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「FLIGHT RECORDER」&ムーンライダーズ、そして「ミュージック・ステディ」研究その1。

 1982年に私は高校に入学し、中日ドラゴンズの快進撃や新田一郎さん「サンライズ・サンセット」、堀江美都子さん「茅ヶ崎メモリー」、ラジオっ娘「茅ヶ崎サンライズ」の3枚のシングル盤に夢中になった夏を過ごしました。

 その夏の終わりに発売されたのが、ムーンライダーズ「僕はスーパーフライ」のシングルです。カップリング曲は「くれない埠頭」。これまた聴きまくりましたねー。今回は家族と揉めないようにヘッドフォンを使って。
既に『カメラ=万年筆』と『東京一は日本一』を聴き倒していたんですが、なんというか、これまでよりも立体的な音楽に感じたんですよね。
これはヘッドフォンを使って音楽を聴くようになったことが大きいかもしれません。
アルバムは翌月に『青空百景』というタイトルで発売されました。
 このアルバムが発売された時期、雑誌「バラエティ」(角川書店)や「音楽専科」(音楽専科社)ではムーンライダーズが大きく取り上げられています。

・「バラエティ1982年9月号」(角川書店)
鈴木慶一さん連載対談「2001 Bock'n' Roll Club」にムーンライダーズが登場。
画像をタップしていただければGO→ST通信電子版の「2001 Bock'n' Roll Club」についての記事を読むことができます。

・「音楽専科1982年12月号」(音楽専科社)ムーンライダーズ特集「キミとボク新聞」。


 翌1983年初めには「ミュージック・ステディ」でついにムーンライダーズの徹底研究(特集)が実現したのです。

・「ミュージック・ステディ5号」(ステディ出版)ムーンライダーズ徹底研究。このMUSICIAN FILE・徹底研究が単行本「FLIGHT RECORDER」(JICC出版)につながるのでした。

 「ミュージック・ステディ」の徹底研究とは他の雑誌の特集とは一味違いまして、ミュージシャン自身によって語られるMUSICIAN FILE、自曲解説、関連ミュージシャン(あがた森魚さん、斉藤哲夫さん、PANTAさん、椎名和夫さん、佐伯健三さんに鈴木さえ子さん等々)のコメント、関連レコード参加リスト、提供曲リストにライヴのリストなど圧倒的な情報量です。
特に感動ものなのが自曲解説で、はちみつぱい『センチメンタル通り』、鈴木慶一さん『Science Fiction』、ザ・ビートニクス『出口主義』に武川雅寛さん『とにかくここがパラダイス』、『恋はPush!Push!Push!』(この2枚に関しては武川さんによるアルバム全体へのコメントのみ)は後に出版される「FLIGHT RECORDER」にも未収録です(ちなみに関連ミュージシャンのコメント、鈴木慶一さん以外のメンバーのインタビューも未収録)。
が、この特集には重大なミスがあるのです。
『カメラ=万年筆』の曲順が違うのでした。これはおそらく歌詞カードを見て(歌詞カードには曲順が書いてなくて、デザインの都合上曲順を間違いやすく表記されていました)、曲順を書いたと思われます。実は「FLIGHT RECORDER」でも、この失敗は修正されていないのでした。

 それはともかく、当時レコード屋さんにバックオーダーすると、問屋さんに在庫があれば、翌日に入荷する(ちなみに同時期、書店さんに本を注文すると、入荷時期は不明で、しかもやたらと時間がかかりました)ことを知った私はお金が入る度にレコードを注文していったので、関連の作品はなかなかの数を所有することになりました(でも、ハルメンズやムーンライダーズの初期のシングルはさすがに手に入らなかったです)。
それにザ・ビートニクスのレコードが出たことで、高橋ユキヒロファンだったOくんというムーンライダーズの話ができる友達が現れたのもこの時期でした。

この号の特集は「ポップス宣言」と大貫妙子さん徹底研究の追加分、そして、連載である「日本音楽全史」は近田春夫さん(!)。この記事を見て近田さんのレコードを探しましたね。
そして、ステディのスタッフ&ライターの方々による「MY FAVORITE ALBUM」。これまた素晴らしいのです。
この号が私にとって一番好きな「ミュージック・ステディ」です。

・「Boom 創刊2号 1983年3月」(JICC出版)フォト・インタビュー「ナウは思わずサカダチする」鈴木慶一さん&鈴木博文さんインタビューを掲載。

 1983年には創刊されたばかりの雑誌「Boom 創刊2号」(JICC出版)に慶一さんと博文さんのフォト・インタビューが掲載されています。この時点では鈴木兄弟お二人でのインタビューは珍しいのではないでしょうか。
インタビューの見出しに時代を感じてしまいました。
この雑誌は「宝島」(こちらもJICC出版)風味の「BOMB」(学研)といった赴きというべきでしょうか。アイドルの記事をメインにサブカルチャーな記事を潜り込ませています。
鈴木兄弟のインタビュー以外にも、ゴジラ伝説の記事や、イッセー尾形さんやRCサクセションのライヴ・レポートが掲載されています。

 雑誌(「ミュージック・ステディ」以外に「週刊FM」でもレコーディング・レポートが載った)『マニア・マニエラ』が発売されたのですが、何とCD(コンパクト・ディスク)のみの発売。

・「週刊FM 1982年2月1日号」(音楽之友社)『マニア・マニエラ』のレコーディング中の取材、アートポートの話題も。

 発売前に行き着けのレコード屋さんに予約したのですが、色々と大人の事情で入荷せず。仕方なく石丸電気に行って購入したのでした。
まだCDが普及していなくて、知り合いの電気屋さんに頼んで、CDプレイヤー(多分、定価が20万円位だったはず)を結線させてもらいカセットにダビングしたのでした(割と何度も書いたり、話したりしているので、それはまた別の機会に)。
 1曲目の「Kのトランク」がとにかく好きになってしまって、現在に至るまでムーンライダーズのフェイバリット・ソングであります。
この曲のファンは多い模様で「プレイボーイ eyes」(集英社、水野きみこさん表紙の号だったはず)のとあるコーナーにおいて、この曲のブートレグ(確か品番はOYAJI-1でした)を作っていたというエピソード(勿論、冗談ですよー、本気にすると恥をかきます。私のように)があった記憶が。
他にも「檸檬の季節」(ジャック達のライヴで鈴木慶一さんをゲストに迎えて演奏された時の感動は忘れられません)、「薔薇と廃物」など全曲がとにかく好きになってしまって、ムーンライダーズの熱烈なファンとなりました。

 1983年1月号で鈴木慶一さんの「バラエティ」での連載は一旦終了しましたが、6月号からは新たに「K1の胸キュンシリーズ」という連載対談がスタートしています。

 連載対談が再度スタートした時期、「ミュージック・ステディ」の新しい号が発売され、そこではかしぶち哲郎さんと矢野顕子さん、鈴木慶一さんと鈴木さえ子さんのインタビューが掲載されました。
それはアルバム、かしぶち哲郎さん『リラのホテル』と鈴木さえ子さん『毎日がクリスマスだったら』についてのものだったというわけです。

ちなみにその号の徹底研究は伊藤銀次さんでしたし、山下達郎さんのロング・インタビューも掲載されていて、もうひとつの特集が「ON THE ROAD AGAIN」というインディーズのバンドを紹介したものでした。
この記事が私に与えた影響は大きいので、近いうちに書く「ミュージック・ステディ」研究で触れたいと思います。

・「ミュージック・ステディ7号」(ステディ出版)

 ちなみに今回の画像で紹介した雑誌は全てリアルタイムで購入したものです。コンディションの悪さがどれだけ夢中になって読み返したか、自分の中でもいい思い出になっております。

 また自分語りをしてしまったせいか、またまた長くなってしまったので、1984年の『アマチュア・アカデミー』以降と「FLIGHT RECORDER」については次回に持ち越しとします。すみません、やたら長くなってしまって。

「FLIGHT RECORDER」と「ミュージック・ステディ」の比較ということで、1990年(『最後の晩餐』の前)ぐらいまでのムーンライダーズ限定とされていただきます。
おそらく、それでもかなり長くなるはずですが。。なんとか明日には。
ではまたー。

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