ブロックの傷を舐め合うよ

◆随分と前から、芸人KにTwitterでブロックされている。◆理由は分からない。ただ、その事実を知った当時、私は彼のコンビの漫才についてブログなどでかなり厳しいことを書いていたので、それが理由なのだろうと思っていた。自らの漫才に対してプライドを持っている人は、そういった文章を読みたくないものだろうと理解したのである。◆だが、後に芸人Kがかなり多くのお笑いファンをブロックしていると知って、考えを改めた。どうやらKは、自分に対する意見を単純にノイズとして捉えてしまう人なのだ。だから、私のようにキツいことを書くことのない、割と一般のファンでもブロックしてしまう。SNSの使い方は人それぞれだ。そういう使い方もまた尊重されるべきである。◆……と、そのように考えるのは、あまりにも芸人に対し、優しすぎるような気もする。◆正直なところ、私は芸人Kおよび彼のコンビのファンではない。漫才師としては一定の評価をしているが、いつまでもずっと活動を追い続けたい漫才師とまでは見ていない。無論、これはあくまでも現時点の話であって、将来的に心底惚れてしまう可能性は否めない。だが、今のところは、そんなもんである。そんなもんだから、ブロックされたときのダメージが少ない。◆これが彼のコンビのファンだった場合、どうだろう。彼のコンビの漫才が大好きで、そんな漫才を作っている芸人Kのことが大好きな人だった場合、当人にブロックされたときにはやっぱり傷つくのではないだろうか。「どうしてブロックされたのだろう」と困惑し、苦悩し、その理由を自分の中で探し始めるのではないだろうか。そして、Kが他のファンのこともブロックしていることを知って、ようやく安心するのである。「ああ、私だけじゃなかった。他の人もブロックされているんだ。芸人Kはそういう人なんだ」と。◆そんな負担をファンが強いられなくてはならない理由がよく分からない。◆芸能人にとって、SNSはファンに情報提供する場でもある。芸能人仲間とのちょっとしたやり取り、さりげない日常を撮影した写真、そんなありきたりなものから滲み出る芸能人の日常を、ファンは大変に有り難がる。だからこそファンは好きな芸能人のSNSアカウントをフォローする。そんなファンのことをどうしてブロックするのだろう。迷惑行為を被ったというなら分かるが、どこにでもいるような一般のファンである。出演番組や単独ライブの情報を積極的に拡散し、多くの人に知ってもらおうとする人たちのことを、どうしてブロックするのだろう。ファンのことを何だと思っているのだろう。◆ブロックはただ他人の発言を目にしなくていいだけの機能ではない。相手にブロックしたことを知らせる機能である。今後、お前から流れてくる情報は、全て拒絶するということを相手に表明する機能である。それがファンにとってどれほど痛烈なダメージとなるか。それでもついてきてくれる人をファンとして認めるということなのだろうか。それは精神的なドメスティックバイオレンス的な構造になっていないか。◆先程、芸人Kからブロックされて落ち込んで、無作為に「芸人K ブロック」ツイートを検索して回っているファンのアカウントを見かけて、そんなことをふと思った。正直、Twitterのブロック機能についての文章はあまりウケが良くない(以前、好きな芸人にブロックされたショックで、感情のままに書き上げたブログ記事が炎上している。そういえば、あの記事の炎上に加担した人たち、何処へ行ったんでしょうね)ので、しばらく言及するつもりはなかったのだが、「やっぱりブロックされたらヘコむよなあ……」と思い、改めて書いた。◆最後に余談だが、元々は芸人の名前を実名で書いていたのだが、こういう話を実名ですることに拒否反応を起こす人がいるようなので、念のために匿名にした。私自身は別に気にしない。あくまで事実を書いているだけであって、ゴシップ誌のように胡散臭い噂を書いているわけではないからだ。フン。◆

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