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口だけは立派「ビッグマウス」が許されるのは、子供の間だけ

 ビッグマウス

本来の英語が言うところの"big mouse"とは意味が違うらしいですね。本来は「口が軽い」とか物理的に「口が大きい」と言う時に使われるそうです。日本の場合は、「口先だけ」「大口をたたく」と言う意味で使われていますが、誤用のようです。

まぁ、そこはそれ。和製英語ってことで。

私はこれを意訳して『有言不実行』と呼んでいます。突き詰めて言えば、巷でも流行りの「やるやる詐欺」と言うやつです。

私はこの『有言不実行』がおそらく一番大嫌いです。「やらない」と言ってやるのは、まぁ不実行じゃないのでとりあえず置いておくとして、「やる」と言ってやらない人ほど信用ならない存在はありません。マネージャーの立場から見れば、計画を根底から覆す邪魔者でしかありませんしね。

うん、だから政治屋の大半も嫌いです。マニフェスト無視して、税金の無駄遣いばかり行うただのコストセンターでしかないから。本当にあんなに大勢の政治屋なんているの?と思います。

ですが、勘違いしてはならないのは、

 ビッグマウスにかかる責任は「やるかやらないか」の論点であって
 「できるかできないか」を問われているわけではない

ということです。「やった結果、失敗に終わりました」と言うのはよくあることです。もちろん、どうやったのか?と言うやり方は問われることになりますが、第三者が「最大限、よくやった」と客観的に評価できるものであれば、"失敗"は使い方次第で、成功以上の財産になることもあります。

さすがに「やったけど、上手くいかなかった」ことまで責めるのはいかがなものかと思います。いやまぁ、どんな内容で大口叩いたのか…次第ですが。要するに、この正しい"失敗"こそが、PDCAを最も効果的にする要素となるのです。

でも、「やる」と言って、あるいは「こんなのやって当たり前」なんて大口叩いておいて、他にも「みなさん〇〇しましょう」なんて偉そうに言っておいて、自分は何一つ行動しようとしない、するべきことを行わない、なんて見ちゃうと心底軽蔑したくなります(ビジネスの関係性が壊れかねないから、大抵はグッとこらえますけれども)。

プライベートはまだしも、あるいは冗談で済ませられるほど軽微なものならまだしも、ビジネスでは多くの人に迷惑がかかることもありますし、その迷惑で他人の人生まで巻き込んでしまう可能性を考えると、やはりビッグマウス…有言不実行な人は「よほど無神経な人なんだな…」と私は解釈してしまうのです。

「有言不実行」は詐欺と同義

「やる」と口にして「やらなかった」と言うのは、子供の頃なら許されることも多かったでしょうが、ビジネスの場では絶対にタブーです。

特に他社との間、上司との間でこれをしてしまうと、大きな「信頼失墜」の問題に発展しかねません。意外と、勘違いしやすいのは「口頭での約束であっても、契約として法的な根拠を持つ」と言うことです。

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契約書や記録の類が無いと、「法廷等で争った時に証拠不十分となって、第三者が判断できない、第三者に判断していただくための証明ができない」と言うだけで、双方合意したこと(意思に基づくもの)であれば、口約束も契約として法律が認めています。

つまり、「やる」と言ってやらないのは、広義の意味で言えば、契約不履行であり、詐欺であるということです。

証明する術がない(立証責任を果たせない)から、現実的には民事訴訟になることもまずありませんし、判例にはあまり載りませんが、れっきとしたコンプライアンス違反の1つなのです。


「口で宣言」してもやらない人の共通点

これまで接してきたビジネスマンの中にも、このような人は少なからずいました。「言っていることとやっていることが違う」という状態です。

なぜこのようなことが起こってしまうのでしょう。

実は、そこには多くの人が知らない「ある背景」が隠されています。その背景を知っておくと、どのように対応すればよいかがわかってきます。「口で宣言」してもやらないというのは、何も子どもだけではなく、大人でもそういう人がいます。

口で宣言してもやらない理由は、次のようにさまざまあることでしょう。たとえば、

 ・言わざるを得ない状況だったから
 ・適当に言っておけばその場から逃れられると思ったから
 ・雑談ネタとして冗談で語っただけ

いずれにしても、本気で「やる」つもりで言っているわけではないのです。仮に本気で言っているとした場合、その後、発言したことに向かって何かしらの「行動」が見られることでしょうから。

しかし、やらない人の場合は、これらの理由ではなく、次のことが背景になるのではないかと思われます。

 「すごい宣言をしている自分って格好いい」

本心で格好いいと思っているかどうかは分かりませんが、言い換えれば、

 ・「できない」と言うのはプライドが許さなかったから
 ・ある人の前では「できない」とは言いたくなかったから
 ・ここで「やる」って言わないと、評価にひびくと思ったから
 ・みんな「やる」って言うのに、自分だけ「やらない」とは言えないから

と言う、保身観念やくだらないプライドから、こうした問題が起きているのです。「やる」「できる」と宣言することで、言っている自分って格好いいという、ある種の自尊心を高めている可能性があります。いわゆる「プライドの空洞化」を助長しているのです。

小さい頃からその傾向がある人は、なおさらその可能性が高いでしょう。子供にもよくあることです。たとえば「オール5を取る!」と言っていながら、その後の行動が伴わない子や、「英検1級に合格する!」と言いながら、問題集を解こうとしない子などがそうです。

悪意があるわけではないのでしょうが、こうした"やるやる詐欺"を行う人は、そもそもそれが他人の信頼を裏切る「嘘」であると言う自覚がありません。そして、このような人たちは、その場をしのぐために「宣言する」という目的をすでに達成してしまっているため、その後の行動は起こしません。

傍から見ると、見た目は「口だけで終わっているように見える」のですが、
その人の中では、すでに目的は達成し、タスクとして完結してしまっているのです。


「信用」と「信頼」

言葉ほど人を惑わすものはありません。

人が言ったことをそのまま信じて、その後裏切られたというケースは、誰しも少なからずあるのではないでしょうか。特に親であれば、子どもの「やる!」という言葉をそのまま信じてしまい、でも実際はやらない姿にやきもきするということが往々にして起こります。

 親「宿題やんなさいよー」
 子「はーい」

 親「お風呂入りなさーい」
 子「わかったー」

でも、実際にはされていなかった…と言うのは…まぁアレです。子供時代の話ではありますが、私自身も例にもれず、体験談です。

まともに自浄作用の働いているビジネス組織であれば、こうした"やるやる詐欺"はそのまま評価を落とし、厚遇されなくなります。そうしないまま役割や権限の幅を大きく与えてしまうと、対外的な場が増えることになりますので、"やるやる詐欺"自体が社外にもおよび、それだけ企業のリスクを高めることになるからです。

子供の時分にこういったことが起こる状態は、特別なことでもなく、実際、世の中にたくさんある現象の1つです。他人に大きな迷惑を与えるものでもなく、別に悪いことでもありません。そのように宣言することで、自己肯定感を上げている可能性もありますから。

しかし、大人になるとそうもいきません。

社会的に「嘘」で塗り固められた自尊心ほど怖いものはありません。家庭内で行っている分にはともかく、一歩外に出ると、確実に他人にとって迷惑となるからです。

 「やる」と言ってやらなかった

が最後まで続き、結果が伴わなければ、その言葉を信用して、タスクや事業のクリティカルパスに設定してしまった場合、確実に業務や事業に支障をきたします。対外的にはもちろん大問題ですが、社内でのチームワークでも相当なダメージになります。

そうなると、まず「信用」を落とします。たびたび説明してきましたが、ここでもう一度、おさらいをしておきます。

「信用」とは、過去の実績に伴って積み上げられる「信じられるかどうか」の度合いです。過去に積み上げてきた貯蓄であり、銀行の残高のようなものです。これが一定以上下がると、その人はもう用いられません。用いてはいけません。用いても、裏切るからです。

ビジネスや事業で裏切られることほど怖いものはありません。マネジメントにおける大前提において、身内から裏切られると言うリスクは想定しないものです。だからこそ、裏切られた時のインパクトは想像を絶するものとなります。

そして、一定以上「信用」を落として残高がゼロになると、次に「信頼」が失われています。

「信頼」とは、未来投資、すなわちギャンブルです。人柄や雰囲気など、仮に信じた通りにならなくても構わないと思わせるギャンブルのチップのようなものです。チップの在庫(我慢できる限界)分だけは耐えられますが、裏切られればどんどん減っていき、いずれチップが無くなれば、裏切られることに嫌気がさして、もう二度とベットされることは無くなります。

ちなみに、「信用」も「信頼」もゼロになると、レイズする掛け金も残っていないと言うことなので、生涯二度と関わることが許されなくなることでしょう。

「信用」は普段の実績の積み重ね、「信頼」は普段の姿勢や関係努力で増やすことができますが、"やるやる詐欺"による裏切り行為は、これらを大きく損ねることになり、且つ次回以降の信用や信頼の増え幅も低下します。

能力だけでは絶対に補えない、日頃からの「信用」「信頼」に対する取り組みは、決して侮ることができない、組織をまとめるための大切なファクターとなるのです。これを無視して、組織的活動を維持することは決してできません。


求むるは「有言実行」

ですから、私は昇進する際や自らが宣言する場では必ず

 「有言実行」

を訴え、実際にそれを体現します。具体的に何をするではなく、ただ「有言実行」をのみ実施します(あとは…まぁ誰かの上司になるなら、「率先躬行(そっせんきゅうこう)」ですかね)。

「有言実行」と言うと「何をいまさら、そんな当たり前のこと…」と言う人もいるかもしれませんが、それを言葉にして公にし、絶対に言った以上は必ずやるという背水の陣を敷いて取り組む人は、実際にどのくらいいるでしょう?

政治家ですら、マニフェスト通りの活動を行っている人は稀で、他党を蹴落とすためだけに国会を開き、年間ものすごい税金を無駄にしていますよね。

仮に多くの人に、「有言実行」を義務付け、そうならなければ懲戒の対象とする…と言ったら、殆どの人は軽口でも「やる」とは言わなくなるでしょう。そのくらい、責任が取れないと思っているからです。

ですが、それでは意味がありません。

普段の姿勢は崩さず、やれることは最大限「やる」と言って、それがどんなに面倒なことであっても、言った以上は「やる」。できれば、「やる」だけでなく、結果的に「できた」と言う状態に持っていくことが、責任ある大人として、対価をもらって労働するプロとして、正しい姿勢なのではないでしょうか。

逆に言えば、その程度のことができない大人が、どの面下げて子供たちに偉そうにしていられるというのでしょう。

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