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だるま村へ ♯1 『ゴミ袋のあやしげな影』

 ある朝、町外れに一羽の大きなカラスが飛んできて、電信柱のてっぺんに降り立ちました。カラスはすぐ下のゴミ置き場を覗き込んで、しわがれた声で鳴きました。それはカラスの言葉でこういうつぶやきでした。
「さて、今日は、エビフライ弁当があるかね。タルタルソースがたっぷり、かかっていたら、文句なしだね」
 カラスはゴミ袋の一つに目を留めると、すぐ近くに着地しました。
「あった、あった。弁当屋のゴミ袋。どれどれ、ご飯のおかずは、エビフライのタルタルソースがけ、さらに唐揚げも入っている! 今日は大当たりだね。タルタルは最高。ねっとりした風味がたまらないのさ」

 その時、やっと聞こえるくらいの声で、誰かが「助けて」と言っているのが聞こえました。
「全く、なんだい。大事なごちそうの時間だってのに」
 カラスはため息をつくと、体を揺らして、周りを歩きました。すると一番端に置いてあるゴミ袋が、奇妙なことに、小刻みに動いていたのです。
「何だい、ありゃ?」
 近寄って見ると、紙くずやガラクタが詰まっています。
「ただのゴミのようだが」
 首をかしげると「だるまだよ」と声が返ってくるではありませんか。カラスは丸い目をパチパチさせました。
「おどろいた。袋のどこに入っているんだい?」
「一番上だよ」
 カラスがゴミ袋を結わえた辺りを見ると、手足の生えた木のだるまが、逆立ちみたいな姿で、もがいていました。
「おやおや、何と、物が動いているよ」
「それって珍しいの?」
「私ゃ、この土地に長く暮らしてきたが、見たのは二度目だね。お前さん、だるまといったね。人間が願い事をしたり、何かを祝うときに使う物と聞くよ。それがどうしてゴミ袋に入っているのかね?」
「分からない。昨日の夜、目を覚ましたらここにいたんだ」
「一昨日はどうしていたんだい?」
「覚えてない。昨日より前のことは何も分からないんだ」
「初めて目覚めたベッドがゴミ袋とは、お前さんも災難だねぇ」
 そう言うと、カラスは袋に飛び乗って、上の方にくちばしで穴を開けてやりました。だるまは足から「よいしょ」と穴を通して這い出て、カラスのすぐ近くへ降りてきました。背丈はカラスの半分くらいしかない小さなだるまでした。
「カラスさん、どうもありがとう。身動きが取れないし、頭が下だとクラクラするしで、たまらなかったんだ」
「構わんさ。ところで、お前さんは新品ではないが、古い物でもないようだ。なぜ動いているのだろうね」
「新品でも古い物でもないってどうして分かるの?」
「お前さんは全体に綺麗だが、てっぺんに大きな傷がついているからさ」
 だるまが両手で頭を触ると、確かに頭に凹んでいる部分がありました。
「本当だ。古い物なら動けるの?」
「いいや。満月の光を千日分浴びる、その月日の分だけ人間に大事にされなければ動かない。本来、物ができることは、思いを持ち、語ることだけさ。それに、ほとんどの物はずっと眠っている。語りたいほどの気持ちを持っていないからね」
 そこまで言うと、カラスはハッとして続けました。
「そうか、月の光」
「月の光?」
「そうだよ。昨夜は、月が地球に最も近づく時に、ちょうど満ちる日でね。数十年に一度しかない、特別な日だったのだよ。昨夜ならば、お前さんが動けるような奇跡が起こっても不思議じゃない」
 だるまは昨夜目覚めた時のことを思い出しました。頭の上に地面、足の下に紫色の夜空が広がっていて、大きな大きな真ん丸の月がだるまを照らしていたのでした。
「ねぇ、さっき、大事にされた物が動けるって言ってたよね? ぼくもそうだったのかな」
「捨てられたのに?」
 そう言うと、だるまがしゅんと下を向いたので、カラスは慌てて付け足しました。
「まぁ、何か事情があったのかもしれない。月の力が働いたとしても、物自体に強い思いがないと、動くことはないはず。人間の家にいた時のことを、何も思い出せないかい?」
「……うん。残念だけど」
「そうかい。とにかくさ、お前さんは動ける力を特別にもらったんだ。これからどうするつもりだい?」
 だるまはキョトンとした顔で、「何も考えてなかったよ」と言いました。
「あきれたやつだねぇ。そんなにぼんやりしていたら、強いやつに取って食われちまうよ」
「物は誰かの役に立つために作られるんだ。だから役に立てるなら、食べられてもいいよ」
 だるまがにっこり笑ってそう言ったので、カラスは言葉をなくして、だるまを見返しました。カラスの目は優しそうに光っていましが、少し、悲しげでもありました。そのまま黙り込んでいましたが、ふと思い出したように言いました。
「そういえば、うんと西にだるま村という村があるとか。大きさも形も色もバラバラなだるまたちが仲良く暮らしているそうな」
 だるまは目を輝かせました。
「ぼくも住ませてもらえるかな。西のなんて所にあるの?」
「残念だが、私も詳しい場所は知らないのさ」
「そっか……。じゃあ色んな人に聞いて回ってみるよ」
「お前さんは決して人間に近づかない方がいいよ」
「どうして?」
「動く物もあるってことを人間は知らないからさ。もし見つかったら、怖がられるか、面白がられるか。どちらにせよバラバラに壊されちまうよ」
 だるまが、「分かった。十分気をつけるよ」と言った時、少し離れた電信柱に小さなカラスが止まって、鋭く鳴きました。
「そろそろ人間がゴミを集めにやってくる。すぐにここを離れた方がいい」
「うん」
「そうだ。これを持っていきなさい」
 カラスは翼の下にくちばしを突っ込んで、何かをつまみ出して、だるまに差し出しました。手にとって見るとそれは穀物の穂先のようでした。
「これは何?」
「カラス麦だよ。でもただのカラス麦じゃない。特別なカラスだけが持つ特別なものさ。きっとお前さんの役に立つから、大切に持っておくといい」
「いろいろご親切にありがとう」
「ふん、構いやしないさ。年寄りのおせっかいよ」
 そう言うと、カラスは片翼を広げてみせてから、バサバサと羽音をさせて飛んでいきました。


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