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ブロック機能は、アレに似ている

Twitter(X)のブロック機能が外されるという話が浮上し、多くの関係者が抵抗を示している。

「粘着質の相手に付きまとわれたくない」
「嫌いな人間と関わりたくない」
「ミュートではだめ。見たくないんじゃなく、見られたくない」
中には
「少しでも癪に障ったら、ブロックしとけばスッキリする」
という私には理解できないものもあった。

美輪明宏さんが「SNSは公開ストリップショーのようなもの」と断言していたが、ある意味そのとおりなのだ。自分をどこまでさらけ出せるかを自分で決め、そしてその責任を自分で負う。他者をコントロールしたり、仕組みにケチをつける類のものではない。それはいじれないものだから。

それにブロック機能の弱点として、相手が複数アカウントを取得した場合、何度でも接触されることがある。

更に言うと、先述の「少しでも癪に障る」「気に入らない」場合、すぐにブロックする人が増えたためか「今まで親しくしていた相手から、意味も分からずいきなりブロックされた。不快」と感じる人も相当数いるらしい。

多分「自分のエリアを快適にしたい」「そのためなら相手がどう感じようと知ったことではない」「善意の人であれ、悪意の徒であれ、気に入らなければすぐ排除」「面倒くさいことは嫌い」という人が増殖しているのだろう。

ブロック礼賛派が非常に多いように感じるが、ふと感じたことがある。
この状況は、アレに酷似していないか?

・外敵排除をしているように見えて、実は決定打になっていない。
・むしろ自分にとって有用な箇所まで攻撃するため、本体が弱ってしまう。
・やればやるほど癖になり、状況が悪化する可能性がある。

連想するのは、コロナワクチン。抗がん剤。

一定の有効性はあるとしても、毒をもって毒を制するわけだから、当然デメリットも大きい。


<結論>
多分、私はブロック機能は使わない。それを使わなくてもいいように、目立たずこっそり、マイペースで好きなことを書いている。

公開ストリップショーで、「何見てるのよっ、見ないでっ変態っ」「早く衝立を持ってきて!私を隠してっ」と騒ぐのは、何か違うと思っているから。

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