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私が好きだったもの

今では好きじゃないのか、と聞かれると迷うところ
熱量が圧倒的に違う。

最後に「これか」って分かる写真を付けるが
あえて対象物を曖昧にしておきたい(なぜ)

幼いころ珍しがられ、
時に差別的に悪意を持たれ罵られもした、
地域柄も大きいかも知れない。

だから幼い私は
・意味なく人を傷つけない
・少数派をないがしろにしない
・ゆかりのある街の市民になろう

そう決意した。

毎日一喜一憂した。
家庭のゴタゴタも貧しさも忘れ熱狂できた
時に歓喜し、悔しくて泣いたりも。

自分が直接関係していないことでこんなにも喜びそして泣けるのか
むしろ関係していないからただただ見つめ
そしてめりこむのだろうか

毎週、自転車で急な坂を越え本屋に雑誌を読みに行った
その週刊誌は子供の私には高価だった。
ご褒美に何がほしい?と聞かれると
だいたいこの週刊誌をねだった。

身に着けるのも好きなものにまつわる色ばかりだった
最近”推しの色”と好きなものやキャラクターにまつわる色を集める・身に着ける、なんて聞くがとても共感するし私もしていたのだった

大学生である程度時間やお金を自由に組み立てられるようになり現地(と言ってもアウェイ)へよく行くようになった。

社会人となり、10年以上憧れた街の市民になれたときは感無量だった
夜行バスでボストン片手に持って引っ越してきたけど
そうとは思えない晴れ晴れとした幸せな気分だった。


しかしホームに来たつもりが
当時はそれほど人気はなかった。
当日行ってもゆったりできるくらい
初年度は40回くらい現地へ行った。

そして同志の趣味サークル(チーム)に入れてもらい
知らない土地で好きなことを通した仲間と
好きなことをめいっぱい楽しんだ。

職場の人も好奇心からついてきてくれたり。

私の好きなものが
大人気となり、会場が埋め尽くされたら良いのに
夢として語っても
「無理でしょ」と地元の人にも笑われた


そのうち転職したり、なんやかんやで遠のいた
だけど好きだったものは私に
夢をくれた
仲間もできた
元気がない時は励まされ
そしてこの地へ導いてくれた


笑われた夢も、しかし10年経ち現実になった。
あの時ガラガラだった会場は
今や連日、埋め尽くされている

遠のいたけれど、テレビで目にする度に胸が熱くなる

人気になってなかなか行けなくなった
嬉しいジレンマ
それでも好きで良かったし幸せだ
好きになるとならないとで私の人生は大きく違っていた


青一色は圧巻だ



この「スガホシ セイ」もアナグラム
相棒でよく犯人が使うよね 笑

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