見出し画像

日本のチェーンソー史

はじめに

ホラー映画「悪魔のいけにえ」に登場する殺人鬼が使用することで一躍(?)有名になったチェーンソー。チェーンソーのイメージがスプラッターorホラーorアクションと強く結び付くようになったのは、本邦においては恐らくここからだと思われる。以降、創作物において凶器や武器などとして登場するようになったチェーンソーであるが、このnoteでは特にその一面には触れない。

本noteは、道具としてのチェーンソー、特に「木を伐る機械」としてのチェーンソーに着目し、どのような経緯で日本に導入され、普及していったのか、つまり「日本のチェーンソー史」を語るものである。



チェーンソーの画像
現代の一般的なチェーンソー(※図は2007年の製品なのでまあまあな中古)
大型ではない製品だが燃料抜きでも5 kg以上あるので割と重い
筆者撮影

0.チェーンソーとは

チェーンソーの日本史を語る前に、まずは現代の林業機械としてのチェーンソーの説明を書いておこうと思う。

林業機械の区分を説明する画像(手持機械・車両系機械・架線系機械・その他の機械があります)
林業機械の区分
筆者作成の動画「メリーとチェンの教えて!林業機械!」から抜粋

「林業で使う機械(林業機械)」には、大きく分けると三つの種類がある。
「手持機械」「車両系機械」「架線系機械」である。一般的なチェーンソーはこのうちの「手持機械」に該当し、作業をする人が一人で取り回しできるものとなっている。「手持機械」の他の例としては、刈払機(草刈機)や苗を植えるときに穴を掘る機械などがある。

林業機械としてのチェーンソーを簡単に説明するのならば、「動力によってチェーン状の歯(ソーチェーン)を動かし、木材を鋸断する機械」となる。
この動力の大元は、ガソリンエンジンだったり、電動モーターだったり、大型の機械の付属品であれば油圧駆動だったりするが、日本の林業で利用される(手持機械の)チェーンソーではガソリンエンジン(もっと詳しく言うと2サイクルガソリンエンジン)であることが多い。燃料にはガソリンとエンジンオイルの混合燃料を用いる。

さて、このチェーンソーを林業のどういった作業で用いるのか。大雑把に言うと「木を伐ったり、伐った木の枝を切り落としたり、短く切って丸太にしたり」するときに使う。専門用語で言うなら「伐倒」「枝払い」「玉切り」の工程である。チェーンソーの導入以前、これらの作業は斧や鋸で行われていた。筆者も斧と鋸で木を伐ったことはあるが、時間が掛かる上にとんでもなく重労働だった。労働負荷の減少と作業効率の向上のために、この作業が機械化されるのは必然だったと言ってよい。現代において、木を伐るときに斧が使われるのは、特殊な神事の際といった限られた場面である。

この項の参考文献:
伊勢神宮・第62回神宮式年遷宮(御杣始祭の項を参照のこと):Online,(https://www.isejingu.or.jp/sengu/the62nd/),2024/02/21参照.
大河原昭二(1991)林業機械学.主に69~92p,文永堂出版,東京.
東京農工大学農学部森林・林業実務必携編集委員会(2007)森林・林業実務必携.主に220~223p,朝倉書店,東京.

日本のチェーンソー史

1.大正・昭和初期の“動力鋸”

日本のチェーンソー史は大正時代に始まる。大正年間から昭和30年代頃まで、発動機の付いた伐倒機械の類のものは、刃がチェーン状のもの(→現代のチェーンソーに近いもの)、板状のもの(→正確にはドラグソーと呼ぶ。大鋸に動力が付いた機械)ひっくるめて「動力鋸」や「自動鋸」「鋸機械」などと呼ばれていた。本邦内で使用された確かな記録があるものでは、1920年(大正9年)に木曽の小川御料林(長野県)に導入されたというドラグソー、1921年(大正10年)に北海道庁が米国から購入し、丸太を切る用途で留辺蘂・置戸の貯木場へ配置したドラグソー、そして1920年(大正9年)樺太庁に導入され、後に青森や秋田の国有林を転々とした動力鋸(刃はチェーン状)が挙げられる。これらの機械はいずれも複数人で使用する大型のものであり、エンジンの故障が多かったり、重かったり、騒音が激しかったりということで、本格的に採用されるまでは至らなかった。

昭和に入った後も太平洋戦争以前は傾向としてはあまり変わらず、林業で動力鋸が本格的に使われることは無かったが、1930年(昭和5年)前後には国産の動力鋸が相次いで製作されており、高田モーター企業社が製作したものは太平洋戦争中に軍が使用したという。また、1932年(昭和7年)には林業試験場が移動式の薪材用鋸機械を試作し、鬼泪山御料地(千葉県君津市)で試験を行った。
※昭和初期に国産動力鋸が開発された背景には、この頃に小型の石油発動機が国内の様々な企業で生産されるようになったことがあると考えられますが、調査不足なので背景の部分については調査中で保留させてください。

この項の参考文献:
日本林業技術協会(1974)林業技術史第4巻経営編防災編機械・作業編.主に223~258p,日本林業技術協会,東京.
ヤンマーの歴史:Online,(https://www.yanmar.com/jp/about/corporate/history/),2024/02/21参照.


古いチェーンソーの画像
最初期の国産チェーンソー(富士産業C-12型)
二人で取り扱う大型のもので、バーの先端に持ち手が付いている
筆者撮影

2.終戦と航空業界からの事業参入

昭和初期に掛け動力鋸を製造していた企業には、清水製作所株式会社、あけぼの機械株式会社、愛知起業株式会社(現:愛知機械工業株式会社)などがある。このうち愛知起業株式会社は愛知時計製造株式会社の航空機製作部門が独立した企業であり、太平洋戦争中から動力鋸を生産し、この動力鋸は日本軍が南方で使用したと言われている。この動力鋸は2人掛かりで使用する大型で重量のあるもので、林業分野では利用されなかったが、小型発動機を製造する航空関係の企業と動力鋸との関係はこの頃からあったと考えられる。

太平洋戦争後、特に中島飛行機の関連会社から、林業分野へ進出したものが見られた。特に有名なものは富士産業(現:SUBARU)、富士機械工業(現:マキタ)、岩手富士産業(現:イワフジ工業)であろう。
富士産業の三鷹工場では、米軍が使用していたチェーンソーにヒントを得て、終戦直後の1946年(昭和21年)よりC-11型、C-12型、C-13型、C-21型などの動力鋸を試作した。これらの動力鋸は青森営林局などで試用されたが、重量が大きく、据え付けに手間が掛かり不便なものであり、実用化にまでは至らなかった。しかし、この経験が後に国産の一人用チェーンソー生産に繋がるのである。

この項の参考文献:
愛知機械工業株式会社・沿革:Online,(https://www.aichikikai.co.jp/company/history.php),2024/02/21参照.
イワフジ工業:会社沿革:Online,(http://www.iwafuji.co.jp/company/history.html),2024/02/21参照.
日本林業技術協会(1974)林業技術史第4巻経営編防災編機械・作業編.主に263~264・271~272p,日本林業技術協会,東京.

ふじラビットチェーンソーのパンフレットの画像
富士重工・ふじラビット(CL-11)チェーンソーのパンフレット(昭和30年代前期?)より抜粋
ヘルメットが普及する前なので作業者がノーヘルな部分にも着目したい
研究室から発掘されたパンフレットを筆者がスキャンしたもの

3.洞爺丸台風とチェーンソー普及

 1953年(昭和28年)になって、帯広(上士幌)、旭川(上川)、青森(大畑・白石)などの営林局に米国からマッカラーチェーンソーやホームライトチェーンソーが導入された。これらのチェーンソーは10 kgほどあるものだったが、それでも国産の動力鋸の1/3ほどの重さだったのは特筆すべきことである。

1954年(昭和29年)9月、台風15号によって北海道は甚大な風倒木被害を受けた。この台風は「洞爺丸台風」という通称で知られ、青函連絡船の海難を引き起こしたことで有名であり、岩内町の大火の原因ともなっている。
台風15号の暴風は北海道内の森林、特に石狩川の源流域(層雲峡など)に深刻な被害を与え、発生した倒木は全道で当時の年間伐採量の3.5倍、国有林に限定すると年間伐採量の4.5倍とされている。要は1年に伐る量の3倍以上の木が暴風で倒れたのである。この膨大な量の倒木を速やかに処理するために、米国製のチェーンソーが大量に導入され、これを機に全国各地の国有林にもチェーンソーが普及していった。

1956年(昭和31年)富士重工株式会社(旧:富士産業)三鷹工場は、ホームライトチェーンソーをモデルとし、ふじラビットCL-11型チェーンソーを試作した。このチェーンソーは12.5 kgで、米国製の製品とほぼ同じ重さだった。ふじラビットチェーンソーは同年に国有林へ大量に導入され、国産一人用チェーンソーの実用化が始まった。国有林だけでなく民間にもチェーンソーが普及していき、管理上の観点から機種を絞った国有林に対し、民間には様々な製品が導入されていった。

この項の参考文献:
日本林業技術協会(1974)林業技術史第4巻経営編防災編機械・作業編.主に271~272p,日本林業技術協会,東京.
よみがえった森林記念事業実行委員会(1995)森林復興の軌跡 洞爺丸台風から40年.主に24~36p,よみがえった森林記念事業実行委員会,札幌.

振動障害を説明する画像
振動障害の説明
筆者作成の動画「メリーとチェンの教えて!林業機械!」から抜粋

4.白蝋病と振動曝露量規制

チェーンソーの普及の勢いは目覚ましく、1960年代には国有林における伐木造材作業(※チェーンソーによって置き換えできる作業)はほぼ全てチェーンソーに置き換わったとされている。一方で、同時期に問題となったのが、手持機械の振動を原因とした末梢循環障害(振動障害/通称:白蝋病)だった。この疾患は、振動への曝露が続き、寒さを感じるときに発生しやすいとされ、レイノー現象(蒼白現象:指の先などの体の末端が白くなり、感覚が鈍くなる)が見られることで知られている。振動障害は大きな労働問題として着目され、1966年(昭和41年)には防振装置付きのチェーンソーが発売されるようになった。現在は、振動曝露量に基準が設けられ、振動する機械の連続作業時間の規制や機械自体の振動量の規制、防振手袋の着用などの対策によって林業部門では新規の罹患者数が激減しているが、連続作業時間が守られないという問題はあり、課題が全て解消されたわけではない。

この項の参考文献:
日本林業技術協会(1974)林業技術史第4巻経営編防災編機械・作業編.主に271~272p,日本林業技術協会,東京.
林材業労災防止協会(2000)刈払機取扱作業者必携.主に81~83p,林材業労災防止協会,東京.

木を伐るときの服装を解説した画像
図解・木を伐るときの服装
筆者作成

5.防護衣の着用義務付け

最後に、チェーンソーを巡る近年の動向について解説する。近年に大きく変わった部分としては、2019年に「チェンソー防護ズボンの着用が義務化」されたこと、加えて「チェーンソーによる伐木等の業務に関する特別教育」が改正されたことがある。

まず、「チェーンソー防護ズボンの着用義務化」というのは、チェーンソーを使って伐木作業等を行うとき(要は木を伐ったりするとき)は、チェーンソーから身を守る防刃ズボンを着用しなければいけない、ということである。特別教育の話にも関係があるのだが、林業は近年の産業では飛びぬけて労働災害が多く、チェーンソーによる負傷事故を減らすために防護ズボンが導入された。
「チェーンソーによる伐木等の業務に関する特別教育」の改正は、これ以前に伐る木の直径によって分けられていた特別教育を統合し、特別教育の時間数を増やす、というものである。チェーンソーを使って木を伐るなど仕事をする場合は、「特別教育」という講習を受けないといけないのだが、この講習の区分や内容の改正が2019年に行われた。

この項の参考文献:
厚生労働省・都道府県労働局・労働基準監督署(2019)伐木作業等の安全対策の規制が変わります!.online,(https://www.mhlw.go.jp/content/000524013.pdf),2024/02/21参照.

おわりに

冒頭(はじめに)で「チェーンソーは創作においてはホラーと強く結び付いたりしている」というようなことを書いたが、その根底にあるのは「チェーンソーってあぶねー機械だよね」という意識(イメージ)だと思う(たぶん)。実際のチェーンソーが「あぶねー機械」かというと、使い方によっては「マジあぶねー機械」である。だから、業務で使う前には講習を受けなければいけないし、防護衣も着なければいけない。一方で、チェーンソーによって日本に林業の作業がものすごく便利に・効率よくなったという面も忘れないでおきたいし、安全のために色々と規制が掛かってきた、という部分も覚えておきたいところである。

防護衣で確かに安全性は上がったんだけど、でも防護衣って暑いよね……熱中症ヤバいよね……っていう問題もあって、最近の酷暑も伴って林業分野では急速に空調服が普及している。林業の安全面や作業性の向上に関する改良は、まだまだまだまだ沢山あるなあと思う毎日なのであった。

参考文献リスト

トップ画像:
富士重工・ふじラビット(CL-11)チェーンソーのパンフレット(昭和30年代前期?)より抜粋
※研究室から発掘されたパンフレットを筆者がスキャンしたものです

愛知機械工業株式会社・沿革:Online,(https://www.aichikikai.co.jp/company/history.php),2024/02/21参照.
伊勢神宮・第62回神宮式年遷宮(御杣始祭の項を参照のこと):Online,(https://www.isejingu.or.jp/sengu/the62nd/),2024/02/21参照.
イワフジ工業:会社沿革:Online,(http://www.iwafuji.co.jp/company/history.html),2024/02/21参照.
厚生労働省・都道府県労働局・労働基準監督署(2019)伐木作業等の安全対策の規制が変わります!.online,(https://www.mhlw.go.jp/content/000524013.pdf),2024/02/21参照.
日本林業技術協会(1974)林業技術史第4巻経営編防災編機械・作業編.617pp,日本林業技術協会,東京.
大河原昭二(1991)林業機械学.255pp,文永堂出版,東京.
林材業労災防止協会(2000)刈払機取扱作業者必携.主に81~83p,林材業労災防止協会,東京.
東京農工大学農学部森林・林業実務必携編集委員会(2007)森林・林業実務必携.446pp,朝倉書店,東京.
ヤンマーの歴史:Online,(https://www.yanmar.com/jp/about/corporate/history/),2024/02/21参照.
よみがえった森林記念事業実行委員会(1995)森林復興の軌跡 洞爺丸台風から40年.217pp,よみがえった森林記念事業実行委員会,札幌.

冒頭のホラー映画云々は詳しく調べてないので結構適当です。スマン。詳しい経緯を知ってる人、よかったら教えてね。

2024年2月21日公開・最終更新