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小さな出会いが齎す魔法

3歳を過ぎた息子は自己主張が以前にも増し、はっきりしてきて嬉しい時と嫌な時の感情表現が日に日に激しくなってきています。
フロリダに来てからというもの息子がひどい癇癪を起こした後は、息子を連れて家の外に出かけ息子におやつを食べさせながらお茶を飲む時間を作るようにしています。
その時間だけでも、ついさっきまで思い詰めてキィーっとなっていた自分の頭を冷増すためにも…。

その他にも色んな方法で自分なりに精神的に余裕を作る小さな工夫を毎日しているのです。

ニューヨークにいた頃は息子の父親の面会日が週に1度あったため、その日だけ数時間一人になれる時間がありました。
ロックダウンが始まってからはマスクを嫌がる小さな息子が一緒だと難しいその1日を一週間分の食材の買い出し、銀行や郵便局のオフィス周り、洗濯(ニューヨク市内の家にはほとんど洗濯機がそれぞれの家庭に設置されていないのでランドリーに行きます)であっという間にバタバタとその日が過ぎて行きました。
今思えば、少し息子と離れて自分一人で色々な雑用をこなせたあの時間は貴重でした。

三週間ほど前から息子が急にオムツも嫌、トイレもおまるも激しく嫌がる癇癪が始まり、日中家の中のベッドやテーブル、椅子、ソファーの上でおしっこをするという日々が二週間ほど続きました。
ふと気付いたらいつも家の中で怒っているし、そんな自分に又自信をなくし…。
深夜から早朝にかけて息子につけているオムツが濡れるだけで激しい夜泣きが続いて睡眠時間も取れず、精神的にも体力的にも限界を感じ自分自身を追い詰めていました。

ただ悶々と疲労とストレスに押しつぶされそうになっていた私に、とっても貴重な数分の出会いと会話が齎されました。

家から2ブロック離れたところにスーパーマーケットがあり、そのスーパーの入り口付近には複数のパラソルが立ち並んでいて、テーブルと椅子が複数設置されていて店内で購入したお惣菜や飲み物が食べれるようになっています。
私はいつもその場所で息子にお水を飲ませたり、フルーツを食べさせています。
いつも通り息子に水を飲ませていると、隣のテーブルに座っていた60代くらいに見えたご夫婦がフルーツの盛り合わせを食べながら、ニコニコして息子を見つめ、手を振ってくれたりたくさん話しかけてくれていました。
『本当に可愛い。ただ可愛い。』
と奥様が私に声をかけてくれたのにもかかわらず、私は
『今3歳になったばかりで手を焼いてるんですよ。何でも私の言うことの逆をするし、日本語でno ””イヤしか言わないんです。笑』
とすかさず言葉を発していました。
それを聞いてお2人は『あーはっはっ』と声をあげて笑い
『そうか、そうか、そういう時かぁー!』
と微笑みながら息子を見つめていました。
『いつも家では私も声を荒げてばかりなんですよ。』
と告げると、
『私たちにも男の子が2人いるから分かるわよ。私も、いや他のお母さんみんなあなたと同じよ。私も一緒だった。私が声を荒げてたその2人も今は31歳と33歳。もうすっかり大きくなっちゃったのよ。』
それを言われた時、私は心の中で
(いつも子育てを終えた人は同じ事を言うんだよなぁ..。今が一番可愛いんだから、すぐすぐ大きくなるんだからって..。だけど私は今しんどいのに..。ただただ毎日が疲れてギリギリなのに..。)
と呟いていました。
自分の気持ちを切り替えるかのように私は
『実は私2ヶ月前の3月にニューヨークからここタンパに息子と移住してきたばかりなんです。』
と機転を利かせた会話を切り出したつもりでした。
『えー!?私達夫婦もニューヨーク出身なのよ。最初はマンハッタンに住んでたけど、結婚して子供が生まれてからブロンクスに引っ越したの。それから2人目の息子が生まれてペンシルバニアに移住して30年近く経つのよ。』
とおっしゃたので
『ではお2人ともペンシルバニアから来られたのですか?今は息子さん達もみんなそちらに?』
と聞くと
『実は先程、話に出てきた33歳の息子がバケーションでここタンパに来てバイクで交通事故を起こしたんだ。私達夫婦は、病院から連絡が来て今ここタンパに来たんだよ。ずっと危篤状態が続いて今は意識が戻ったんだけど、私達のことを見ても彼は私達が誰だか分からない…。言葉もある一つのセンテンスを話し出すと、同じセンテンスを何度も繰り返し繰り返し呟くだけ…。これから長い息子のリハビリ生活が始まる。この先どこの病院に転送されるかはまだ分からないんだけどね。』
と旦那様が笑顔で話してくれたのです。

『そうでしたか…。とてもお気の毒で…。』
と言いながら、私は普段の睡眠不足のせいで感情の起伏が激しくなっていたのか、息子に明るく接してくれていたそのお二人の今置かれている状況を思うと涙がこらえられなくなってしまいました。
(自分と息子の将来だってこの先何が起こるか分からない。もしかしたら、明日にだって何か起きるかもしれない…。)
強い感情が一瞬で私に押し寄せていました。

そんな私を見てお2人は
『あらぁ…。ありがとね。今あなた1人でこの子を面倒見てるの?』と聞いてきたので
『はい。そうです。ですが6月には息子の父親のお母さんが2週間ほど来てくれる予定です。9月には息子の父親と、彼のお母さんもここタンパに移住してくる予定なんですよ。私と息子の父親はもう夫婦ではないけれど、この先もできるだけ2人で子育てはしていくつもりなんです。』
と涙と鼻水をすすりながら伝えたのでした。

そうするとそのご夫婦はずっと変わることのない温かい笑顔で
『今こんな時代だけどね、どんなに辛くて大変でも今しかないこの子との時間を無理矢理でもいいから楽しめばいいのよ。2人だけの時間をただただ思いっきり楽しむの。周りなんてどうでもいいの。たくさんハグしてあげてね。それはね、今のあなたにしかできないとても大切な時間なのよ。応援してるからね。GOOD LUCK!』
と言って席を後にされたのでした。

その時間が今でも私の心に強く残っていて、大きな育児の原動力になっているのです。

そのご夫婦との会話の後から私の中の何かが確実に変わりました。
オムツが取れないとか、いつもベッドにおしっこするとか、(まぁいいっか、大したことないよね。)と本能的に切り替えができるようになっていました。
そうしていると次第と家の中でも笑顔の時間が増えて行きます。
息子を冷静に見つめる瞬間が増えて行きます。

トイレトレーニングを始めてもう直ぐ2週間が過ぎるという頃、やっとおまるに座ってオシッコをした瞬間、息子は屈辱感を味わったかのようにその後40分大声で泣きじゃくり怒りを私にぶつけてきました。
その後、床に漏らしてしまったオシッコを見てまたこれ以上ない鳴き声で泣きじゃくりました。
紙おむつも嫌がってしょうがないので、ニューヨークでロックダウンが始まった頃、紙おむつが全く手に入らなくなった時期に大活躍していた布オムツをダンボール箱からガサガサと掘り出し布オムツを付けてあげた途端、きゃっきゃとはしゃぎ始め、濡れたら直ぐに自分で脱いで持ってきました。
しばらくして綺麗な乾いた布オムツを付けてあげても、笑顔のままでした。

『今はこれでいいよね。これでいこ。綺麗な布オムツが気持ちいいよね。嫌なものは嫌なんだもんね。』
と笑顔で息子に告げていました。

トイレトレーニングは最初のスタート地点に2人で”のほほん”と戻っていく結果になりました。

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疲れに溺れている時は、
(私はいつも永遠に自分を削って削って、与えて与えての繰り返し…..。何一つ私には与えられない…。)
と思ってしまう事が何度もありましたが、それは違っていました。
私がどんなに何度怒って声を荒げても、息子、犬、猫たちはいつも私に駆け寄って来てくれる。
普通の知人や職場の人ならきっと人間関係はそこで終わってしまうに違いない…。
だけどこの子たちはみんな私のところへ甘えて帰って来てくれる。
その時点で、私はもうすでに沢山の恵みを与えられていたんだと気付かされたのです。

この恵みでさえ永遠ではないことをいつか私が本当に実感する日が来るのです。
だから明日も又、息子、犬と猫の命を私はじっくり育んで行くのです。

”無理やり楽しめなかったとしても、この時代、この場所、この瞬間をじっくり味わいながらただ時間を重ねていこう。” 
今日も大きな空とたくさんの木々に囲まれた道を犬と息子を連れて歩いています。

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