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【思考実験録】垢消しに関するセルフ問答

登場人物
ぼく: 僕です。
ぼく2: 僕ですが、「ぼく」のアンチです。

ぼく「フォローしていた絵師さんがジャンルの鞍替えに伴って垢消しをしてしまってね。悲しい」

ぼく2「お気の毒に。でも、作品を消した訳ではあるまい? pixivはそのまま残してくれているし随分と良心的じゃないか」

ぼく「そうだが、pixivに全ての絵をアップしていた訳ではない。直近の絵とか載せてないし、落書き(ただし神絵)程度の絵なんかも残っていないよ」

ぼく2「仕方ない、保存していなかったお前が悪い」

ぼく「そこが納得いかないんだよ。なんで過去を抹消したがるんだ? 作品に限らず、過去の文脈を探そうとしても、その人の周りだけ空白になるんだぞ。なぜ自らわざわざミッシングリンクを作ろうとするんだ? ツイ消しだってそうだ、黒歴史をクリーンにするだなんてライトな口調で言っているが、過去の消去なんて焚書そのものじゃないか!」

ぼく2「そりゃお前、焚書そのものだって言うなら、過去を詮索されたくないからに決まってる。お前は過去を詮索できないことを厭うが、普通は過去を詮索されることを嫌うはずだ」

ぼく「結局そこが分からないんだよな。過去に自分が表明した情報である以上、その情報を維持することに責任が伴うと思うんだけど」

ぼく2「お前はどこの公的機関だ? 個人に求める物事じゃない。それに個人は『忘れられる権利』だって有しているんだが?」

ぼく「『忘れられる権利』っていう奴は、忘れられないことによってなんらかの人権侵害があるときに用いることができる権利なんじゃないのか? 例えば過去の犯罪歴であったり、セカンドレイプ被害であったり、それによって職業選択の自由とか名誉毀損とか、そういった別の権利を侵害するなら分かるぜ。でもツイ消しや垢消しで消える過去なんて、せいぜい『昔の自分のツイート、残したくないなぁ』っていうお気持ち程度しか侵害していない訳じゃないか? そんな感情ひとつで情報が失われるのはおかしくないか? 下手したら人類にとっての損失じゃないか」

ぼく2「『人類』だなんて主語が大きい。大仰だ。大袈裟だ。それにしてもどうしてそんなに情報の保存に拘るんだか。それこそ著名人でもない個人がアカウントを消したところで、なんらかの人権が侵害されるか? せいぜい、過去が参照できないことへの不快感を第三者が感じるだけじゃないか。さっきお前はお気持ちを軽視したが、そっちだって所詮感情論じゃないか。アカウントを残すことによる当事者の不愉快と、アカウントが消えることによる第三者の不愉快だったら、当事者の不愉快が優先されるのは当然じゃないか! なぜならアカウントは当事者のものなんだから!」

ぼく「ちょっと待て、本当にSNSのアカウントは当事者だけのものか? インターネットという公共空間に自分の意思で情報を解き放った以上、『過去』は自分だけのものじゃないはずだ

ぼく2「Twitterのツイートが公共の財産だとでも?」

ぼく「そう思っている」

ぼく2「本当にそうか? 誰でも見られるだけであって個人の所有物、ってものもたくさんあると思うが」

ぼく「それもある種の公共性を有すると思うが」

ぼく2「所有権より公共性を優先しろと?」

ぼく「状況によるが、そうだ」

ぼく2「……駄目だな、ここは議論が平行線に陥りそうだ」

ぼく「確かに。じゃあ別の論点で。さっき当事者の不愉快と第三者の不愉快なら当事者が優先、と言っていたな。不愉快な当事者は一人しかいないが、それこそ有名な絵師だったら不愉快になる第三者は何千人といるんだよ。功利主義的に苦痛の総和を考えるべきなんじゃないの?

ぼく2「じゃあお前は功利主義的に正しいからと言ってオメラスの街を正義として肯定するのか? 一人のガキが生贄になって死にかけることによって、理想郷が保たれる架空の街。構図としては全く一緒じゃないか」

ぼく「別にアカウントを消さないくらいで理想郷が保たれるなら安いもんじゃないか。死にかけもしない、人権を侵害する訳でもないんだ」

ぼく2「駄目だこいつ、過去を残しておくことが死ぬほど苦痛である可能性を考慮できていない。その理想郷っていうのはお前みたいな過去詮索マンにとって理想的であるに過ぎないっていうのに」

ぼく「僕自身が過去詮索マンである以上、過去を詮索されたくない人間の気持ちは理解できないと思う。過去を参照できなくなるのは非合理的で不誠実だ、という感覚は捨てられない」

ぼく2「垢消しが非合理的? お前は個人の問題と社会の問題を履き違えている。確かに社会において情報が安易に失われるのは焚書であって、過去が不透明になって参照できなくなることは問題だろう。だがな、なぜ同じことを個人に求める? 個人に透明性が必要か? 社会というマクロな観点において重要なものが、個人というミクロな観点においても等しく重要であるとは限らないじゃないか! ミクロな観点なら透明性の維持よりも不快感の解消の方が優先される、そのことのどこに非合理的な点があるのか?」

ぼく「そんなゲーム理論みたいなこと……」

ぼく2「そもそもお前は最初からずっと、観点が社会の側に寄りすぎだ。なぜ個人のアカウントの存続の可否を個人の問題の範疇に収めずに社会全体の問題にすり替えようとする? お前の個人的な不愉快というお気持ちを理論武装するために、責任やら誠実さやら公共性やら、社会正義に則ったそれっぽい言葉を並べて、さも万人に課せられた義務であるかのように捏造しているだけに過ぎないくせに!

ぼく「でも、そうだとしても、歴史として過去を残すことは大事だし......」

ぼく2「じゃあお前は子供の頃遊んだ玩具を全て取っておいているのか? 今までやった宿題も全部捨てずに取っておいているのか? 過去を一切捨てずに保存していたら世の中は情報量過多のゴミ屋敷まみれになるぞ! それは正義でも何でもない、ただの執着だ! 確かにゴミ屋敷には歴史的価値のあるものが眠っているかもしれない、だからといって大多数の人間にとってそれは無価値なゴミの山だし、所有者本人さえもゴミだと思っているならそれは結局ゴミだ! 本当に価値があると思うようなものだったら見かけた時に確保しているべきだ、つまりスクショなり保存なりしておくべきだった!」

ぼく「そうかもしれないが……」

ぼく2「お前が垢消しを厭うのは自由だ、だがお前が垢消しをする人々を縛る道理など無い! たとえそれが焚書に思えたとしても、個人の範疇であれば焚書の自由が自己決定権のお題目の下に与えられるからな。お前が焚書を非難する理屈を並べたところで、その礎にあるのが何の人権侵害でもない以上、自由を崩すことなどできん」

ぼく「自由だからって無責任なのはダメなんじゃ……」

ぼく2「そんな無責任な輩にも自由を認めるからこその自由なんだろうが! クラスターデモしかり表現の不自由展しかり(それを公費で行うのはまた議論の的だが)! まあ今回はそもそも過去の情報の維持に責任を持つべき、というお前の考え方じたいが一般的ではない!」

ぼく「ダメだ、だんだん自分が過激な主張をしているように思えてならなくなってきた」

ぼく2「そうだ、お前がおかしいんだ。つまり僕自身がおかしいんだ」

ぼく「……ぼくはただ単に、跡を濁さない立つ鳥にせめてログを残しておいてほしいだけなのに」

ぼく2「他人に強制した瞬間にそれは過激な主張と化すんだよ

ぼく「そうか……。大事なことを忘れていたかもしれない。自分の信条を他人に押しつけるのは間違いだっていうことを。気づかせてくれてありがとう、ぼく2」


 というわけで、垢消しの是非について丁_スエキチ(持論)と丁_スエキチ(反論)で議論したら反論側に理がある感じになりました。
 垢消しをする自由もある。垢消しによる不遇もある。でもだからといって、自分の考えを一般論であるかのように騙って他人に押しつけるのは、おかしいことですね。


 でもやっぱり垢消しは不誠実な行為では???

 (ふりだしに戻る)

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