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「才能がある人」「運がいい人」の共通点とは

ある日、友人から「それってすごい才能だよ!」と言われました。思ってもみなかったことだったので驚きました。当たり前にできすぎて才能だなんて思ったことなかったわ、と。

一週間後、別の友人から、別のことに関して「それってほんま才能」と言われました。デジャブ?と思いながらも、「それって誰でもできるんだと思ってた」とこれまたデジャブな回答をしました。

それがきっかけで、「才能とは?」を考えはじめたのです。そして自分的にこうかな~と見解が固まり始めた時に、「私って運がいいな~」と思う出来事があったのです。それがきっかけで、「運がいいとは?」も考えはじめたのです(趣味・特技:よく考える、なのでw)。そしたら面白い共通点に気づきました!

「才能ってなんだろう?」

バレエダンサーや歌手、スポーツ選手が活躍している姿を見ると「才能あるな、すごいな」と思うことがありますよね。そういう時に、私は「才能」という言葉の意味について、あまり吟味せずに使っていたことに気づきました。

例えば、大好きなフィギュアスケートを見ていて、羽生結弦選手の才能はすごい!とつくづく思っているのですが、その時の「才能があってすごい!」というのは、なんとなく「一般人にはできないことをしていてすごい」という意味合いで言っているような気がして、それって「才能」なのかなと疑問に思ったのです。

なぜそんな疑問を持ったのかというと、大好きなバレエ漫画を思い出したからです。『絢爛たるグランドセーヌ』↓

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「才能ある」少女たちがバレエダンサーの最高峰を目指してがんばっているストーリーで、読む度に自分もがんばろ!と思えるよい漫画なのですが、登場人物の8割であるバレエダンサーを目指している少女たちは全員が「一般人にはできないことをしていてすごい」少女たちなのですが、そんな「才能ある」少女たちの得意なことってバラバラなんです。

このマンガの登場人物が見せてくれた「バレエの才能」はこんなに多岐にわたっています(カッコの中は登場人物の名前です)↓
●他者をするどく観察し、うまくやるコツを分析することで、自分もそれができる(かなで)
●暗記力がよくて振り付けが1発で覚えられる(エマ)
●先生が教えた通りの動きが誰よりも早く正確にできる(さくら)
●遺伝的な身体能力の高さがある(しょうこ)
●家庭が裕福で最高のレッスンを受ける機会がある(しょうこ)
●音楽やストーリーから振り付けが思い浮かぶ(キーラ)
●憧れたものをやりたいと言えて自分もそうなれると信じられる(かなで)
●努力を継続できる(全バレエ女子)
●バレエダンサーの魅力を引き出す衣装が思い浮かぶ(りさ)
●感じ方が豊かでそれをダンスのフォーマットで表現できる(アンドレア)
●コミュニケーション能力が高く誰とも仲良くなれる(かなで)
●地味な練習を繰り返せる(エマ以外の全バレエ女子)

上記のことは、他の人と比べて苦も無くできる「才能」であることは間違いないのですが、この漫画の登場人物の少女たちは「バレエの才能がある」というよりは「バレエダンサーとして成功するために必要な才能をいくつか持っていて、バレエダンサーになりたいという意志の元、そのゴールを達成するために「才能も使って」日々行動している」といえるのかなと思ったのです。

私がオリンピックや、グランプリファイナルで、はたまたバレエやミュージカル、宝塚を観劇した時に「才能があってすごい!」という言葉は「スポーツ選手や役者として成功するために必要な才能を持ち、その世界で活躍したいという意志の元、そのゴールを達成するために「才能も使って」日々行動した結果」をすごい!と言っているんだな、と気づいたのです。

さらにいうと、オリンピックや、グランプリファイナルに出るなんてそれだけで「才能がある」ことだと思うのですが、特に才能があってすごい!と思う人は、より結果を出している人なんですよね。なので、やはり、才能がすごいんじゃないんです、それを、もしくは、それも使って成し遂げた「結果」に対してすごいなと思っていたんだということです、私の場合。

これはけっこう耳の痛い話になるかもしれません。「才能」を辞書で引くと「誰よりも上手にできること」と書いてありますが、それだけだと「才能がある」を「一般人にはできないことができること」と解釈して、「自分には他の一般人よりできる才能がないから、色々とうまくいかない人生なんだ、やったってうまくいきっこない」という言い訳ができて、「行動しなくてよい」のでラクはラクですよね(たぶん。自分はそう思ったことがないので。このセリフは、「自分は才能がないと思いますか、という質問に「はい」と答えた人の回答です。ぐぐったら出てきましたw)。

同時に、「才能がないから自分にはできない」と思っていた人には朗報でもありますよね!今自分が「あの人才能があっていいな~どうせ自分にはできないけど」と思っていたとしても、「あの人は才能「も」使って行動を重ねた人だ。自分は同じ種類の才能はもってないかもしれないけど、違う種類の才能はある可能性があるし、そもそも何も行動していないから結果があるはずがないだけだ」ということでしかないからです。

「宝くじ 買ってみなけりゃ 当たらない」という俳句を思い出しますね。

まとめると、「自分には何の才能もない」という人は、行動して結果を出している人の「結果」を才能と勘違いしていた可能性が高く、結果を手に入れる行動をしてこなかっただけであることに気づいてない人なんだと思います。「才能がない」わけではないんです、絶対。バレエ少女の才能の幅広さを見てください。ゴールにたどりつく才能なんてたくさんあるんです。でも行動しないと結果が出ない、ただそれだけなんだと思います。

「運がいいってなんだろう?」

私はとっても運がいいと思います。

一例をご紹介いたします。フィンランドにオーロラを観に行った時、現地でオーロラ鑑賞バスツアーに参加しました。そのバスツアーでは郊外にバスで移動し、オーロラ待機小屋で2時間待つ間にちょっとでもオーロラ見られたらいいね、という気持ちのバスツアーなのですが、私が参加した時は待機小屋に着く前からオーロラが出ちゃって、待機小屋に到着した時には頭上にアニメで見るようなミルキーな水色の天の川、ならぬオーロラがバッチリ出ていて、2時間、消えることはなかったです。オーロラ見れなかった時用のお楽しみにバーベキューがついてたのですが、まさかのオーロラに飽きてバーベキューに夢中になるくらいのオーロラの出現具合でした。

で、このオーロラ、現地のガイドさんによるとシーズンベストだったそうです!「あなたたちとっても運がいいわよ」と。

そしたら参加者の日本人のおばさまに、
「私そんな運よくないわ!(参加者を見渡す)(私、目が合う)
あ!あなた絶対運がいいでしょ!ありがとう!!(私、拝まれるw)」
なんてほぼ初対面の人に断定されました。

こんな風に言われたら、自他ともに認める「運の良い人」ということで良いのかと思っております!

ですが、この話だけだと運の良さ自慢かい、と思われるので、からくりをご説明いたします。

この日、実は3つの選択肢がありました。
①ホテルでオーロラ出るのを待つ(お金はかからないが、割と街の中にあるので出ても明るくて見えない可能性あり。実際前日は見れてない)
②日本語のバスツアーに参加する(開始時間が早くて良いが、行き先が比較的街に近い=明るくて見づらい可能性あり)
③英語のバスツアーに参加する(行き先がかなり遠いので暗くて見れる可能性が高いが、開始時間がほぼ0時できっと眠い)

事情聴取をした結果、③が一番オーロラが見える確率が高そうだったので(かつ、前述のおばちゃまに半ば強引に③に誘われたので参加しましたw)、体のラクさよりオーロラが見える確率の高さを選択したのです(②に参加した人は見れなかったことを次の日教えてもらいました)。

そしてそもそも、オーロラが見てみたいからフィンランドに行こう!と決めて行動しなかったら、日本にいたままではやはり見れなかったと思います。

つまり、「シーズンベストの素晴らしいオーロラが見れた」という結果だけ切り取ると「運がよくていいよね」となりますが、その運をつかむために、フィンランドに行って、情報収集して、バスツアーに参加するという行動を起こしたからの結果なんです。行動なくして結果なしですね。

「才能がある」人、「運がいい」人の共通点は何か?

「才能がある」ように見える、というのは、才能「も」使って欲しいゴールを達成するために行動した結果を見ている、ということであり、「運がいい」というのは、やはり同じく欲しいゴールを達成するために行動し、それが成果に結びついたという結果を見ているんだな、ということに気づきました。

個人的にこの発見に大興奮しております!だって、「才能がある」も「運がいい」も先天的なもの、生まれつき備わっているものなんだと思っていたからです。でも今回の自由研究のおかげで、どちらも後天的に得られるじゃない!と自分の中で合点がいったからです。

つまり、ゴールを達成するために必要だと思われる行動を起こしさえすれば、「才能がある」人にも「運がいい」人にもなれるということですよね!

そもそも才能って必要なのかな?

と、ここまで書いておいてなんですが、私は自分の人生において「才能」について特段意識して生きてきませんでした。才能の有無にかかわらず、やりたいことをやって欲しいものを手に入れられたらそれで充分じゃないかな、と思っております。

「才能がないとできない」という言葉の意味も正直分かりません。「才能」がないと本当にできないのか、その因果関係が疑わしいですし、「才能」がないから実現までに時間がかかるからできない、って言いたいのかなと予想してみますが、時間がかかっても達成できれば別によくないですか?

なので、私は自分にはどんな才能があるんだろう、というよりも、自分が「本当に」やりたいことは何だろう、それはどうやったら達成できるんだろう、だけをシンプルに考えて実行したいなーと思います。

才能があっても別に。。。 

私は20代後半くらいから今のような生き方(自分大好き、毎日かなり幸せ♡)をしているのですが、その時に出会ったスピリチュアル兄さんに
「うわ~持って生まれた才能何も使ってないね」
と言われて心底驚きました。

世間一般でいうバリキャリ女子だったと思いますし、課外活動ではじめた女子会が大盛況だったし、自分のことは大好きで基本楽しく生きていたので、「これで才能を何も使ってない、ってどういうこと?」と本当に驚きました。驚いたものの、スピリチュアル兄さんの言っていることは全くピンとくることのない人生を送ってきました。

が、最近、ついに才能が開花したんです(笑)

私の人生の中心は旅と日本酒だったのですが、コロナでどちらもストップせざるを得ない日々が始まりました。そんなある日ふと、図書館で手作りバッグの本が目に入ったんです。
「か、かわいい~~~♡作ってみたい!」
と思ったのは、ポーチでも巾着でもなく、大物感ただようボストンバッグ!

私の特技だと思うのですが、『頭に思い描いたことは実現できる』という謎の思い込みがあります。ボストンバッグについては作り方が本になってるので、できないはずはないな、ということで、カバンづくりの本を数冊借りて帰り、家で読み漁りました。

そして、いきなりボストンバッグはさすがに大物な気がするので、練習がてらブックカバーとポーチを3種類作ってからボストンバッグに挑戦し、使い勝手がいいようにカスタマイズしながら、ほぼ1日でボストンバッグを完成させました。

すべて自分好みなので大大大満足で、あ~楽しかった、と思って終わっていた案件でした。

その半年後、友人から裁縫できる人を探している、という不思議なメッセージが入りました。私の裁縫経験なんて、学校でのお裁縫の時間除いたら上記の5点を作ったくらいでしたが、話を聞いてみて、作ったボストンバックを見せたら「それってほんま才能」と言ってもらえたのです。

しかも、その子が作ってほしいものって、話を聞かせてもらったとってもアイディアがわいて、こんな風にしようかな~あんな風にしようかな~とデザインを考えるのが楽しくってしかたがなかったんですよね。頭の中でイメージが具体的にできているので、実現するための技術に困ったら本読んだり実物見て研究すればいいだけだし絶対できるなって思えました。

なので、明らかに、私には「頭の中に描いたイメージ通りのものを裁縫という手段を使って実現させる才能」があると言えそうです。

でも、この才能知らなくても特に困ってなかったし、気づかなかったとしても多分一生困らなかったと思います(笑)。気づいたからには活用してみようかなとは思うものの、人生楽しむ選択肢が1つ増えたくらいですね!

というわけで、別に才能ってそんなに大事じゃなくない?やっぱりやりたいことを実現するのが一番大事じゃない?と私は思っております。

「自分の才能が知りたい人」ってどんな人?

と、才能には特段興味を持たない人間ですが、自分の才能を知りたい人ってどういう人かなって考察してみたんですよね(ヒマか!? ヒマだ!!)。
①失敗したくない
②本当に自分が何をやりたいかわからない
パッと思いついたのはこの2つです。

①は、才能さえあればうまくいく、と思っているんでしょうか。私は別にそう思わないけど、その信念があるのであれば、「才能に気づいたら」自動的にすべてうまくいく、かもしれないですね。信念(思い込み)が現実を創造するっていいますもんね。でも、やっぱり疑問。才能だけ分かっても、どう活かしていくかってまた別の話だと思うので、才能があれば失敗せずにゴールできるって思ってる人って何でそう思うんだろう。どこかで出会ったらインタビューしてみようと思います(実在するかも分からないのにこの意気込みwそんな自分が好きですw)。

②の人は重症ですよね。自分のやりたいことが分からないって、じゃあ誰の人生生きてるんですかね?でもそういう人がたくさんいるんだってことを知っています。その状態から抜け出したいって思っている人もたくさんいることも知ってます。

私は自分の本音をネホリーナハホリーナ(根ほり葉ほりw)するのが好きで、その道のプロだと思いますがw、それでも、「世間的に良いとされてそうなことを採用してしまっている」時ってあります。なかなか願いが現実化しないぞ、という時は、ネホリーナハホリーナすると、「しまった、これは自分の本音ではなかった!」という時がちょこちょこあって、ビックリします。

本音ネホリーナしたことない人は、無意識のうちに自分以外の人の声たくさん採用してそうですよね(そういう人はやさしい人が多いと思うんだけど)。時代的に、本当に本音かは分からないけど、他人の本音っぽい情報はたくさん目に触れられちゃうから、自分以外の声たくさん取り入れちゃうトラップだらけの時代ですもんね。

そんな人に、「才能を知る」はすごくいいことだなって思います。「才能=自分の特性、特徴」だと思うので、それをきっかけに自分の理解が進めば、毎日ハッピーに過ごせるんじゃないかなと思いました。

結論:行動すれば、才能がある人が手にできる結果や、運がいい人が手にできる結果が得られるようになると思います♡

ということで、私は今までよりも確信的に、自分の本音に耳を澄ませ、やりたいことを実現するお手伝いをしていこうと思います、才能があろうとなかろうと♡

追伸 「才能があって」「運がいい」画像って何!?

とりあえず「才能がある」ということでは誰も文句のつけようがないレオナルド・ダ・・ヴィンチの作品『最後の晩餐』を選んでみました@ミラノ。この後キリストが大変なことになるので「運がいい」とは言えませんが。。。

スー

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