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「アニメーションの定義についての覚書」 実写映画とは何か違うのか

■「アニメーションの定義とは?」

先日、ある方と話していて出た話題。
「アニメーションの定義とは?」

アニメーションは何を持ってアニメーションとするのかという話です。
「アニメーション」と「アニメ」の違いとかでなく、もっと広い“アニメーション”全体の話になります。

僕は日頃、アニメーションについていろいろ書いているのですが、そもそも“アニメーション”が何であるか自身のなかで定義づけしてなければ、そうした言葉も空虚と批判されても仕方ありません。
そこで「アニメーションは何を持ってアニメーションとするのか」を考えてみました。
しかし、これが意外に難しい。

1970年代、80年代であれば、定義はより簡単でした。
おそらくは、こんな感じです。

「アニメーションは人の手によって作られた対象物をひとコマずつ撮影し、フィルム上映した時に動きのある映像となる手法」

こうした定義では、一枚ずつ手で描いたセル画や人形、クレイ(粘土)、切り絵、ドローイングといった手法を網羅できます。また役者が演技する実写との違いも明白です。
 
問題は90年代に『トイ・ストーリー』を初めとするフル3DCGが登場したことです。3DCGは、従来はアニメーションが基本としたコマ撮りを必要としません。一方で、実写映画とも明らかに異なる映像です。

■すべての映画はアニメになる

これについて2004年に編纂された『日本のアニメ全史』(TEN BOOKS)では、編集者で当時 日本動画協会の専務理事を務めていた山口康男氏が、“日本動画協会では「実写映像でないものは全てアニメーションのカテゴリーに入る」との内規を設けている”と記しています。
なかなか魅力的な定義です。実写撮影されていない、創造の中から生まれた映像を全てアニメーションとするならCGに限らず、広い領域をカバー出来るからです。
 
しかし、問題はあります。それでは「実写映像」とは何なのでしょう。今度は「実写映画」の定義が必要になります。
これもなかなか大変です。実在する風景をカメラで映したものが実写映画でしょうか? ではたとえば「スター・ウォーズ」の最新作は、俳優の演技以外の背景・舞台のほとんどにCGが関与しているはずです。実在する風景ではありません。
それでは生きた人間、役者の存在が実写映画のアイデンティティーでしょうか? しかしジェームズ・キャメロン監督の「アバター」シリーズでは主要なキャラクターのかなりがCGでデザインされ、作られていることは映画を観たかたであれば気づくでしょう。
さらに現在ハリウッドでは、俳優のスキャンレーションから生まれたAIによる実在しない俳優を活用する研究が急ピッチで進んでいるとされます。これらは実写映画でしょうか?

映画・アニメーション監督の押井守氏は、かつて自著『すべての映画はアニメになる』 (徳間書店)にて、

「アニメーションは根拠のない映像だと思われているが、実写もまた根拠なき映像である、実写もアニメも実は同じでないか」

と喝破しています。
そして何よりも、アニメーションの定義を、別のもの(実写映画)の定義に全面的に依存するのもおかしな話です。

■アカデミー賞の定義はひとコマ撮り、でも……。

アカデミー賞で有名な米国の映画芸術アカデミーのアニメーションの定義は参考になるかもしれません。

“アニメーションとは、動きやキャラクターの演技をひとコマずつ(frame-by-frame)作られた映画と定義する。(中略)
アニメーションの技法には、以下のものがあるが、これらに限定しない。
手描き、コンピューター、ストップモーション、クレイ、ピクシレーション、カットアウト、ピン・スクリーン、カメラ・マルチパース・イメージ、カレイドスコープ、フィルム自体への描画。
モーションキャプチャやリアルタイムの人形劇は、それ自体はアニメーション技法ではない”

ここで重要なのは技法をかなり幅広くとっている一方で、モーションキャプチャ、さらにリアルタイムの動きを反映させた映像はアニメーションとしない点です。この定義によれば、VTuberもアニメーションに含まれません。
その一方で依然、「ひとコマずつ(frame-by-frame)」を掲げています。映画芸術アカデミーは3DCGであっても、CGアニメーターが動きを考えてつくる作品を含むことが可能と考えているようです。

しかし実際の映画芸術アカデミーの解釈は混乱しています。
ロバート・ゼメキス監督がモーションキャプチャを活用した『ポーラー・エクスプレス』は、2004年にアカデミー賞長編アニメーション部門にエントリーしました。しかし同じゼメキス監督が2007年に英国の叙事詩を題材にモーションキャプチャCGで制作した『ベオウルフ』はエントリーしていません。アニメーションと認められなかったからだとされています。
さらに2011年長編アニメーション賞を受賞した『ランゴ』の動きは、モーションキャプチャが中心だったはずです。『ベオウルフ』のキャラクターは実在の俳優の顔をトレスしていたけれど、『ランゴ』は奇妙なカメレオンだったためでしょうか。
CGを使ったモーションキャプチャでなくとも、2006年の『スキャナー・ダークリー』はキアヌ・リーブスをはじめとする役者の演技を実写で一度撮影し、それを撮影処理でイラストレーションのように見せたものです。こちらもアニメーションと呼んでいいのかどうか曖昧です。
 
モーションキャプチャの問題は、国内でも同じようにあります。CG映画『GANTZ:O』は、その動きのほとんどは実際の役者の動きをトレスしたものです。しかしスクリーンに映るキャラクターは実在する俳優ではありません。
『GANTZ:O』は非常によくできたSFアクション映画ですが、アニメ映画として語られることはほとんどありません。

■作り手の頭の中のビジュアルと動きを再現した映像

結局、アニメーションを厳密に定義するには、ひとコマずつ(frame-by-frame)に近いところに戻るのでないでしょうか。もちろんこれですとCGアニメーションが外れてしまいます。
 
そこで僕は狭義のアニメーションとして次のように考えてみました。
「人間の頭の中で創造された動きを映像として再現するもの」
この定義では単純なモーションキャプチャ、あるいはCG処理によるロトスコープ手法も含みません。またVRやリアルタイムで3Dを生み出すアンリアルエンジンなどのツールもアニメーションではありません。
つまり「映像に現れる人、生物、物体の基本的な動きは人間の創造によって作られたこと」がアニメーションだと考えます。
 
人間の創造により生まれることの重要性は、映像だけに限りません。物語や構成も同様です。
僕はアニメーションとゲームの違いについても言及することがあります。
 
ただこちらはより明確に定義できます。

・「アニメーションとは、決められた尺(時間)において、作り手が表現するストーリーが与えられる映像」
・「ゲームとは、受け手の関与によりストーリーや映像の体験が可変するもの」

ゲームの最大の特徴はインタラクティブ性にあります。RPG(ロールプレイングゲーム)などでは複数のストーリーは決められていますが、物語の最後に行きつくまでの体験と時間は全てのプレイヤーで異なります。
アニメーションでは物語が作り手により創造され、ストーリーの進行する順番や時間やタイミング、作品の体験を演出家や脚本家が制御しています。ゲームでそれをコントロールするのはプレイヤーです。
 
「アニメーション」と「実写映画」は映像と動きの創造で切り分けられ、「アニメーション」と「ゲーム」の違いはストーリー体験の創造によって切り分けられる。
この延長線上に、「アニメーション」の定義も存在するのです。

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