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ミニコミ、ZINE またはファンジン

フリッパーズ・ギターの3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』の発売から30年を記念して"当時の記憶の記録"をコンセプトに製作されたファンジン『 FOREVER DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER 』が7月10日に発行される。私も「ヘッド博士とわたし」という記事に寄稿している関係で、当時のことを思い出すために5月の終わり頃はフリッパーズ・ギターのDVDを久しぶりに見返していた。するとあの頃の感覚が頭の中からぶわっと溢れるように蘇ってきて、自分がフリッパーズをどれだけ好きだったかを嫌というほど思い知らされた。果たしてそれが幸せなのかはわからないけれど、音楽を聴くだけでいつでも10代の頃に戻れるから不思議だ。懐かしさで胸がいっぱいになりながら昔の映像を辿っていたら、思い出したことがある。地元に新しくできたボーリング場に好きな曲のミュージックビデオを選べるレーザーディスクが内蔵されたジュークボックスがあり、そこに何故かフリッパーズの曲が入っていることを知って、学校をサボって友人と2人で出かけた。所持金のほとんどを小銭に換えて、昼間の閑散としたボーリング場の使われていないモニター全部に「SLIDE」のサイケデリックな映像を何度も何度も映し続けながら、制服姿のままでコーヒーミルクを片手に並んで座って、何時間もその画面を2人でぼんやりと眺めていた。フリッパーズ気取り。テロリスト気取り。
"哀しいこと、幸せな午後、まるで平気” 
なんて感じで。


その時の記憶を今回の原稿につらつらと書いてみて、結局はほとんど消した。「SLIDE」は『ヘッド博士の世界塔』の曲ではないし、思い出は1992年の話だし、そもそも1991年にはまだその友人と出会っていない。フリッパーズの解散のショックを半年以上も引きずっていた暗い私に、バイト先の子が「私の中学校の時の友達で似たように落ち込んでるフリッパーズ好きの子がいるよ。祐子ちゃんと同じ高校に通ってるから会ってみなよ」と名前を書いた紙を渡してくれて、隣のクラスに探しに行ったのが確か1992年の春。すぐに仲良くなったその友人と私はのちに『音楽殺人』というミニコミを一緒に作ることになる。第1号の特集はフリッパーズ。学校帰りに毎日のように友人宅に寄り、見よう見まねで手書きとワープロの作業を繰り返し、駅の近くのコンビニのコピー機で用紙トレーを勝手に開けて大量の両面コピーをするたびに紙を詰まらせ、また来たか……とあからさまに店員に嫌な顔をされても平気で使い続けるメンタルの強さをいつの間にか身につけた。おかげで行動力だけは人一倍で、自信があるかどうかなんて構わずいつも先に動いていたから、完成したものを勢いに任せていろんな所にとにかく送りつけてみた。女子高生だったのが面白がってもらえたのか、ラム・ジャム・ワールド周辺やブームの事務所の人たちと知り合ったり、クラブキングに入り浸ってそのノリでいくつかお手伝いをしたり、ここでは書ききれないくらいの貴重で楽しい経験をして、振り返れば全部がたった2年のあいだに起こった出来事だと思うと、なんて濃密な高校生活を送っていたんだろうと驚くことばかり。そして『英国音楽』もよく知らないくせに、フリッパーズのデビューに関わっている人が作ってるらしいよ、と思い切って『米国音楽』にも送ってみたら、小出亜佐子さんの「おひさま広場」のコーナーで紹介していただき、『米国音楽』内のコラム記事などにも何度か参加したことも手伝って『音楽殺人』は一気に300部くらい売れた。2018年春に行われた野中モモさんとばるぼらさんの『日本のZINEについて知ってることすべて』の発売記念のトークイベントや『ミニコミ 「米国音楽」とあのころの話』を通じて小出さんの情熱や功績を改めて知ったあとで、今回のフリッパーズのファンジンでまたご一緒できたのは光栄なことだし、とても感慨深い。ちなみに小出さんの結婚パーティーに呼んでいただいた際に、隣のソファーにコーネリアスになるかならないかの時期の小山田圭吾が座っていて、緊張のあまり何もできずにじっと黙っていたのも今となってはいい思い出。

もうひとつ感慨深いことがある。大昔のことなのでどうも記憶が曖昧でどこで手に入れたのかは忘れてしまったけれど、当時すでにその界隈では有名だったフリッパーズのファンジン『 FAKE 』を高校生の頃に読んで影響を受けた私たちは、そこに載っていた引用リストのページを『音楽殺人』の第4号の電気グルーヴ特集でそっくりそのまま引用し、制作者のひとりの大塚幸代さんに送りつけた。送りつけたものの、それがきっかけでいざお会いできることが決まると急に小心者な部分が顔を出し、丸パクリもいいところなのに事後報告なんて怒られるんじゃないかとびくびくしながら約束の場所に向かった。現れた大塚さんは怒るどころか「全然いいですよ~」とかなんとか言いながら終始ニコニコ笑っていて、横須賀の山奥に住む高校生達からするとだいぶ大人っぽいお姉さんに見えた。ショートカットに長い手足で白いシャツを着ていた大塚さんに会ったその日、帰りの電車の中で「大塚さん、小沢君に似てたよね……」「だよね!好きすぎると似ちゃうんだねえ……」と友人と話したものだ。その後もどこかで1度お会いしたり、雑誌などで度々お名前を見つけたりしたけれど、私の中の大塚さんはその時の印象のままでずっと保存されていた。数年前に大塚さんが亡くなっていたことをだいぶ時間が経ったあとでツイッターで知った。ショックだった。しかしインターネットに残っていた大塚さんの思い出を辿っていくうちに、私が昔『音楽殺人』で引用した元ネタリストの作成者をなんと見つけることができた。それが今回のファンジンの企画・編集人であるトオルさん。だから誘っていただいた時は自分に何ができるかはともかく、30年も経ってこんな形で大好きなフリッパーズと、そしてミニコミやZINEと呼ばれる文化に関われることが嬉しかったし、微力ながら編集作業を少し手伝い、完成していく様子を見届けているうちに何とも言えない感情が沸き出てきて、誰かが繋いでくれた今までの数々の縁に心から感謝をした。


どんなに素晴らしい音楽も誰かの称賛や理解があるからこそ価値が生まれると思うし、リスナー側がそれを続けて残していくための小さな手段としてZINEやミニコミが存在することは私にとっての希望であり、モノを作る人の衝動というか熱量にいつまで経っても心を動かされてしまう。机の上の落書きや、深夜の長電話や、匿名の掲示板への書き込み、海を越えて届いたメール、とりとめのない呟きや、24時間で消えていくストーリーズ。何かを伝えたいと思う気持ちはいつの時代もどこかにあり、形を変えながら流れていくけれど、ZINEは情熱の塊で、その塊は誰かの本棚や引き出しの奥にきっと残り続けていくはずだと信じている。


#フリッパーズギター
#音楽

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