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マリコ


6月

「ありがとうございました。」

マリコは軽く会釈をしながらドアを閉めた。
「そうだ、エレベーターのボタンを押すときは第二関節で指の腹は使わないんだっけ?コロナの名残りだろうけど、なかなか良いアイデアだな。」マリコは右手をグーにして人差し指の第二関節を1階のボタンに当てた。
小雨が降り出していた、小豆が茹で上がった独特な香りが梅雨空と混ざり合う、小豆を茹でるとお湯は灰色になるのをマリコは思い出していた。
なんともスッキリしないのは空だけではなくマリコも同じだった。
「ふぅ〜 とりあえず帰ろう。」

マリコは餡工場のアルバイト面接に来ていた。パックに詰められた餡子を箱に詰める作業と書いてあったので自分にもできるだろうと思ったのだが、話を聞いてみるとかなり重労働らしく約10キロの箱をパレットに積み上げていく作業もあるらしい。その瞬間「無理だよね」とマリコは呟いた。もちろん心の声だけれど。
面接官は気の優しそうな声でマリコの履歴書を読み上げていく。作業の合間を抜けて面接をしているのだろう、全身白い作業服、帽子もマスクもつけたままだった。
マリコの履歴書は販売員や受付、事務職に加え色彩検定やフラワーアレンジなどのワードで構成されている。マリコは面接官が経歴を読み上げるたびに「なぜ餡子の工場へ?」と聞かれているように感じた。

マリコは42歳、5つ年下の旦那(しゅん)と二人暮らしで子供はいない。
しゅんは会社の先輩に勧められてゴルフを始めたばかりだった。新しいことをはじめて楽しそうにしているしゅんを見て、「共通の遊びを持つのもいいかも、それに家計の足しにもなるしアルバイトをしよう!」と決めたのだ。
自分の夢とかキャリアとかからは離れても、家からそんなに遠くない場所で月10万円くらいのお小遣いがあったらとワクワクしていた。

マリコが交通費の確認をすると、面接官は「電車代は出ますけどバス代は近すぎると出ない場合がありますね、う〜ん、この住所だと自転車で20分くらいの距離だと思いますけどね〜自転車は乗らない?まぁ女性の方もたくさん働いているので、とりあえず始めてみますか〜いつから来れます?」
と軽く流して、ユニフォーム担当の事務員を呼んできた。
白いワイシャツにベストとスカートの事務員が手ぶらで部屋に入ってきた。
マリコは自分が昔勤めていた頃を思い出していた。
もう5年以上も前になるがマリコも事務員の制服を着て働いていたのだ。
ストッキングに黒のパンプス、足の小指にできたウオノメの痛さも懐かしい。入社3年目の時に夏服を新調することになり女子社員は制服のカタログを真剣に覗いていたのを思い出した。
みんなで選んだのはクリームソーダのような淡い水色の制服でマリコはその制服が大好きだった。「懐かしいな」マリコはキラキラしていた30代の頃の自分を思い出していた。

「それとシューズですが足のサイズは?」事務員の質問に気付き
「普段は22.5センチくらいかな・・」とマリコが答えると、
事務員はシューズは大きめで23センチの人もを履いていると言った。
「じゃあ、22.5でお願いします。」と忘れていた営業スマイルで返した。
面接官が戻ると、「では7月からですねぇ、よろしくお願いします。」と、その場で採用が決まってしまった。
マリコは退室の時間を記入してから事務所を出た。面接をしていたのは、だいたい20分くらいだったようだ。

「ありがとうございました。」
マリコはドアを閉めながら思った。
「これは短期で辞めることになるかもしれない、、」10キロの餡子を想像しただけでマリコの背中に痺れが走った。実際、数日前から背中が痛んで呼吸がスムーズではなかった。

会社を出て、春は満開であろう桜の並木を駅までふらふら歩きながらマリコは考えた。
「私って何がしたいんだろ。」

マリコは就職に有利な資格を持っていない。近隣のアルバイトやパートの募集は主にスーパーやコンビニの店員、介護施設や保育園の補助スタッフ、工業団地内の作業員だ。特に目立つのは保育園の仕事だ。マリコが住んでいるのは待機児童がいない事が自慢の町で保育園や幼稚園が溢れていて同時に学習塾も多い。
保育園の募集には無資格でもOKと書いてある園もあるが、無資格、未経験のスタッフが幼児の面倒を見るとなったら主に、おトイレ関連な気がしてそれ以上興味が湧かなかったし、預ける側としても無資格未経験の子なし主婦に預けたいとは思わないだろうとマリコは解釈していた。
0〜2歳の子供を持つお宅での家事手伝いというアルバイトも目についたけれど、ちょっとした育児相談やお母さんの話し相手が仕事内容に含まれていた。ここでもマリコは子なし主婦の出番は無いなと悟り、自分が居ておかしくない場所がないかスマホの画面をスクロールしていくのが日課になっていた。

マリコは今時の育児出産にまつわる改革の報道を見るたびに、重要案件と理解しながらも、なんだか日本に居場所がないように感じるのだった。
結婚するかしないか、産むか産まないか自由に選択できる世の中ではあるけれど自分の立場はずっとマイノリティーであることをマリコは自覚していた。
「何がしたいか」なんてマリコもわかっている。ゴルフもしたいが、子供を産んで母親になってみたいし、家族が増える喜びや苦労を人と同じように経験してみたいと願っている。懐妊する希望も捨ててはいないけれど、長年不妊治療に励んでも授からなかった友人の話を聞いて二の足を踏んでいる。
しゅんとは真剣に話し合いをした事はなく、子供を望んでいるような素振りを見せなかった。
結婚して5年目、人と同じような暮らしがしてみたい願望とマイノリティーを生きる覚悟のようなものの間をずっと行ったり来たりしてる。どちらかに決めてそこに進んでいかなければ、自分が何の価値も無い人間に思えてなんだか目眩が止まらないのである。
「どっちでもいいよ」は、よほど自分で自分を愛している人の境地だろう。マリコは目を伏せ軽く首を振った。

状況や環境に関係なく「私はこれがしたいんだ!」と電光石火のごとく全身に響き渡ればいいのに、そうしたら一気に身体中にエネルギーが回りだし自分が稼働し始めるように思えたが、厚い雲に覆われた梅雨空からは雷の音も聞こえてこない。
雨が弱くなった?と空を見上げると、駅につながるエレベーターの屋根だった。
傘をたたみエレベーターに乗るとマリコは、「改札口」のボタンを右手をグーにして第二関節で押した。

その夜、しゅんに面接の結果を聞かれたマリコは両手の甲を並べて差し出し、「ねぇ、私のこの手を見てどんな仕事ができると思う?」と尋ねた。
昔に比べて少し関節が太くなったと本人は気にしているが、節が目立たない白くふっくらした小さな自分の手を眺めるのがマリコは大好きだ。
モノを作り出す職人の手では無いし、まして10キロの餡子が入った段ボールを持ち上げるための手でも無い。
その時はまだマリコも辞退するとは決めていなかったが、マリコの態度を見たしゅんは、「得て不得手があるし、ゆっくり探したら」と眼鏡を置きながら、寝る合図を送った。


7月

結局、マリコは面接の翌日、会社へ就業の辞退を申し出た。
背中の痛みは酷くなっているようにも感じたし、この状態では1日も保たないだろうと諦めたのだ。
「・・・・自身の体力と経験値を鑑みて今回は辞退いたします。」とメールを打ちながら、やっぱり事務職か販売にしようか考えていた。
なかなか事が始められないのはマリコの性格だ。スパッと決められないのである。
あれがいいかな、こっちかな。どうしよう、どうしようとマリコの心は長すぎるスカートの裾をもたつかせた。見兼ねて誰かが助言をくれたりするが、それでも決められずにいると「はい!時間切れー」と天の声が聞こえてくるようだった。マリコはこの世の時間が有限である事にまだ気付いていないのかもしれない。どこかふわふわしていて不思議ちゃんといえば分かりやすいだろうか。

そんなマリコにも、得意かもしれないと思うことがある。それは人の話を聞くことだ。悩みを相談されやすく、気の利いたアドバイスが出来なかったとしても話した相手は聞いてもらっただけでスッキリしているようだった。

ただ、マリコからすると真剣に話を聞いていないのだ。
逆にそれがいいのだろう。
マリコの話の聞き方はこうだ。相手の話の要所を整理しながら聞く。
時にはメモを取りながら相手の感情に飲み込まれないようにするのだ。
相手の話に起承転結をつけて、あなたの言いたいことはこうですか?と確認をしていき、そしておおかたの話しが把握できたら、「どうなったらいい?」と尋ねるのだ。そこではじめて相手は冷静になるようだった。
特別なトレーニングをしたわけではない。事務の仕事をしている時、クレームや相談事、問題解決の場に居合わせる事が多く、その中で自然に身に付けたものだった。気がつけば、マリコ御指名の電話や来訪が増え、もはやカウンセラーのような存在になっていた。

別の日、マリコはハローワークを訪れていた。
スマホをスクロールする日課は辞めたようだ。
カウンターで相談すると、事務職はあることはあるがキャリア形成を目指す会社がほとんどでマリコの年齢になると枠が少なくなって来るとの事だった。これにはマリコも納得していたが、しゅんが言ったように人には、得て不得手があり自分の得意な事、できる事から絞っていった方がストレスが少ないとマリコは考えたのだ。
とりあえず、ハローワークの求職者登録を済ませカードの発行をしてもらった。ホームページ上で登録番号を入力すればどこからでもアクセスし求人検索ができるらしい。

マリコが帰ろうとすると、カウンターから職員がかけよってマリコに話をかけてきた。
「すみませんね、さっき求職の相談きてたでしょ?もしこういうの興味ないかしら?」とプリントを見せてきた。
「ママサポメイト? あ、でも私子供いないから、ベビーシッターはできないかな。」

すると「シッターさんじゃないのよ、小さなお子さんがいる家庭に行ってもらってママたちの話し相手になるの。もしかしたら簡単な家事を頼まれることもあるかもしれないけど」と職員が言った。
「これから行政が試験的に始めるのよ、よかったら今度説明会をするから参加して見ませんか?」
マリコは直球で返した「子供のいない私がママの話し相手になるとは思えません。ママたちも経験者や専門家に話聞いてもらいたいと思うし。」

「そうね、そうなのかもしれないんだけど、そういう仕組みは既にあるのよね。ママ友サークルとか幼児教育の専門家さんとかね。この企画はね、ママがひとりの人間として社会とのつながりを持てるようにという意味があってね」と話し続けている。

「だとしたら、ママサポメイトって名前おかしくないか?行政のやることってなんかチグハグ、そういえばマイナンバーカードのネーミングセンスどうなん?名前こそAIに任せたらいいのにな。」時々、マリコは辛辣にツッコミを入れることがある。もちろん心の中で。

「分かりました。考えてみて興味あったら参加します。今日は急いでるんで!」とマリコは時計を探す真似をしながらプリントを受け取った。
「ぜひお待ちしてますね!ありがとうございました。」職員に見送られながらマリコは早歩きで出口に向かった。

駅についたマリコは、小腹が空いてきたようで飲食店の看板を見上げていた。「久しぶりだからパスタにしよう!」マリコはパスタが大好きなのだが小麦アレルギーが気になり少し控えるようにしていた。
トマトとモッツァレラのパスタをわりと大口で食べた。ランチタイムは過ぎティータイムの客がチラホラいるだけの店内でマリコはドリンクバーの場所を確認していた。「食べたらカプチーノかなぁ、今日コーヒーまだだったな」
冷えた店内では温かい飲み物がやけにほっとする。

マリコはカプチーノをすすりながら、ハローワークでもらったプリントを見ていた。
「ママサポメイト募集中 0〜2歳育児をしているママパパと地域のサポートメイトさんを繋ぐ新しい試みです。まずは説明会にご参加ください!」という内容だった。
「これはボランティアなのかな?時給書いていないし、まさに説明会で聞いてね。って感じかぁ。やっぱりネーミングがなぁ、つーか誰だってサポートしてもらいけどね」
マリコはプリントを半分に折りたたんでカバンにしまいながらカプチーノの泡が付いていないか口元を気にしていた。



夏祭り

マリコの再就職は決まらないまま関東ではお盆を迎えていた。
世の中は夏休みモードで夏祭りや花火大会のポスターが張り出され、マリコが住む地域でも4年ぶりの夏祭りが行われようとしていた。メインの大欅通りが歩行者天国となり神輿や出店で賑わう。
マリコはしゅんに「お祭り行くでしょ?土日どっちにする?」
「だって俺の休みは日曜じゃん」という返答に
「そうだよ、日曜日に決まってんじゃんね〜」と大きな声で被せた。
マリコたちはコロナ禍で今のマンションに引っ越してきたのでお祭りに参加するのは初めてだった。
祭りの練習をしているのだろう夜風にのって遠くからお囃子が聞こえてくる。それを聞きながらマリコは地元のお祭りを懐かしく思い出していた。
マリコは北関東の小さな集落で育った。
そのお祭りは江戸時代から続いていて伝承芸能の獅子舞は地元の保存会の人たちにより大切に守り受け継がれてきたが、人口の減少で保存会自体が存続の危機だと聞かされてきた。人口減少をすぐに食い止めることは難しいが、地元住民によって毎年工夫のある面白い出し物も見ものだった。
時事ネタをテーマにした寸劇で笑わせる叔父さんたちは今年も世の中を風刺的に面白く魅せる稽古を始めたに違いなかった。

マリコが幼少の頃は、このお祭りが大フェスティバルだった。平日に開催されるにも関わらず隣町や県外からの見物客がきて賑わっていた。
お祭りの2ヶ月前から大人も子供もソワソワしだしお祭りの当日、小学校は休校になる。
全国的に有名な東京や関西のお祭りのような派手さはないが、そのお祭りはマリコたち住民のDNAに刻まれた共通のなにかを表しているようだった。
そんな幼少期を過ごしているため、他の地域の夏祭りに行っても過去の思い出が熱く迸るのを感じるのだ。
小さな集落の小さなマリコにとってお祭りは大きな意味を持っていた。

夏祭りの2日目、日曜日はやけに早起きのマリコたちだった。
しゅんは神輿を見るのを楽しみにしていたし、マリコはどんな屋台があるのかが楽しみだった。
大欅通りはマリコたちのマンションから2分のところにあった。昨夜の賑わいをそのままに通りには沢山の人でいっぱいだった。
「これこれ!この人の多さ なんか久しぶりだね!」マリコたちはうちわ片手に人の流れに沿って祭りを堪能していた。

ソースが焼かれる音と匂い、甘い焦がしバターは海鮮を焼いてるようだった。マリコたちは食べ歩きするか、マンションに持ち帰ってゆっくりたべるかを考えながら歩いた。
地域の飲食店や企業、近隣の大学キャンパスからは大学生による模擬店、〇〇町野球同好会や婦人部、さまざまな看板が並ぶ中にお祭りも今年で35回!という文字を見つけた。
「ここも地域の人たちが守ってきたお祭りなんだ」とマリコは自分も子供のころは地元のお祭りに参加するのが楽しみで仕方なかったのを思い出していた。

昔懐かしい水ヨーヨー、りんご飴や綿あめ、アニメキャラクターのお面を被り上機嫌な子供達があどけなくてたまらなかった。
「原始的なおもちゃが逆に新鮮なのかもしれないね」としゃんは笑っていた。
マリコは、子供よりお父さんたちがはしゃぐ姿も微笑ましかった。

「これ買おう!こういうの子供ん時、買ってもらえなかったの」マリコはクルクルと光りながらピコピコ音が鳴るボールペンを見つけた。
更に鳥の羽で飾られたゴージャスなボールペンはまるで魔法のスティックのようだった。
子供の手には持ちにくいし文字も書きづらい、光るあのクルクルの部分は夏休みが終わる頃には力の弱くなった蛍と一緒だということを親は確信していたのだろう。
マリコも欲しい欲しいとごねることもなく、ポップコーンの香りに誘われすっかり忘れてしまうのだった。
大人になったマリコも、どうしても欲しいわけでは無かったが、大人になると子供の頃できなかった小さな欲望を消化したくなったりするのだ。
クルクルピコピコ光る鳥の羽がついた魔法のスティックを振っていると、小さな充足感で満たされた。

大欅通りを端から端まで歩いた頃、マリコは「ママサポメイト」の看板を見つけた。
「あれ?なんか前にチラシもらったっけな。」
子供連れの夫婦が数組、話しを聞いていた。
「よかったらどうぞ!」とチラシを差し出されてマリコは思わず受け取ってしまった。ある夫婦の会話が聞こえた「ママ友て良い時と悪い時あって、ちょっと面倒なんだよね、うちらみたいに引っ越す可能性ない地元組は特にさぁ」
結局マリコたちは35度を超える暑さに耐えられず、美味しそうなあれこれをピップアップし涼しい我が家でのんびり食べることにした。


梅雨明け

マリコお祭りで貰ったチラシを読んでいた。
「ママサポメイト 0〜2歳育児をしているママパパと地域のサポートメイトさんを繋ぐ新しい試みです!お気軽にご利用ください。」
0〜2歳児の親、育休中の方、地方出身で日常的な親族の援助が難しい方 などを対象にしているようだった。
料金は1時間1,500円と書いてあったが、詳しく読むと料金の一部を行政が補助すると書いてあった。ということはボランティア活動ではないらしい。
マリコは少し興味を持った。
説明会は平日の夜1日と毎週日曜日に役所で行われ、希望すればリモートでの参加も可能だったので参加してみようと思った。

説明会当日、マリコはリモートで参加することにした。
担当者からの挨拶があり、ママサポメイトの趣旨から話が始まった。
・子供が生まれて保育園や幼稚園に通うまでの1〜2年は育休を利用しながら、できるだけ子どもの側にいたい。
・乳児と親の時間は尊いものだが、親は急に社会が狭く小さく感じたりして孤独になる。
・ママ友同士の繋がりは場合によって価値観の違いがストレスとなる。
・相談したり手伝って欲しい気持ちはあるが協力者(特に親)の主観や昔ながらのやり方を押し付けられそうで負担を感じている。
・あくまでも子育ては夫婦でしたいので家事だけ手伝って欲しい。

沢山の意見よりも少数意見に着目したらしい。
マリコは、少数意見こそ実は多くの人が言えない本音が語られているかもしれないし、本来、自治体や行政は多数意見に応えていくイメージがあるけれど敢えて少数意見をテーマにした試みは、さまざまな家庭環境やパーソナリティーを取りこぼさないようにしようという優しさを感じていた。

説明会は続き、「友達や家族でも話しづらい事も気楽に話せる、旅の途中で会った期間限定の友人のような存在で、親たちが心身ともに健康に子育てを楽しめるよう、やり過ぎないサポートが必要だと考えています。そのため指名制も設けません。」

「たしかに身近か過ぎて言えないことってあるよね、逆に。」マリコは、このママサポメイトは単に育児や生活負担を軽減しようというものではないと思った。
あの時、ハローワークの職員が言おうとしたことが分かるような気がした。
ベビーシッターや育児専門家じゃなくて、必要とされているのは程よい距離間のあるトモダチ。
昨日までは赤の他人、今日はトモダチ、そして明日はまた他人になる。

SNSを通じて知らない者同士が共感し盛り上がる現代なのだから、ライトな関係を選ぶのも理解できる気がした。
保育園に通う頃、我が子は赤ちゃんではなくなる。親たちは自分の足で歩き走り出す子供を追いかける事が増え、体力勝負なところもある。
子供の成長に合わせて、その時に求めるものも変わってくるだろう。
いつかシッターさんが必要になる時がくるかもしれない。
「そうか、だから2歳までなんだ。」
「指名制」は無く、あくまで旅の途中で会った期間限定のトモダチという設定、もしかしたらまた何処かで会うかもしれないという設定。互いに負担にならない関係。

説明会の最後に、「育児は大変ですし責任もあります。多くのお母さんは会社で働いている方が楽だと言います。育児の正解や適切なアドバイスは、子供の成長と共にいずれ発見していく、その楽しみや喜びは誰かに与えられるものではありません。
私たちは子育てを難しく思わないで欲しいんですね。もっと楽に捉えて欲しいと願っています。
育児の経験者もお子さんがいない方にも同じことを願っています。
一人一人違う者同士が集まっているのが地域でコミュニティーなんです。年齢や性別、趣味、コトバの違いがあって当たり前、私たちは皆さんの参加をお待ちしています。」と締め括られた。

マリコは育児の経験がない自分が居てもおかしくない場所かもしれない。と興味を持った。
「いや、もしかしたら経験がないのが逆にいいのかもしれないな。相手を気にせずにぽろっと本音を吐けるような時間があって、どうでもいい話で笑って。カラッと晴れた日みたいな気持ちで子供と過ごせたら、、いいかも」
自分もこんな感じて楽に子育てできたらとマリコは少し嬉しくなった。

マリコは、あの魔法のスティックを右手でクルクル回しながら窓の外を見上げた。
いつ梅雨が明けたのだろう、クリームソーダ色の空にソフトクリームのような夏雲が美味しそうに浮かんでいた。













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