みんな~アップデートやってるか!

◆クリス松村がパーソナリティを務めているラジオの音楽番組を毎週聴いている。◆ゼロ年代において、クリス松村はいわゆる“おネエキャラ”としてテレビに登場した。西洋風の顔立ちと女性的な語り口のアンバランスがもたらすインパクトに加え、周りから茶々を入れられているときのリアクションの激しさが受け入れられて、コミカルなキャラクターとして世間に認知されていた。正直、コンプライアンスが強化されている今の時代から思うと、ちょっと信じられないような扱いを受けていたように記憶している。◆そのイメージが払拭されないまま迎えた令和の時代。ある時、ふとしたきっかけで氏のラジオ番組を聴いてみて、大変に驚いた。過去にテレビバラエティで見せていた彼の姿とは、まったく違っていたからだ。落ち着いたトーンの語り口、圧倒的な知識量、言葉の節々から滲み出る音楽への異常なほどの敬意と愛情。氏のトークにすっかり引き込まれてしまった私は、それから番組を毎週聴くようになった。と、同時に、クリス松村という人物に対する認識も、「リアクションの激しいおネエキャラの人」から「音楽への愛が異常な人」へとアップデートされたのである。◆その後、しばらくして、とある番組でクリス松村の名を目にした。その場にクリス自身はいなかったが、話の流れで名前が挙げられたのである。番組内でクリスは、当時と同様に「リアクションの激しいおネエキャラの人」としてイジられていた。正直、違和感を覚えた。「未だにクリス松村をその程度にしか捉えられていないのですか?」と。◆とはいえ、すぐに思い直した。何故ならば、私がそういう感情を抱いたのは、私が氏のラジオを聴いていて、氏の音楽愛好家としての側面を知っているだけに過ぎないからだ。自分が知っていることについて、相手が知らなかったときに、「どうしてそんなことも知らないのか!」と詰め寄ることが許されるのは、永遠の五歳児だけである。◆それに、「リアクションの激しいおネエキャラの人」としてのクリス松村もまた、その人間を形成する要素の一つであることには間違いないのだ。人間は一つの人格でのみ成立するものではない。親には子の顔をするように、恩師には生徒の顔をするように、親友には友の顔をするように、人は時と場合に応じて、その表情を変えるものである。◆ただ、クリス松村という人間が、世間からは一面的にしか捉えられていないことに、うっすらと寂しさのようなものを感じた。掘り下げてみれば、この人はもっと面白くて、もっととんでもない人間だってことが、きっと分かってもらえるはずなのに……。◆しかし、それはきっと、クリス松村に限った話ではない。私が知らないだけで、かつてテレビでよく見かけた人たちの中にも、とんでもないキャラクターやエピソードを表に出していなかった人が沢山いたに違いない。でも、それらをいちいち掘り返すほど、テレビは悠長なメディアではない。新しいスター、新しいキャラクター、新しい時代の空気を身にまとった人たちを発掘するのに大忙しだ。そして、それは私たち視聴者の心の中で渦を巻いている、新しい刺激を求める欲望に答え続けた結果であるともいえるのだろう。……ということは、新しい側面を知らしめることで、過去の人と思われた人物の魅力を再度知らしめることも出来るのかもしれない。◆つまり、何が言いたいのかというと、この文章をきっかけに一度でいいからクリス松村のラジオを聴いてもらいたい、という話である。お暇なときにでも是非。

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