なんだかんだで文章を書く人生を選んでしまったのであった

◆「小説家」という職業に憧れを抱くようになったのは、中学生のころだったように記憶している。とはいえ、特に小説が好きだった、というわけではない。『スレイヤーズ』や『ラグナロク』のようなラノベを読んではいたけれど、それは物語の世界に没頭したかっただけで、いわば漫画の代用品のようなものだった。◆それでも、漫画家になろうとは考えずに、真っ先に小説家を目指そうとしたのは、ちゃんとした理由がある。そちらの方が努力せずともなれそうな気がしたからだ。当時の私は、漫画家になるには多かれ少なかれ根本的な画力が最低条件となるが、小説家になるにはひとまず日本語を理解していればなんとかなる、という認識を持っていたのである。我ながら、なんとも情けない。とはいえ、それでも何度か小説は書き上げたが、いずれも設定やキャラクターばかりが先行して、中身の伴わないものばかりだった。そもそも私には、文章で表現したい物語も、物語を通じて訴えたいメッセージも、何もなかったからだ。結局、大学生になったあたりで、小説家になるのは諦めてしまった。◆その替わりに、私は「ライター」に憧れるようになった。お笑い好きが高じて読み始めた『クイック・ジャパン』のコラムの面白さに魅了されて、「こういう文章を書ける人になりたい」と思うようになったからである。とはいえ、ライターになるのはどうすればいいのか、よく分かってはいなかった。どうしたものだろうと思っていた矢先、ブログを運営している人がライターとして発掘されるパターンがあることを知った。で、浅墓にも、「これだ」と思ったのである。ブログで面白い記事を書き続けていれば、いつかどこかの雑誌に拾い上げられるに違いない。そう考えたのである。その結果、大学を卒業するまでの間、私はずーっとブログを更新し続けた。同時期、お笑いブームが到来したことで、お笑い好きな私の書くテーマに困らなかったことも大きかった。『爆笑オンエアバトル』の感想文、お笑い芸人のDVDレビュー、賞レースのネタ感想など、書けば書くほどアクセス数が増えていった。だが、雑誌からの執筆依頼が来ることはなかった。本当にライターになりたいのなら、もっとそういった媒体に売り込みをかけなくてはならなかったのである。◆しかし、継続は力なりとはよく言ったもので、そんな私に迂闊にも声を掛けてきた会社があった。お笑い芸人のDVDを専門で取り扱っているDVDレーベル・コンテンツリーグである。当時、コンテンツリーグは自社制作のフリーペーパー『SHOW COM』を出そうとしていたのだが、そのメインライター三人のうちの一人に私が選ばれたのである。ちなみに、残りの二人は、うしろシティ(当時)の阿諏訪泰義さんと日本エレキテル連合の中野聡子さんである。場違いにも程がある。『SHOW COM』は2014年5月ごろにvol.1が世に送り出され、私の連載は2019年2月に配布されたvol.28まで続けられた。ちなみにこの『SHOW COM』だが、公式サイトには2020年4月のvol.34までの情報が掲載されている。もう今は出ていないのだろうか。◆『SHOW COM』の連載終了後、私は燃え尽き症候群のような状態になっていた。正直、原稿料は子どもの小遣い程度ではあったが、自分の文章が紙媒体に掲載されることの興奮と緊張感は凄まじいもので、それが終わってしまったことに少なからずショックを受けていたのである。また、この頃には私は既に就職しており、「ライター」に対する憧れもすっかり消え失せていた。何かを始めるのに遅すぎることはない、という文言があるが、それはやる気のある人に限って適用されるべき言葉である。多くの人にとって、何かを始めることよりも、ずっと目の前の生活が優先されるべき大事なことなのである。私はすっかりSNSで下らないことをツイートし続けるだけの凡人になっていた。とはいえ、ブログの更新は辛うじて続けていた。正直、やる気はなくなっていたが、ブログに掲載したDVDレビューはもはやビッグデータのようにそびえたっていて、これらを途中で止めてしまうのも惜しいと感じていた。◆そんな折、出版社から連絡が入った。「今度、電子雑誌を発行するんですけど、良かったら執筆して戴けませんか?」。私がSNSで書き込んでいるツイートやブログを見て、依頼しようと決めたのだそうだ。何かの冗談ではないかと思ったのだが、どうやら本気らしい。それからしばらくして、私が執筆陣の一人として参加する『読む余熱』は2020年11月に創刊された。当時、「評判が良くなければ一年で終わるかもしれない」というような話を聞いていたが、それでも今年で二年は維持されたことになる。それぐらいには売れているということなのだろうか。正直、書いている身としては、あまり実感はないのだが。◆振り返ってみると、文章を書く人間として何かを成し遂げたという感覚を抱くことなく、現在地に辿り着いているのはまったくもって不思議としか言いようがない。私よりもずっと面白い文章を書く人はいるし(どこでもいいから芽むしりさんをとっとと拾い上げるメディアが出て来てくれないものか)、私よりも今のお笑いに詳しい人はたくさんいる。これはもう運が良かったとしか言いようがない。とはいえ、その運を引き寄せてくれたのが、これまで無駄に続けてきたと思っていた文章活動だったのだとするならば、これもまた実力のうちと言ってしまっていいのだろう。◆もっとも、こんなことを偉そうに書けるのも、今だけなのかもしれないが。◆

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