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音楽の何を聴くか


いつも、一つの記事が結構長くなりすぎている気がする。

内容が多くなって長々と書いてしまい、何度推敲しても納得がいかず、下書きが溜まり続けている現状。

日々ちゃんと書いている。
なのに全然更新できていない……


更新がなかなかできていないのは、決してnoteを書くことに飽きたからではないと主張しておきたい!


だから、もう少しテーマを絞ってシンプルにしていこうと思った次第。もう少し肩の力を抜いて書く。
いや、これ以上ユルユルになっていいものか?



音楽の聴き方は人それぞれ違う。

音楽の「何を重視して聴くか」が違う。

人それぞれ違うから、面白い。


私は「音楽は文学」だと思っている。

「詩」を重視して聴くことが多いかもしれない。

「歌詞」というより「詩」と捉えている。


あぁ、良い曲だなぁ、と思うものに出会ったら、ノートに歌詞を書いて、視覚的に「詩」としても味わうのが好きだ。

漢字とかなの連なり、文字の形を見るとまた違った絵が見えてくる。



歌詞のないクラシックの曲でも、音から連想される風景を詩のように鑑賞している、ように思う。言葉の無い詩だ。



一方で私の母は音楽を「音」として聴いているという。

母は幼少期からピアノを弾いていた。私が生まれてからはほとんど弾かなくなったけれど。

だから母は昔からクラシックがとても好き。

でも一方で、とあるイギリスのバンドがとても好きで、車でずっと流している。

英語の歌詞の意味が分からなくても、全く気にせずいつもノリノリで聴いているという。

これには驚いた。
歌詞の意味知りたい、ってならないのか?
なんか……勿体無い気がする!

そう、それも楽しみ方のひとつ。
純粋に「音楽」として感覚的に、直感的に、そして身体的に鑑賞する。

だからこそ音楽は国境を超えて、言語を超えて、人類の根源的な記憶、のような何かにアプローチする力がある。

曲を聴いてノッたりとか、踊ったりとか、私はなかなかできない。考え込むように聴いてしまうものだから、手拍子してもズレてしまう。

手拍子しようものなら、意識がどうもそこ(リズムを合わせる)に持って行かれて「鑑賞」どころでなくなるので、大きいライブで、大勢の観客が曲に合わせて手拍子している中でも結局直立不動。


リズム感がない原因それか!
聴きながら色んなことを考えすぎてしまうからか……。



他にも色々な聴き方があるんだろう。

和音を聴くとか、奏法を聴くとか、パートごとの重なりを聴くとか、とにかく大好きなアーティストの姿を見る!とか。

色々な人に聞いてみたくなった。


小さい頃から頑固だとか、意固地だと言われてきたのを気にしている。

あぁ今もそうだな、と反省する。

自分の考え、自分の視点、以外の見方も知らないと、世界は立体的にはならない。
そういうことを痛感する。

その辺りのことについてはまた、掘り下げたい。


……またフワッとした終わり方だなぁ。
これじゃまるで小学校の理科の教科書みたいだ。

いや「フワッと」も極めれば自分独自の文体になるかもしれない。

極めたもん勝ちだ。



そもそもこのnote、大学の他の専攻の知人に憧れて始めたものでもある。


その人みたいに、もっと詩的な文体で書きたかったのだ。

なのに結構普通に書いてしまっている。

「自分の文体を選ぶということは、非常に重大なことだ」と大学の文章の先生が言っていた。探り探りだなぁ。

テーマを絞って書く、と言ったそばから逸れまくる。

それでも、実感のある自然な言葉が書ければいいな、と思う。


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