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オトナの教科書。

こう書くと、ちょっとだけHな感じがする。のは、ぼくだけだろうか? が、まったくもって、本文にその要素はない。さて、気を取りなおして本題へ。

ぼくは小さい頃から優等生キャラ。だから、教科書に落書きはしなかった。もちろんのこと、社会の教科書に登場する偉人たちに、ヒゲなど、書いたことがない(はず)。では、教科書が好きかと言われると、「うーん」と答えに困ってしまう。

ということで、教科書が好きではない理由を考えてみよう。それは、「押しつけられている」ところにあると思った。先生から選択の余地なく与えられ、学ばせられる。たとえ、どんなにおいしい食べ物でも、食べたくないときに無理やり食べさせられたら嫌いになるのが人間だ。

裏を返して、仕事や人生で壁にぶつかって、困り悩んでいるときに、「ここに何かがある」と運命を感じる本を見つけたらどうだろう? それは、じぶんにとっての「教科書」になるのではないか。そんなことを思ったのは、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの『ジブリ文学』のある一節を読んだときだ。

ぼくらは、堀田善衛さんの新刊が刊行されるごとに、ふたり(宮崎駿、鈴木敏夫)だけの読書会を自然と開いた、おたがい読後感を述べあうのだ。しかし、最後は必ずと言っていいほど、『方丈記私記』の話になった。そして、宮さんはインタビューで何度も『方丈記私記』の話をした。
後に堀田さんと知り合ったぼくらは毎年、年が明けてしばらく経った時期に、逗子にあった堀田さんのご自宅を訪ねることになる。
それは一年に一回限りの年中行事になり、堀田さんが亡くなるまで続いた。同時代に堀田さんがいたことは、ぼくらの幸運だったとしか言いようがない。振り返ると、あれからもう三十年余の歳月が通り過ぎている。いったい、その間に、『方丈記私記』に何度目を通したことか。

ぼくは勝手に、おふたりにとって、『方丈記私記』は教科書みたいなものなんじゃないかと思った。そんなことを思いついたとき、糸井重里さんの『ほぼ日刊イトイ新聞の本』、矢沢永吉さんの『成りあがり』それぞれの一節も思い出したのだ。

『ほぼ日』の教科書
現在中公文庫で出ている梅棹忠夫さんの『情報の文明学』といういくつかの小論が集まってできてる本がそれだ。この本に出てくる最初の小論は、1962年に書かれた「情報産業論」だが、すごいのはこの時点で来るべき「情報社会」について書き切っているところだ。(中略)
ぼくはこの本を読んだとき、なんでもっと若いときにこの論文に出会わなかった買ったのかと思ったくらいだ。この本を、これからの『ほぼ日』の基本図書にさせてもらうことにした。
オレに合ってるって、『人を動かす』をくれたんだ。オレ、十六歳で、ガキだし、半分以上本気で感心してたわけよ。その社長の話。本と一緒に「メシでも」って、一万円くれた。そういうキッカケで読み出したんだ。その本。十回ぐらい、リフレインで読んだよ、えらい気に入ってね、キザに友達の誕生日に贈ったりしたよ。無意識のうちにためになっているみたい。

登場されたみなさんは、無数に本を読んでいらっしゃると思う。(永ちゃんは未知数だけど)そんななかで、「これだ」と取り上げるということは、彼らにとっての教科書と言ってもいいのではないだろうか。

ここで、こんな疑問が頭に浮かんだ。「大人にとっての教科書って、一体なんだろう?」、「どうやったら、じぶんにピッタリの教科書を見つけられるのか?」。スケッチブックを開いて、書いた。答えになるようなものを書きまくった。その結果、教科書の定義や見つけ方をここに書くのはやめた。それよりも、書くべきことが見つかったからだ。それが、これ。

じぶんの教科書になるものは、たぶん、読んだらわかる。出逢ったら、わかる。そんなものなんじゃないかと思う。尊敬する人がオススメしている本でも、じぶんには合わないことだって多い。でも、きっと、読んだときに「コレだ」ってわかるものなんじゃないだろうか。

ナニカを感じる。
運命らしきものを感じる。

その本とじぶんのあいだに、響きあう何かがあるはず。松田聖子さんの「ビビビ婚」並みの出逢いもあれば、振り返ってみるとそうだったということだってあるだろう。とにかく、理論や理屈を超えたところに、じぶん自身の人生や仕事の教科書があるんだと思う。

「あなたの教科書は、なんだろうか?」

ちなみに、ぼくの教科書は、『ほぼ日刊イトイ新聞の本』『ユダヤ人大富豪の教え〜再びアメリカへ編〜』だ。

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追伸、、、
いちおう、教科書の要素を考えてみた。それは、ふとい答えと問いだ。太い答えと問い。考え方や行動の仕方の根本になる「答え」、要は生き方や働き方の指針みたいなものが書かれた本は教科書になりうる。同時に、長いあいだ味が出るするめのような、ずっと考え続けられる「問い」が含まれていることも大事だ。ある意味、答えが出ないような太い「問い」に答え続けようとするとき、目には見えないけど大事な根っこが伸びていくんじゃないかな。

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