子どもがいないことへの率直なあれこれ
数年前まで、「もし来月妊娠が発覚したら!?」と考えて、行動にブレーキをかけていた。
歯医者さんでちょっと麻酔をつかうのにも、「…もしかしたら、いるのかもしれません。わかりませんけど!麻酔って使わない方がいいですか⁉︎」
と歯医者さんを困らせるほどだった。
他にも、妊娠してたらすぐ辞めないといけないから仕事はセーブしようとか、
激しい運動をしたら危険かもしれないから家でじっとしておこうとか。
(おかげで身体は重くなるばかり…)
結婚して6年目に入り、まだ子どもはいないのだけど、ここ1〜2年は「まぁ、いっか」という気持ちが強くなってきた。
周りの人達も6年目ともなると色々聞いてこなくなったし、私としても「欲しいんですけどねぇ…」と悲観的にあれこれ言う場面もほぼなくなった。
諦めたとか、そういうことではないのだけど、率直に思うのは
「私が何かしたところで授からないものは授からないし、それはそれとして、私は人生を楽しみたい」
ということ。
強がっているとかそういうわけではなく、他所の子どもでも気が合う子とは楽しく過ごせるから、そんな風に『自分の子』という境目をなくしていけたらと思っている。
でもこういった考え方ももっと年齢が上がっていけば、また焦りを感じるのかもしれない。
そして、他所の子のご両親からしたら「なんかいやに馴れ馴れしくうちの子と接してくるな」と不安を与えてしまうかもしれないとも思うので(笑)、その辺の塩梅も難しい。
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そもそも私は“人間の子”じゃなくてもいいと思っている節がある。
我が家では猫を2匹飼っているんだけど、完全に息子たちであり、ちょっと毛が多い子どもみたいに思っている。
こんなことを言うと、ちゃんと人間の子を育てている人から言わせると「全然わかっていない」と反論されそうだが、
本当にわかっていないし、そう思ってしまうから仕方ないと思っている。
(もちろん言葉にしてこういうテーマの話をすることは決してないけど)
そもそも私の逆鱗ポイントは子どもや動物に酷い扱いをする大人を見た時であり、
対象が『人間の子ども』か『動物』かであることは全く重要ではない。
そういう場面をみると、自分でもコントロールが効かないほど怒りなのかなんなのかが込み上げてくる。
(ただし、目の前で起きた時のみ。ニュースでの悲しい出来事にはあまり心動かない)
それは全て、“自分の中の純粋性”の部分を踏みにじられたように感じるから怒っているように思う。
こうやって考えると、私はどこまでも私の都合でしかものを考えていない。
でもこれは反省すべき考え方ではなく、世界と自分が同じになっていく過程だと捉えている。
非情でドライなことのように聞こえると思うけど、私の実感では私の都合で考えれば考えるほど世界はあたたかく見えてくる。
世界と自分が同じになれば、私のご機嫌が(私を取り巻く)世界のご機嫌と同じになるということだから。
子どもがいないこと、から壮大なテーマになってしまったけど、
どうして子どもが出来ないのかを数年間割と本気で考えたからこそ「まぁ、いいか」の境地に来れたように思う。
今後、この切り口から見た自分がどうなっていくのかわからないけれど、
目に見える現実に縛られずに世界を楽しむことができればと思っている。
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