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その感動、どこかで見たことありませんか?

感動系の小説や映画がすこし嫌い

特に小説なんて、文字が縦にたくさん並んでいるものを見て涙をながせる人を理解できない

いや理解できないということはない。一応の理解はできる

人は小説を読む時、まず単語や文法を把握し、その小説で出てきた情報を適宜参照しながら、その文を生きた「意味」として理解する。そしてこの「意味」を脳内の「小説フォルダ」のしかるべき位置に格納し、適当なタイミングで取り出す

これは、とてつもなく高度な処理だ。人は文章を生きた「意味」としてしか理解・格納できないから処理機構も記憶機構も大変優秀でないと実現できない。ましてやそこに自分の感情を絡めて「感情移入」まで手を出そうものなら、流石にアンビリーバブルと言わざるをえない

はっきり言えば、僕は小説を読んで感動する人を信じていない

本当に彼らは小説を「読んで」いるのだろうか?

自分の知っている感動の形を小説の中からテキトーに探してきているだけではないか?

読者が作品をそう「雑に」消費するだけならまだしも、読者の要望に合わせてあるあるな感動ネタを才能ある作家さんがこすりにこすっている様子がいたたまれないのだ

何が言いたいかというと、僕はいま「画期的な」感動系の小説を読みたい

「この感動、どこかで見たぞ...?」なんてサスペンスな展開は気分じゃない

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