ことばの力。

東フランスから、こんにちは。

ジュラ山脈の中に位置する小さな村に住んでいる大阪女、すーです。

片田舎からオンラインで日本語を教えています。


私が、フランスで育つ我が子に日本語を学んでほしい理由。

それは、私がことばの力を重視しているからです。


私は、ことばには大きく分けて3つの役割があると考えています。


まずは、皆さんもパッと思いつくであろう、

①他者とのコミュニケーションのツールとしての役割。


ことばを介してしか、他人と深く理解し合うことはできないと思っています。


そして、コミュニケーションよりももっと前の段階として、2つ。

②世界を理解するための道具としての役割。

③思考を深めるための道具としての役割。


まず、「世界を理解するための道具としての役割」ですが、こちらは、私たちが世界を理解できるのは、「その物事や現象に名前がついているから」なんだそうです。

たとえば、雨。

霧雨、小雨、大雨、雷雨、豪雨、暴雨、ゲリラ豪雨、時雨、寒雨、俄雨…

雨の種類にこれだけ細かく名前をつけているのは、日本語ぐらいかもしれません。日本人にとっては、これらを区別するのが大事だったんでしょうね。

雪国では雪に関する語彙が豊富にあるそうですし、歴史的に髭文化の長い欧米では、口髭、顎髭、頬髭にそれぞれ全く違う名前がついているそうです。

区別する言葉、重視する言葉は文化によって違うのです。

そして、区別されていないもの、名前がついていない事象は意識下に入ってもこない。

日本語を学ぶということは、

日本語の世界の見方を知るということ。

違った観点を知ることは、個人の知的世界をも豊かにしてくれると思います。


最後に、「思考を深めるための道具としての役割」

こちらは、私たちが何かについて思考するとき、脳内ではどのような動きが行われているかを考えてみてほしいと思います。

「考える」という行為でも、声は出さずとも、脳内で言葉を使っているんですよね。

大人は声に出さなくても、脳内で対話を繰り返して思考を深めていけますが、小さな子どもはどうでしょうか?

ブツブツ独り言を言っているのを聞いたことはありませんか?

あれは、脳内で処理しきれない自分の考えを、実際に声に出してまとめているんだそうです。

小さな子どもが、自分の力で思考を深めていくのは至難の業。

そして、新たな思考の扉を開いていくのは経験や周りの声掛け。

私は、子どもの思考活動を助けられる親でありたいと思いました。

だから、それが十分にできるのは日本語しかない、と。


というわけで、

今日は私が我が子への「日本語教育」を重んじる大きな理由、

私が考える「ことばの力」についてお話しました。

みなさまもぜひ、ご家庭、そしてご自身での言葉遣い、それがもたらす効力について考えてみてくださいね。


それでは、また。Bonne journée !!

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