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回帰/つれづれ

少しずつ心を取り戻している。

「忙しい」とは心を亡くすと書くとおり、忙しくて心がなくなっていたわけですが、新しい部署に来てからは心が復活してきている感じ。

環境としては、採用1箇所目の部署に一番雰囲気が近くて、みんなが人の心を忘れずに仕事している。

逆に気を遣うこともある。

今まではビジネスライクにメールや報告・相談をしていたけど、今の部署でそれをすると「え?堅くてやりづらい・・・。」と思われそうなので、極力丁寧に相手の心情を考えながら仕事している。

当然、疲れる。相手によって話し方を変え、「どうしたら相手が気分良くいてくれるか」を考えるのは、仕事のプラスアルファの部分だと思っている。余裕があればやればいいし、余裕がなければ申し訳ないけど削られていく部分。

ここ数年は忙しさを理由にその部分を削ってきたから、そこまで気を遣うのは久しぶりで、余計に疲れているのかもしれない。

今までは男性が多い部署にいたけど、今は女性がほとんどの部署。そういう違いなのかもしれない。

今の部署の細やかさがいいなと思う時と、そこまでしなくてもいいのでは、と思う時がある。

なんとなく馴染んだ風に振る舞っているけど、私にはそこまで気を遣うのが向いていないのか、古いバッテリーみたいにあっという間に充電がなくなってしまう。

今の部署でどのように振る舞うのがいいか。

いい人が多くて、だからお互いにたくさん気を遣いあえるのはいいところなのに、そこに適応しきれない少しの悲しさはある。


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最近思うのは、特に親密な人間関係で、誰かが全部悪くて、何か明確な原因で、それで駄目になる関係は少ないのではないか、ということ。

私はずっと、「相手が悪いからこうなった」「自分が悪かったんだ」とか「あの時こうしなければ」「相手がああいう風に言ったせいだ」とか、誰が/何が悪かったのか知りたかった。きっとそこに原因があって、それが除かれればうまくいくんだと思っていた。

でも、最近やっと(30代半ば近くになってやっと)そんな単純なものではないのだと理解してきた。

「相性が悪い」

大体はそれに尽きるのではないか。


相手も悪くない。自分も悪くない。だけど、組み合わせが悪い。

何をしたからとか上手くいかなくなったとか明確な理由がある場合ばかりではなくて、少しずつ積もった我慢や違和感や怒りや悲しみが、その人のキャパシティを超えてしまった。自分が我慢すれば上手くいくと思っていたことが(もしくは自分でも我慢していることすら気付かなかったことが)、心や身体を少しずつ傷つけていった。

もっと話し合っていたら。もっとこうしていたら。

後でそう思うことが、その時にできなかったのが答えなのではないだろうか。だって、手を抜いて生きているわけではないでしょう。

でも、誰とでも同じ結果になるわけではない。

同じ行動を取っていても、うまく修正できる相手もいるし、そもそも何も気にしない相手もいる。


ただ、上手くいかないことや離れてしまうことが必ずしも悪いことではなくて、より幸せになれる人が他にいるよ、というサインなのかもしれない。

だからと言って上手くいかなければ速攻で切ればいいという訳ではなくて、そもそも悩むのは多くは相手が大事だからなのであって、だから苦しいのだけれど。


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人生に意味なんてなくて、生まれてから死ぬまで、くるくるダンスをしているようなものなのだと思う。どうせなら楽しく踊って、たくさん笑って、舞台から退場したいなぁと思う。