出てくんなよ老婆心

◆少し前に、質問箱で「まだシロウトのつもりなんでしょうか?」という文言を頂戴した。私がTwitterで他のアカウントからブロックされたことについて、いちいちツイートしていることが気に入らないらしい。「ブロックの火種があなたにないわけではないのでは?」という旨のコメントも書かれていた。◆ブロックの火種云々に関しては、私も否定するつもりはない。私は品行方正な人間ではないし、下衆でみっともないツイートも日常的に吐き出している。そういう姿勢を嫌っている人もいるだろう。だから、私のことを「コイツ、うるさいし気持ち悪いからブロックしてやろう」と考える人間がいたとしても、まったく不思議な話ではない。◆とはいえ、ブロック機能を利用するということは、相手とのコミュニケーションの機会を打ち切るということだ。今後、余程のきっかけでもない限り、相手に自らの情報を渡すことはないし、相手の情報を見ることもない。それが私にはとんでもなく寂しいのである。無論、世の中にはたくさんの人間がいて、「この人とは分かり合えないな」と思うこともあれば、「この人のことは好きになれないな」と思うこともある。◆とはいえ、人間は一面的な存在ではない。それまで忌み嫌っていた相手であっても、ある事象に対する意見の一つとして、「なるほど、そういう考え方もあるのか」と理解を深めるきっかけを与えてくれる可能性もある。その可能性を、ブロック機能はあまりにも容易に切り捨ててしまえる。その容易さが寂しいし、怖い。なんだか、Twitterのアカウントの向こうに人間がいることを忘却して、一つ一つをコンテンツとして処理してしまっているような感覚を覚える。その相手が直接、攻撃的なリプライや引用リツイートを飛ばしてきたというのであれば、仕方のないことではあるのだが……。◆だから、私は容易に他者のアカウントをブロックできないし、他者からブロックされたときに大いに落ち込むのである。よっぽど嫌われてしまった、という可能性もあるのだけれど。それはそれで落ち込むに足る理由といえるだろう。◆シロウト云々に関しては、よく分からない。真のプロフェッショナルは他者のアカウントにブロックされたからといって落ち込まないということなのだろうか。或いは、そんな感情など表に出さずに、そっと胸の奥底に仕舞っているということなのだろうか。なんとも読者に都合の良い話である。もっとも、それがプロとして正しいスタンスであることは、否定しない。思うに、読者の需要に対し、不純物の少ない供給物を提供できる人間をプロと呼ぶのだろう。だが、私は別に、自らをプロだとは思っていない。なんとなく趣味でやってきたことが、なんだか一部の層に評価されて、ちょっとだけ仕事に繋がっているだけに過ぎないと思っている。なので、プロとしての自覚はない。当然のことながら、それでも頼まれた仕事は全力で取り組むが、普段の振る舞いについて指導される筋合いはない。それは余計な老婆心というものである。◆……と、そんな大層なことを書き連ねている私にしても、以前、他人に対して老婆心を働かせたことがある。十年ほど前のことだ。とある有名なブロガーがライターとして活動を開始したころに、私は敢えて氏に対して批判的な態度を取ったのである。プロのライターとして活動するのだから、これまでのような気軽なスタンスを取ってはならないと指摘するようなことを、遠回しに書いていたのである。お前自身がまだ何者にもなっていなかったというのに、なんでそんなにも偉そうなことをいえるのか。日頃、「黒歴史」という言葉を批判的に捉えている私だが(どんなに目を背けたい過去でも、その過去があってこその今があると思っているので)、この件に関しては「黒歴史」と呼べるのかもしれない。今でも思い出すたびに悶絶する。ちなみに、このブロガーというのが、てれびのスキマさんである。後にオフ会でお会いしたときに、この件について謝罪したのだが、当人は何も覚えていなかった。……本当かしら……。◆そう考えると、くだんの質問箱に投稿してくれた人も、本当に私のことを心配してくれていたからこそ、ああいう厳しい言葉を投げかけてくれたのかもしれない。でも、質問箱という匿名で質問を投稿できるサービスを駆使して厳しい助言を投げかけてくるというのは、やっぱりあんまり良くないんじゃないか。おかげで、過去に私のスタンスに厳しい言葉をかけてきた人たちの顔が浮かんできて、「あいつが投稿したんじゃないか」「こいつが投稿したんじゃないか」って疑心暗鬼になり始めているんだけれど。……って、こういうことを書くのもプロとしてあるまじき行為なのかね。知らんけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?