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毒親問題を過剰否定するに至る原因は「同一視」?|yugami|note(ノート)https://note.mu/yugami/n/nc9ede31f8ae1
毒親ありきではなく、毒子がいるから毒親があるんだよ。被害者目線で考えるならそういうことになる。
「ガストでいい?」「サイゼでいい?」に落胆するなら自分で提案しろ、と控え目に思う
別に男は女を楽しませなければならない存在ではないし、なんなら「食い終わったら何処其処で集合な」でいいと思うのよね。いや、別々に飯を食えば互いに好きなものを食えるし、相手に合わせなくてもいい。女子と飯を食うってことは食事について妥協するってことだしね。腹が減ったときと美味しいものが食べたいときというのは需要が違うからね。腹が減って飯を食うのだから第一優先はオシャレでもなく旨い安い早いだろう。そうなれ
もっとみるネット・リテラシーについて
※写真はイメージですらありません。
幾つかのまとめサイトが非公開になったりならなかったり静かに色々起こっているようなのだが。著作権云々の話は、まあ、いいや、置いとく。
太古の昔、ネットは自己責任論が主流だった。発信者側は「無保証です。それで良ければ自己責任で」というスタンス、受信者側は「At your own risk.ね。ハイハイ」って感じで何となく上手く行っていた。圧倒的に責任の所在は受信
観客のマナーとは噴飯物だ
ある人がネットでの他人との関わり方は「出演者と観客」だと宣っていた。だが、それはおかしいのではないかというお話しだ。
ネットでの人と人の関わりは、双方が出演者であり観客、作家であり読者だ。一方的に「出演者と観客」とするのは「ぼくは出演者で、あなた達は観客」と言っているようなものだ。
写真は真実を写さない
「写真は真実を写さない」という言葉が好きだ。写真家の荒木経惟の言葉だ。写真に構図や焦点、絞り、フィルターがある限りは写真に真実は写せないと考えるからで、撮影者の恣意が必ず入るから。と、俺は解釈する。
勿論、自然や動物、報道など、真実に肉迫することが美学である分野もあり、それまでをも否定する気はないし、そういう写真も好きだが、美術的な表現としての写真は現実を切り取るだけでは面白くなく、イメージを重
孤立と孤独についての雑観
孤独は、自ら望んでなることもあるし、マイナス・イメージのある言葉では本来ないよね。だから、昔は「孤独死」と呼んでいたものを最近の報道では「孤立死」と呼ぶようになったのは、少し正確な表現になったと思うんだよね。いや、「孤独死」には尊厳を感じるけど、「孤立死」にはそんなものはミジンコほども感じず、身も蓋もない言いっぷりだけどさ。しかし、「孤立死」に過ぎないものに対して「孤独死」などと言わなくなってため
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