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エンディングにもまた「お約束」が!:ゴジラ-1.0を見て(5)

 ゴジラ-1.0についてのネタバレ感想、気づいたら4回も続いてしまいました。今日はいよいよ最後、エンディングです。遅くなってすみません。

未見の方はご注意を








 その前に1つ。ゴジラはなぜ放射能を帯びながら生きていられるのでしょうか?

 1つのSF的回答を示したのが「ゴジラvsビオランテ」です。「ゴジラの細胞には放射性物質を無力化する遺伝子がある」と考えられ、ゴジラの細胞=G細胞をめぐる攻防が物語の大きな軸となりました。「ゴジラvsビオランテ」で、日本はG細胞の遺伝子を組み込んだ「抗核バクテリア」を培養し、ゴジラに打ち込み、増殖させることでゴジラを倒そうとします。

 なぜいきなりG細胞に触れたかというと、ゴジラ-1.0にも、G細胞を匂わす場面があるからです。もちろん、時代設定は1947年ですから、遺伝子操作の技術は存在しません。
 しかし、ゴジラが銀座を襲撃したあと、街が封鎖され、ゴジラの皮膚片を回収しているように思われる描写があります。「これは続編に向けた伏線なんだろうか?」と思える描写ではあります。

 また、G細胞といえば、最後に大石典子と敷島浩一が再会したときに、典子の首元に見える痣がG細胞によるものではないか?という見方もあります。とても生存しているとは思えない状況で生き残ったというのもそうした考察の根拠になっています。

 私は、直前の出張帰りの機内で、毛利蘭が相手の首筋に与えた打撃による痣が事件解決の1つの鍵になった「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」を見たばかりだったということもあり、単に銀座で吹き飛ばされたときに痣がついただけかと思ったのですが(笑)。

 なお、東宝特撮映画で、放射線による生物のモンスター的突然変異を扱った作品は、「ゴジラ」だけでなく、「美女と液体人間」や「マタンゴ」があります。 仮に典子の痣がG細胞によるものだとすると、続編は「ゴジラ」というより「マタンゴ」みたいなものになるのではないか?とも思ってしまうところです。

 さて、本題のエンディング。典子の首元の痣の場面に続いてスタッフロール。そして最後に水中でのゴジラの咆哮が聞こえてきます。このとき私が思い出したのは、実は「ゴジラvsデストロイア」のあの謎めいたエンディングでした。ひと言で言うと、「ああ、ここでもゴジラ映画の『お約束』に忠実なのね」という感想です。

 実はゴジラ映画は、ゴジラを倒してハッピーエンドというより、今後に向けた不安を残すような、もっとはっきり言えば、ゴジラがまた出現してくる(続編があるかもしれない)含みを残した終わり方をすることが多いです。
 そもそも1954年版の「ゴジラ」も、オキシジェン・デストロイヤーでゴジラを物理的にも葬り去るものの、山根博士の「あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また、世界のどこかへあらわれてくるかも知れない」との台詞があり、再出現への含みが匂わせられています。
 三原山の火口にゴジラを突き落とす1984年版の「ゴジラ」でも、作戦の発案者である林田博士の、これでゴジラを葬ることができるとは考えていない、という意味の言葉があります。続編の「ゴジラvsビオランテ」では実際に三原山からゴジラが復活します。そしてエンディングでは抗核バクテリアを打ち込まれたゴジラが自力で日本海に去って行きます。

 「ゴジラvsデストロイア」は、1984年版の「ゴジラ」から始まったシリーズの最終作にあたりますが、最後の最後に、メルトダウンしたはずのゴジラが残した霧の向こうにゴジラの姿が現れ、咆哮を上げます。シリーズ最終作であるにもかかわらずです。
 このように、「ゴジラは死んでない」という余韻を残して終わるのもまた、言ってみれば「ゴジラ映画のお約束」といえるのです。

 ゴジラ-1.0でも、水深を利用して圧力差でゴジラを倒した!と思わせながら、最後の最後に水中でのゴジラの咆哮が響き渡ります。このとき、私は「ゴジラ-1.0は、やっぱりお約束に忠実なんだ!」と強く感じ、ニヤリとしたのでした。


 ゴジラについて、まだまだ話したいことがありますが、ここでいったん打ち止めにします。続きは12/1の文春ウェビナーで(笑)。

 




 

 


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