなく、常に運用者や利用者の側によって人為的に「させている」ものなのです。そう、人災で起こるものです。

もちろん、誕生させた後、ブラッシュアップ(改善)もせずに、時代や市場、状況などと折り合いがつかないまま放置しておいても、形骸化することには変わりありません。

しかし、そうなるまでには少なくとも、形骸化しなかった時期や時代があって、その後、形骸化するきっかけができて初めて誕生/設立当時の意義が形骸化したと言えるのでしょう。

通常、誕生/設立させたにもかかわらず、正しく運用された時期/時代もないまま形骸化するのは、いつの時代も常に運用者、利用者の意識の低さや姿勢の悪さによって、正しく運用および利用しようとする姿勢がないことが起因しています。

もちろん、それによって問題が再発すれば、自業自得と言うことになります。後悔先に立たず、です。

そもそも、誕生/設立したと言う事象が発生した時点で、現状に何かしら問題や課題があり、状況をより良い方向に改めるために発生させなければならない背景があったからだと、容易に想像がつくものです。

なにかしらの解決のために、誕生/設立したのだとすれば、その社会、組織、チームの中に属するものは、誕生/設立されたものに則して運用、あるいは利用しなければ、形骸化することで元の木阿弥となってしまい、いつまで経っても問題、課題が解決しないままとなっていくのでしょう。

それはすなわち、確信犯と言っても過言ではないのです。

もちろん、誕生/設立当時は、まだまだ改善の余地があるものなのかもしれません。最初から完璧なものなんて存在しません。ですが、その改善に寄与するでもなく、ただただ形骸化への道を進ませようとする働きは、社会、組織あるいはチームを停滞、退化させるだけでなく、巻き込んだ人たちまでも同罪に貶める行為になることを自覚しなければなりません。

一つひとつの誕生や設立には、必ず「何か」をより良くするための意味や目的があります。それらの意味や目的を見失わない範囲で改善していけば、さらにより良い環境が待っているはずです。

しかし、意味や目的から目を逸らし、社会や組織、チームの中で問題を起こし、挙句、他人の人生にまで迷惑をかけるようなことがあれば、それは

 「形骸化させる」と言う社会悪

の片棒を担ぐことにもなりかねないことを、肝に銘じておかなくてはなりません。常に、生み出す者としての責任、導入する者の責任、実行する者の責任を自覚しなければなりませんね。

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