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いまだ金と時間を持たざる医師たちへというブログ書いてます! 感想は、Twitter DMまで。@ysugimoto 医師のキャリア革命というオンラインサロンを運営しています https://www.doctorcarrierrevolution.com

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博士の岡山グルメマップ

出張で岡山に来たものの、「どのお店に行ったらいいの?」とお悩みの方に、地元民の視点でおすすめの店をご紹介。岡山は繁華街が分散してるので、散歩がてら良いお店を見つけるのがなかなか難しい街です。駅前はチェーン店が多く、個性的な店は点在しているのだ。 0次会(クラフトビール)シュレンケルラ https://maps.app.goo.gl/3bY3tpWYNRTS2r44A?g_st=ic 推奨人数 1人〜3人 岡山クラフトビール四天王の一人。わりと早目の時間からお店が空いてるの

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    第11回天才を殺す凡人1

    第11回天才を殺す凡人1

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    番外編サウザーさん登場

    白熱教室収録後の雑談。登場人物博士、サウザーさん、フランケン、やさぱすさん。博士がサウザーさんに聞いてみたかったこととは?

    番外編サウザーさん登場

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    LV1_簡単家計簿

    資産形成冒険の書 お医者さん用のコンテンツです 同じ内容の動画はこちらからダウンロードできます。 https://vimeo.com/415488889 家計簿のテンプレートは、ブログ記事からダウンロードできます。 https://imadakintoki.com/2020/05/06/%e7%b0%a1%e5%8d%98%e5%ae%b6%e8%a8%88%e7%b0%bf/ (訂正) ふるさと納税で3万円分買い物しても、還元率考えると、3万円分の節約にはならないですね。すいません。

    LV1_簡単家計簿

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    第10回飲茶先生の本について語ろう6

    フランケンの説教ポエム 神とは何か、幸福とは何か? 知らんがなそんなもん! こう答える人はかなりの数がいると思うんだけど、昔の人ってこんなことから哲学を発展させていったという流れがとてもよくわかるのが、飲茶先生のシリーズです。 正直言って、一つ一つの哲学理論なんて、とても深く理解しようとは思わないでしょう。そこをウォークスルーさせてくれるというところが楽しいわけです。 哲学を浅くザックリと読めるだけでも楽しいんだけど、アカデミアが哲学をザックリ知る意味っていうのは、他にもあると思うんですよ。 さて、 いまだ金時ラジオのリスナーはほとんどがお医者さんのはず。お医者さんの学問や常識って、ひたすらデータありきで構築されている。エビデンスがない議論ってしない癖がついているでしょう?医学がそうなったのって、意外と最近なんですよ。EBMっていう概念、僕が研修医の時にはまだ一般化されてなかったからね。一部にエビデンスエビデンス言ってる外国かぶれがいるな、という程度で。 そんなわけだから、昔の常識を知っている人間にとって、今の常識が「普遍の真理」などでは全くないことは肌感覚でわかっているものなんですよ。でも、自分が知らない時代の常識まではわからない。 過去の常識を知ることっていうのはそういった意味でとても大切だし、全く違うパラダイムの常識っていうものを理解することは、自分の幅を広げる意味できわめて役に立つ行為だと思うんですよね。 読書のメリットってまさにこれですよね。 例えば、肝炎ウイルス。昔は肝炎がウイルスによって起こるということは誰も知らなかった。なんでおこるかわかんないけど、肝炎についての治療体系はぼんやりと存在している。で、誰かがウイルスによる肝炎という概念を確立する。治療法が確立されるが、一つの治療法では全部は治らないし、症状もなんか違う。すると、どうやらウイルスには型があるらしいということがわかってくる。型による治療法が確立される。みたいに、ちゃんとしたストーリーをもって合理的に進む。その時その時は「これが正解。大発見(肯定的意見)」って思われたものが、「なんか違うよ(否定的意見)」ってひっくり返されて、どっちも筋が通ってる。「本当はこうだったんだ(超越的意見)」という発見が、次のスタンダードになっていく。このプロセスは何なのかというと、「ヘーゲルの弁証法みたいだよね」と理解できる。理解できるルールには正しく干渉できるようになるものなんですよ。それを知っていると知らないのでは俯瞰の高さが変わってくるよ、という事なんです。 よく、具体的事象に対して「歴史に学べ」っていうじゃないですか。各論としてのパワーゲームやメンタルゲームなんかは、太古の過去から繰り返されているシナリオで、その局面に陥ったプレイヤーが何をやってどうなったかというモデルケースが歴史には山ほど見つけることができる。だから、自分のおかれている状況によく似た盤面を歴史から探して参考にしろってことですよ。そのためのライブラリが多いほど有利になるから歴史を学べって言われるんですよね。言ってみればミクロ戦術です。あらゆる選択肢からミクロな視点、個人的な視点で最も利益の高い選択をするには、歴史を知るのが一番です。 その一方で、アカデミアにしろクリニシャンにせよ、自分がプレーしているゲームのルールやロジックが、刻々とアップデートされていく世界に身を置くのなら、歴史の他に、哲学が必要になるんですよ。少なくとも僕はそう思うんです。ちょっと話題が飛んだ感じを受けるかもしれませんね。 お医者さんのルールっていうものは、基本的に上位構造としての医学アカデミアの理屈に従って変化します。ボトムアップじゃなくて、トップダウンなんです。だからそのトップにある理屈っていうのは、それまでの理屈をこねてこねてアップデートされるんです。 そう言ったものは、常に「普遍的な正しさ」って奴を求めるので、誰か一人にとって都合の良い理屈というミクロな観点ではなくて、マクロな最適解を探るように綿密に組み上げられていきます。 この動きをトレースしたり先読みしたりするのは、やっぱり歴史知識の引き出しではなく思考過程の引き出しになるんです。哲学が進化したプロセスに触れるというのは、この「思考の引き出し」を多くする手助けになると思うんですよね。 もちろん誰かに哲学を体系立ててレクチャーできるほどの読み込みは必要ないですよ。 「一度読んで理解したことがあるロジック」という程度で十分です。 これがあるのとないのでは、やっぱり違うんと思うんですよ。 だって、なんだかんだで、アカデミアっていうのは「普遍の真理」っていうものを模索していて、それを見つけるために「今までの事実に照らして、これが正しいらしい。今のところは。」を何千年も続けてきたわけですよ。 だから根底に流れているマインドが一緒だと思うんですよ。 僕だけですかね。 あと、哲学はリベラルアーツとしては相当に上質なたしなみではある。なんかこう、いろんな人と仕事で付き合うようになると、実務から外れて、判断と決断ばっかりやってる立場の人たちは、びっくりするほど仕事に関係ない知識をため込んでる。すごい貪欲。 これはちょっと違った視点のノウハウを本業に活かす、とかいうレベルの話ではなくて、「人間の根源的な何かに目を向ける」という意識を感じるんですよ。 僕の知ってる人は大体二種類で、一番多いのは歴史にはまる。 これは単純に歴史にハマるというパターンもあるし、芸術をトレースするというもある。 歴史に行かない人たちは、大体、思考のトレースを始める。文学に行くのはそのものズバリだし、思考の過程に興味を持ち始める。 僕は完全に思考のトレースパターンですね。 これはそういう人をバカにしてるわけじゃなくて、こういう精神活動を通して、人間が深くなっている、ってことなんですよ。 そんなこんなで、おすすめなんですよ。 なんでも読んでみましょう。

    第10回飲茶先生の本について語ろう6

    第10回飲茶先生の本について語ろう6

    第10回飲茶先生の本について語ろう5

    主題3−2 14歳からの哲学入門 僕からは第五章。 ポストモダンの話を蒸し返したい。 このくだりはだいぶ昔に、フランケン通勤ラジオでやったことがあるんだけど、何度でも話したい。デリダとボードリヤール。 デリダの話は「いまだ金時ラジオ第6回」で触りました。 ボードリヤールの話はフランケンラジオ72、73話でやってます。 まあ、なんだその、全く反響が無い話ではあったんだけど、僕的にはお気に入り。 中でも、脱構築のデリダについては、もうさっぱり何がなんだかわからないわけです。何をどれほど読んでも全く理解できない。当時のインテリ層が「デリダデリダ」と言っていれば格好がついたというのがよくわかる。 その恐ろしく難解なデリダを、すごくあっさりとこの本では解説してくれる。僕が理解したのかどうかは最後まで自信がないが、少なくともわかったきにさせてくれるのが飲茶先生の凄いところだと思います。 さて、 ここからよくわからない話をしますよ〜。 デリダです。 ちなみに、僕は「デリダ=京都人」と覚えている。 どういうことかというと、よく言う京都人のあれです。 「いい腕時計してはりますな」 です。よ。 、 文字通り「いい時計してはりますな」という意味と、 「さっさと帰れ」という意味も取り出すことができる。 「ぶぶづけいかがどす」も一緒ですね。 「にぎやかでよろしゅおすなぁ」も一緒です。 構造主義というのが、「人間の思考は人間に共通した「構造」に支配されてるよ、この構造っていうのは普遍の真理みたいなもので、この構造を追い求めればいいんだよ。」というものだった。 三角っぽい図形をいっぱい見て、三角とはこういうものだ、という構造を取り出そうとした。 でも、構造を探すっていうのは結局、言語を分析することだった。 デリダは「言葉に「真理がある」というのは思い込みだ。どんな言葉も特定可能な意味を持たない。」 といったんですって。なぜかというと、 「どのような文章でも、その文章の反対の意味を取り出すことができる。」からなんです。 これがさっきの「ぶぶずけいかがどす」なんですよ。 言葉を並べたって、意味なんか特定できない。 物事を並べたったて、構造なんか知りようがない。 「唯一普遍の真理」なんていう構築も、視点をずらして読むだけで別の解釈ができてしまう。 これがデリダ先生の「脱構築」ってやつなんです。なんだそうです。自信なさげにに言いますよ。僕だって飲茶先生の本読んで勉強した口ですから。 デリダの脱構築の手法については、なんか、屁理屈の教科書みたいなことが書いてる。 まず、 ・テキストの内部から批判せよ。 文章を批判するときに、全く違った文章を持ってきて外から批判するのではなくて、「あんたの文章は正しいよ。でも、こういう風にも読めるよね」といって全く違った結論を導け、というものです。 「あなたは大人ですね」というコメントは、「そんな子供っぽいことをいうなんて、大人とは思えませんよ」という突っ込みにもとれるよね、って塩梅でしょうか。 次は、 ・テキストの前提となっている対立構造を見つけろ。 どんな文章にも必ず「二項対立」が隠されている。善と悪、生と死みたいな対立ですね。 例えば「純愛」というテーマがあるのなら、その二項対立である「不倫」という切り口を持ち出して、 「純愛の美しさを歌う風潮は、実は不倫の魅力を語っているのだ」というやり口です。 言われてみると、理解できますね。このロジックでぶった切る構造。 ツイッターにも、この脱構築手法を用いて、相手をズタボロにして遊んでるネット論客が多数いますよね。これって、原理的に無敵なんで、この手法をわからない人は戦っちゃダメです。 こんな言い方をすると、デリダ先生はただのいやな奴のようだけど、哲学にとっては大事な視点を提供したって飲茶先生は教えてくれるんですよ。 古い合理論の完成系として、ヘーゲルの弁証法がある。 弁証法は「肯定的意見」ってやつに「否定的意見」をぶつけて、より正しい真理に近づくという概念だけど、弁証法っていちゃもんをつけ続けるやり方だから、相手をたたきつぶす方法なんですよ。核兵器をもっている我々は行きつくところ核戦争でしょう。 デリダは脱構築を用いて、意見に対立するのではなく、どんどん違う意味を見つけていって、議論の輪を広げていこうというという考えを持っていた。んですって。飲茶先生によれば。 残念なことに、このデリダの考えは広がることはなく、脱構築を使って屁理屈をこねるブームを引き起こして終わったということです。 あれですね。 何を言っても揚げ足をとって議論をぐちゃぐちゃにしちゃうネット論客みたいですね。 ちなみに、構造主義の後に来たこのポスト構造主義っていうのは、何々主義というような固有の名称がついていない。ポスト構造主義そのものが構造主義の枠組みの上に成り立っているので、固有の名前が与えられなかった。 じゃあ、次に新しい「なになに主義」っていう新しい哲学が来るかというと、これが絶望的に、ボードリヤールが「新しい哲学なんてものはもう来ないんですよ」といって哲学そのものを終わらせてしまう。 このくだりはまさに圧巻なので、ぜひ本を読んでほしい。 (ざっくりで良ければフランケンラジオ72話でやった)

    第10回飲茶先生の本について語ろう5

    第10回飲茶先生の本について語ろう5

    第10回飲茶先生の本について語ろう4

    主題3-1 14歳からの哲学入門 この本には、様々な歴代の哲学者が登場しますが、ひときわ目立っているのが、ニーチェパイセンです。 神は死んだ、永劫回帰、超人思考、大いなる正午。ニーチェパイセンの言葉はロックだ。ひとつひとつ解説したい。 神は死んだ 昔は神様が人間を作った。だから当然人間が作られた意味、生きている意味があると考えられていた。 ニーチェは、「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ」と言った。科学の進歩、宗教戦争、聖職者の汚職などを繰り返すうちに、みんなの信仰心が失われていった。神が死んだと同時に人間に生きる意味を与えるような絶対的な価値観が失われた。ニーチェ哲学において、一番重要なこととして、「世界には固定された絶対的な価値観(神、常識、事実)は存在しない」というメッセージ。 これほど有名なセリフもないと思います。 ニーチェは知らなくても、「神は死んだ」はだいたいみんなどこかで聞いたことがあるでしょう? 「深淵を覗き込む時、深淵もまたあなたを覗き込んでいるのだ」もニーチェですよ。深淵って、もはやパイセンご自身のことでしょう。 哲学家の言葉って、中二病の濃縮液が結晶化したみたいなものだから、パワーが篭りすぎてる。 人生に意味はない 「人間はニヒリズムに陥って、生の高揚を失ってしまう」とニーチェは言った。そして、虚しくなった結果、人間は末人になると。なんの目標も夢もなくトラブルを避けて、ひたすら時間を潰すだけの人生を送る人間。 前回、ニュータイプの時代の中で、「今は、モノが溢れて、意味が失われている」という指摘があった。その中でも特に「自分が生きる意味とは?」とか「働く意味」を見つけられず悩む人が増えている。ニーチェパイセンの予言のとおり、末人が増えているのだろう。 アドラー心理学をとりあげた「嫌われる勇気」という本の中にも「一般的な意味でいうなら人生に意味はない」と指摘されている。 では、意味のない人生を我々はいかにして生きていくべきなのか?ニーチェは、その問いにどのような光を当てたのか。 ニーチェって150年くらい前の人なんだけど、行き着くところまで行っちゃってますよね。悪い方向に洞察が深い。人生なんか意味ない。どうせ100年経ったって、人間は起きて食って仕事して寝るを死ぬまで繰り返すようなくだらないことを繰り返すだろう、世も末。末っ子。末人と名付けよう。 イケてる。イケすぎてますパイセン。 永劫回帰 人生に意味はなく、死にも未来にも意味はない。ニーチェの哲学を学ぶと絶望する。ニーチェと同じ黒哲学(実在哲学)で、始祖であるキルケゴールは「絶望は死に至る病だ」と述べた。死に至るとは、死ぬまで続くという意味。ニーチェはそんな絶望的な時代を生きるための最強の哲学を作ろうとした。その哲学をつくるためには、「最強最悪のニヒリズムの世界を考え、その世界を生き抜くための哲学をつくればよい」。この最強のニヒリズムを説明するのが永劫回帰という言葉だ。 絶望してるくせに、ワーストケースから解決を探ろうと。なんか、PMDAみたい。すいません。 「おまえは、これまで生きてきたこの人生をもう一度、さらに無限に繰り返し生きなければならない。そこには何一つ新しいものはなく、あらゆる苦痛と快楽、あらゆる思念とため息、おまえの人生のありとあらゆるものが寸分たがわずそのままの順序で戻ってくる。永遠に繰り返されるのだ。」永劫回帰の価値観の中では、死でさえも絶望から抜け出す方法にはなりえない。石を山頂に運ぶ。転がって落ちた石を追って下山する。それを山頂に運ぶ。これを無限に繰り返すのだ。この永劫回帰という考え方が最悪のニヒリズムの世界。 これは思考実験ということらしいです。ビリヤードの台みたいに、宇宙の全ての粒子がいつかは同じ状態になる。そのあとは繰り返しでしょう、という文脈らしい。この頃はまだ量子論がなかったのでそういう思考実験が成り立った。ただし、これは思考実験だから、成り立たなくても話は矛盾しない。仮にそういう最悪の世界だったとして、お前どうする?という話だから。 末人と超人。永劫回帰と今を生きることの意味。 でた、超人! 永劫回帰する人生。今回生きた人生が無限に繰り返される絶望の人生。永劫回帰を前向きに生きていく方法とは?「今、この瞬間を力強く肯定して生きよう」。無限ループの中に、強烈に良かった!と思える一瞬の点をみつけて、それを肯定する。この一瞬を何度も味わいたい。今この瞬間で良いから、生を肯定する強い意思を持つこと。それこそが最悪のニヒリズムを吹き飛ばすきっかけになる。ニーチェは、こんなふうに、「今この瞬間」を肯定できる人間のことを超人と読んでいる。 永劫回帰を否定せよ。末人にならず、「今この瞬間」を肯定できる超人になれ。これこそが最強のニーチェ。 そして、ニーチェの哲学は、「価値(意味)のあるものは、常に未来にある」という価値観をぶっ壊した。人は未来に対して、希望を持ったり、不安を感じたりする。人生は始まりから終わりに向かって一直線に進むものという価値観。 ニーチェがぶち切れちゃったのが、このキリスト教の終末思想というおめでたい考えに対してだったんですよ。終末に救いなんてこないじゃん。神は死んだし。そもそも、人生が「未来のゴールに救いがある」ゲームだとしたら、ゲームの最後にたどり着けない人の人生はどうなるのさ。不治の病になったら、そこから先の人生なんて意味はないの? という問いに対して、「最初から意味なんてない」ってぶつけたんですよ。どうせ永劫回帰で回ってんだから。 だから、「今が最高!」ってニッコリできる超人が強いよ。と。 …なんか、この「ニッコリ」って、絵にすると、背景が黒ベタだったりしそうな狂気を感じるけどね。。 永劫回帰という価値観では、人生は円のようなものにたとえられる。 過去でも未来でもなく、今この瞬間にスポットライトをあてよ。そして、その瞬間を肯定できる超人になれ。それが唯一、最強最悪のニヒリズムを乗り越える方法である。 最終的にニーチェは、大嫌いなキリスト教の聖書に変わる本を書こうと頑張ります。 それで書いたのが「ツラトゥストラはかく語りき」ですよ。 パイセン、もともと大学教授だったのに、あまりにキワモノになっちゃって首になって、この時は無職。マジでロックすぎます。

    第10回飲茶先生の本について語ろう4

    第10回飲茶先生の本について語ろう4

    第10回飲茶先生の本について語ろう3

    主題2 正義の教室 消防士の父。一つの部屋には自分の娘がおり、もう一つの部屋には30人の子どもたちがいる。火の勢いが強く、どちらか一方の部屋にしかたどり着けない。消防士である父は、どちらの部屋に行くべきか? 正義とは何か?について考える本だ。 これを撮ってるのは令和2年の4月なんですけど、この時点での最新刊ですね。この入り方は、マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」という有名な講義のオマージュとして始まるんですよ。これを頭に置いて、ああ、あれの話か、という読み方をすると盛大に裏切られる。そんなトリッキーな本ですよね。 ・焼きそばパンの転売は正義に反するか? 大人気の焼きそばパン。購買部で1個100円で売っている。それをチャイムの合図と同時に購買部に一番近い席に座る学生が買いにいって、全部買い占める。それを1個150円で欲しい人に売る。購買の人はパンが売れて喜ぶし、高くても本当に手に入れたい人にパンが届くから手に入れた人は喜ぶ。転売した人もお金が手に入る。 これは正義に反するのか?というところからストーリーが展開します。 僕はこの本を読むまで、唯一の漠然とした正義が世の中に存在すると思っていた。 ・3種類の正義。「平等、自由、宗教」 共産主義や社会主義は平等を絶対的な正しさとする国 一方でそんな国を抑圧的だと批判して、自由を絶対的な正しさとする国もある その一方で、何らかの宗教、すなわち自分たちの国の伝統的な価値観を絶対的な正しさとする国もある。 最初の正義は「平等」です。 ・平等の正義を実現するには功利主義(いいかえると人々の幸福の総和を重視せよ) 不平等より平等がよい。大多数の人間が飢えに苦しみながら貧乏な生活を送っているなか、一部の人間が特権により働かず搾取した富で裕福な生活を送るのは良くない。僕自身は、正直この本を読むまで、「平等であることは大切だけれども、平等であることが正義である」と言われると違和感を感じた。もともと平等でない人々を平等にするためには、何らかの強権が必要になるから。その強権に従わされる、つまり、自由を犠牲にすることに抵抗がある。 最大多数の最大幸福という言葉で説明される。全員の幸福度を計算し、その合計値が一番大きくなる行動をしなさい。これを功利主義と呼ぶ。3人の前におにぎりがある。1人は空腹で死にそうな状態。残りの2人は満腹。そうであるなら、そのおにぎりを空腹の人に与えた方が3当分するよりも最大多数の最大幸福に近づく。災害医療現場におけるトリアージはこの価値観に基づいている。最も重症な人から治療するのではなく、また、最初に来た人から順番に診察するわけでもない。 でも、極端な話になると、副作用の少ない麻薬を全国民に配るとどうなる?みたいな問題も生じる。最大多数の最大幸福を満たすので、功利主義的にはOK? 究極は、国家主導の臓器宝くじ。無作為に選ばれた人の臓器はそれを必要とする人の移植に使われる。それは、最大多数の最大幸福にはなるけど、本当に正義なのか? 功利主義の問題点としては 幸福度を客観的に計算できるのか?功利主義は強権的になりがちという問題(みんなの幸せを実現するためには他人を抑圧する強力な権力の行使が必要) ベンサムの功利主義はいろんなところで出くわす考え方。一見、理にかなっているように見えて、実際に功利主義的にシステムを構築しようとすると「すごく割りを食う人」が必ず登場するという、なんか納得いかない考え方。臓器くじの話なんかもそうだよね。 「くじで選んで一人を殺して、5人に移植する」と「トロッコ問題」は根っこが同じ問題なんだけど、答えが大きく変わってくるのは、死ぬ対象に自分が含まれるかどうかなんだろうと思うのね。 臓器くじの場合、一人殺すべきだ、と言ったら、「じゃあお前死ねよ」と言われて終わりだからね。 歴史的にみて功利主義的論調って、持っているものを取り上げるときに便利に使われてきたような気がしてどうにもしっくりこない。古くは3次方程式の解の公式、いわゆる「カルダノの公式」ですけど、実はこの公式を発見したのはカルダノではないらしいですよ。当時は数学の問題は試合として出されていて、解き方は基本秘密にされるものだったんですって。1500年代のイタリアで、フェローが発見して、試合を無双しまくって、どうやら公式があるらしいってことをフォンタナが聞きつける。フォンタナは自力で解の公式を発見するんだけど、それをカルダノに教えちゃう。で、カルダノが自分の業績として公表しちゃった。ふつうに考えたらカルダノひどいって話になるけど、公表した方が数学にとって貢献が大きいっていってカルダノの行為は肯定されてる。実に功利主義的だよね。 ちなみに功利主義そのものの発明者はベンサムではなくてアウレリウスだったりする。 功利主義って、幸福をどう定義するかで最大幸福が何かっていう部分が変わっちゃうのが問題で、この矛盾にドラマ性が生まれるから、映画やドラマではよく見かける。政治指導者が国民を戦争に駆り出すシーンなんかも、国民全体の功利と個人の生命の対比で、基本的に矛盾をはらんでいる。トロッコ問題と同じだよね。政治指導者が功利主義的に「国民は国家のために死ね」という理屈の根底にトロッコ問題における「死なない位置で正論振りかざすな」という怒りがあって、政治指導者も死ぬリスクがある状況にドラマが展開して「臓器くじ」状態になったときに、「お前が大好きな功利主義的正義だぞ」と指導者を殺して見せる。これがエンタメになる程度には功利主義には不安定な要素がある、と僕は思うんですよ。(だれか詳しい人がいたら教えてください)。また別のメタファとしては、「24」のシーズン1で、核爆弾を爆発させるぞ、という脅しに屈してジョンマクレーンが上司を撃ち殺すシーンが出てくる。人を助けるために人を殺す、この矛盾を「道徳的一貫性」の侵害って言うんだよね。功利主義はさまざまなミクロ視点で道徳的一貫性を侵害する。https://plaza.umin.ac.jp/kodama/ethics/wordbook/utilitarianism.html 先生、24ネタちょいちょい挟んできますね。 よくできた概念だとは思うんだけど、功利主義、やっぱりクリティカルな部分で個人に負担をかけすぎる気がする。特に「なにかを突出して持っている人に過度の負担をかける」哲学じゃないのかな。そういう意味では、哲学としての功利主義は、経済学における共産主義にダブって見える。 トータルのGDPを下げるような最大幸福っていう共産主義は、ポイントゲッターのモチベーションを下げるんじゃないかしらね。僕、しっかりとした根拠は示せないんだけど、実際のチームマネジメントをやるようになって思っていることは、「みんなよし」みたいなマネジメントを「平等」という尺度を元にやろうとすると失敗するだろうっていうことですよ。 ちょっと功利主義の話からは離れちゃいましたね。でも、人事になぞらえて考えると功利主義はわかりやすいんだろうなって思います。 ・自由の正義を実現するには自由主義(自由を重視せよ) 人の自由を第一に考える思想。ようは個人の自由を守る行動をしなさい。それこそが正義だ。ただし裏返すと、他人の自由を奪わない限り何をしてもいいとも言えるため一番フランクな正義ともいえる。 富裕層からたくさんの税金を徴収して、不遇な人たちに配分するという政策も自由主義。その理由は、不遇の人たちが社会の中で自由に生きられるように保証することに繋がるから。社会的弱者も含めて全員が平等に自由に生きられる社会を作ろう。逆に富裕層から勝手に資産を奪うのは泥棒と同じだという考えも自由主義。同じ自由主義の旗を掲げているはずなのにまったく正反対の政策を出していがみあったりすることが多々ある。 弱者に優しい福祉社会、弱肉強食の自由競争社会。ともに自由主義。 いわゆる「リベラル」。ぼくはこの辺の違いが全くわからない、わからないというか、進化が早いのでついていけない。 経済リベラル、リバタリアン、ニューリベ、ネオリベ、この辺に右左の話が乗っかってきて全く理解不能。橘玲の「読まなくていい本の読書案内」の最終セクションがこれです。これに取り上げられるってことは歴史的な変革が大きいってことですよね。この本では政治思想よりも、「正義」にフォーカスを当ててリベラリズム(自由主義)を解説していますね。 僕、ここはちゃんと話をできる自信ないです! 弱い自由主義 幸福>自由 幸福になるには自由が必要。だから自由を尊重しよう(その内実は功利主義) 強い自由主義 自由にやれ。ただし、他人の自由を侵害しない限りにおいて(本書において、自由主義は強い自由主義をさす) そして、自由主義も極端な話になると →安楽死は許容されるのか? →愚行権の行使。人間には自分の意思で不幸になる自由はあるか?習慣性のあるドラッグに溺れていく人を救済すべきか? →高層マンションの手すりにぶら下がって遊ぶ幼児を放置するのか?自分の子供がドラッグを使うのを止める権利は親にあるのか? 愚行権っていう言葉を思い出しましたよ。 愚行権すら侵害するなっていうのは自由主義の基本のようです。 自由主義が行き着く先は、「バカな人間は死ねばいい」という話になる。ドギツイフレーズですが、本に書いてあります。アメリカってそのような一面を持った国ですよね。 強い自由主義の問題点 富の再配分停止による格差の拡大、弱者の排除 自己責任、個人主義の横行によるモラルの低下 当人同士の合意による非道徳行為の増加(臓器売買、人身売買) 功利主義も、自由主義も追求しすぎると極端で行き過ぎになってしまう。 僕の中では、功利主義と自由主義の間にはタイムラグがあって、カントと功利主義の間にラグがあるのと同じようなとらえ。 功利主義、やっぱりちょっとちゃうんちゃうん?ってなって自由主義が出てくるという流れだと理解してます。 自由主義の根っこになるのがJSミルの「自由論」になるわけですが、 (自由論 https://vicryptopix.com/jsmill/ (カントと自由論 https://www.ne.jp/asahi/village/good/mill.html ミル自身はベンサムの弟子で、ベンサムの功利主義を発展させて自由主義の根っこになるようなミルの功利主義を完成させるわけですよ。功利主義と自由主義は対立概念ではなくて、上位互換と考えた方がしっくりくるんじゃないでしょうかね。 さっき、あえて時系列にカントを加えたけど、カントと功利主義の対比は実は重要になってきます。 カントを乱暴に一言いうと、教科書。カント的には「善」正しさとは「善い意志」で、評価とは「目的」結果は2次的。良い意志を持って道徳的に行動することが大事で、結果が良いか悪いかは目的とはならない。もっと言えば、「結果よければ全てよし」はダメなんだよ、とうのがカント。ちょっと乱暴すぎるか。でも功利主義との対比としてはこんな感じですよ。 カント、まあ、美しいけどやってられない。 昔の人もそう考えた。そこで、結果ダメならやっぱりダメだよね。という話になっていく。この辺から結果主義へとながれていく。結果主義の一つの形が功利主義で、目的なんかどうだっていい。功利が最大化された状態が達成できればいいんだよ。っていう考え方だった。 ・宗教の正義を実現するには直観主義(道徳を重視せよ) 良心に従って行動しなさい。それこそが正義である。理屈を否定して、良心を働かせば、正しいことは自明である。だからさあ、この正しいことをしなさいといった押しつけをしてしまう傾向がある。 宗教的であるとは、「物質または理性を超えたところにある何かを信じていること」 説明できないが、悪いことは悪いこと。という価値観に基づいている。人殺しは悪いことみたいな 問題点 正義とは無限に正しいものであるが、有限の存在である人間に無限の存在である正義を知ることができるのだろうか?という問題に行き着く。 この本は、ラストはちょっと衝撃的なエンディングを迎えます。これは実際に読んでみてもらいたい。

    第10回飲茶先生の本について語ろう3

    第10回飲茶先生の本について語ろう3

    第10回飲茶先生の本について語ろう2

    主題1  哲学的な何か、あと数学とか この本は個人的に思い入れがある本。 もう10年くらい前の本ですよ1番最初に飲茶先生の本に出会ったのが、これです。 というか、この当時は本じゃ無かったと思う。たしかネットのホームページ、ISDNの低速回線で読んでいた気がする。何を知りたかったのかはもう忘れたけど、フェルマーの最終定理を調べていたら行き着いたコンテンツだった気がします。 検索エンジンはネットスケープとかですよきっと。 いきなり脱線するけど、昔のネットって、今ほどウェブサイトの作り込みが丁寧じゃ無いから、検索して何かの記事の章とかにいきなり直リンでたどり着いたりするわけよ。だから、読んでたときは、「飲茶」っていうのが人名だとは全く思わず、ああ、コーヒーブレイク的な?みたいな記号だと思い込んでいて、誰が書いてるんだろうとか思ってた。フェルマーの定理で検索してきたわけだから、当然「哲学」というキーワードも頭の中にはなくて。ただただ読ませるホームページだなあ、と思いながら読んでた覚えがある。たしかネットでは全部は読めなくて、速攻で本屋に買いに行ったんだよ。 この本を読んだきっかけは、僕のラジオで進めたからだっけ?その前によんでた? 先生がこの本面白い、とコメントしていたのをみて、その日のうちにキンドルにダウンロードして、息継ぎなしで読みきった記憶がありますよ。 じゃあ、この本の紹介に入っていきましょう。僕がこの本を紹介の最初に持ってこようって思ったのは、飲茶先生の本をいろいろ読むにあたって、最初の一冊として最適だって思ったからなんですよ。基本的に物語調で書かれていて、紹介されている一人一人の数学者のストーリーが簡潔に纏まってる。最新刊の「正義の教室」も物語調なんだけど、最初の一冊としてはややトリッキーかな、と。 さて、この本はフェルマーの定理について、どのようにこの数学的難問が解かれていったか?というストーリーなんですよ。このストーリーを扱った本は世の中にいっぱいありますが、この本はちょっと違うんですよね。これがどう違うのかについてはこの章の最後のお楽しみにしましょう。 じゃあ、博士から、このストーリをざっくりと総括していただきましょう。 今回のラジオを収録するということで、もう一回読み返してみました笑 この本の凄さは、歴代の天才数学者たちがフェルマーの最終定理に挑み、夢やぶれていくところ。研究者の儚さ。 そして、その歴代の数学者たちが積み上げた業績が、あたかもお城の土台を築く岩のように積み上がり、フェルマーの最終定理の証明につながる過程。すべての研究者の業績が必要であり、どのパーツが欠損しても証明には至らなかったというところ。ちなみに、僕が1番好きなエピソードは、「谷山=志村予想」です。日本人のアイディアが最終定理証明の鍵になっているところ。そして、谷山=志村予想が、長い長い時を経て証明されて、最後に定理になるところが好きですね。 ラグランズプログラム 一つの分野のテクニックで解けない課題が、全然無関係と思われていた別分野のテクニックで解けることがある。 「ある日、実はその数式が 、幾何学の図形として表現できることがわかった 。そこでその数式を図形で書いてみる 。数式は図形になったから 、幾何学という別分野のテクニックを使うことができる。幾何学にしたがい定規とコンパスで、ある方向にスッと線を引いてみる。すると、その線が別の線と重なった点が答えだった!つまり元の数式の世界では解けなかった問題が、別分野の図形の世界に変換することであっさりと解けてしまうということもありうる 」 数学はこんなふうにどこかで繋がっていて、統一的な美しい構造を持っている、という哲学をラグランズプログラムと読んだ。 これ、なんだか示唆的で面白いエピソードですよね。押してダメなら引いてみなってなもんで、山の登り方は一つじゃ無いぞ、というか、どこかに全ての登山に通じるベストな登り方みたいなもので繋がっているから、なんでもどこかで応用が効くかもよ。みたいな感じの話ですかね。 ありきたりなフレーズでいえば、パラダイムシフトということなんでしょうけど、数学の世界「それぞれのパラダイムが全く別物であると認識されていること」そして、その連結があいまいさを一切残さず、完璧な連結になるところがすごいですね。そして、それぞれの理論が完全に連結することで、またあらたなパラダイムを生み出すというロマン。この瞬間に出くわした研究者は幸せでしょうね。 オイラーの公式:eiπ =−1 微分積分のために作ったネイピア数eと、虚数単位である√−1のi、円周率π、これらの解析・代数・幾何の三つの全く異なる数学を代表する三つの値が、こんなにシンプルな式にのるというというのが、痺れるっていう話ですよね。これがラグランズプログラムの目指すところを端的に表している例ですね。 ここは、しびれます。世界一美しい数式と呼ばれていますね。 ラグランズは「楕円方程式とモジュラー形式という別々の分野と考えられていた二つは同じものである」という谷山ー志村予想を証明すれば、このラグランズプログラムは完成すると考え、みんながそれを証明しようと頑張ったけど、谷山ー志村予想そのものが実はフェルマーの最終定理だったということがわかり、みんなでぶっ倒れるという落ちで終わる。 関係ない人から見るとコメディだけど、やってる本人たちにとっては地獄だったでしょうね。 ともあれ、この、「全然違う分野に共通する何かのロジックが存在する」、あるいは、「別もののように見えて、何かの変換を行うと同じものであることがわかる」みたいなものを見つける面白さっていうのは、ビジネスに通じるものがある気がするんですよ。「ある特定のビジネスの常識はその業界の入門から一歩一歩上がっていかなければいけない」、みたいな慣習って実はあんまり意味ないことが多くて、むしろ他業種の考え方を積極的に取り入れることで新しいソリューションが生まれやすい。これは何にでも共通する話なのかも。 さて、ちょっと脱線しました。 ともあれ、フェルマーの定理の物語では、谷山ー志村予想を証明しなければフェルマーの定理が証明できない、っていう話になっちゃって大変だったということなんですって。ちょっと絶望的な状況なんだけど、このストーリーはここから素敵な展開を見せるんですよ。楕円方程式の専門家だったアンドリューワイルズ、フェルマーの定理を証明したワイルズの登場です。 ・ワイルズ登場。 ワイルズは楕円方程式の専門家。今のフェルマーの定理のステータスは、「谷山=志村予想を証明する」というものになっていて、それは、「楕円方程式がモジュラー形式であることを証明する」ことになっていたんだって。ワイルズはその楕円方程式の専門家。 ワイルズは10歳の時に図書館でフェルマーの最終定理に出会うという描写が、飲茶先生の物凄い表現力で綴られている。この物語めいた描写は、ちょっと鳥肌が立つ感じ。なんかもう、「文字を読んでるのに、アンドリューと目が合う」という不思議な体験。ここはぜひ原文をよんでほしいところ。 最終的にアンドリューワイルズは、楕円方程式を用いてフェルマーの最終定理を証明し、実は不完全で、諦めて、ほとんど偶然に最後の鍵を見つけて、その鍵がワイルズが最初に書いた学位論文だったという壮絶な流れになるんだけど、その辺りの流れは鳥肌ものなんですよ。ここはもう泣いちゃう。何度読んでも泣いちゃう。 研究者なら完全に泣いちゃう。ここに反応しない人は研究者じゃないよ。 しかも、研究者としてのワイルズ万歳というながれにはせずに、飲茶先生は、奥さんに対してのステキなエピソードとして話を締めるんですよ。これはもう、映画みたいなんですよ。 本当に映画のようなストーリーです。ちょっと出来すぎちゃうかと。でも、実際になにかに没頭して研究していると、それまで、全く解決の糸口がみつからなかった課題の答えが、何の前触れもなく頭にふってくるような瞬間がありますよね。忘れないうちに急いで紙にメモするみたいな。 のっけからテンション上げちゃったけど、飲茶先生の本は、どれもこれも、なんかのレセプターを持っている人にはストライクで決まっちゃう。アホほどテンションあがっちゃうんですよね。 理系出身にはど真ん中でしょうね。 でも、飲茶先生はなかなか冴えてて、この話をまるっと「数学の証明ができたとかできないとか、くだらなくね?」って言っちゃう人に対して、なんでここに価値があるのかっていうのも綺麗に表現してくれるんですよ。どの本も基本的にはそういう構成ですよね。 僕は飲茶先生の本で1番好きなところは、「価値を認めない人に、最後に丁寧に価値を解説する」ところなんですよ。これがあるから、わからない本でも最後まで読めばどう理解すればよかったのかがわかる構成になってる。読み方が分かると、面白くなるんですよね。最後まで読めば全部腹に落ちる。だから安心なんだよね。 あ、最後だけ読めば総括されてるっていう意味なんで、最後だけ読めば意味は通っちゃうんだけど、飲茶先生の本に限っては、その読み方はお勧めしないなぁ〜。僕推理小生をそんな読み方しちゃう人なんだけど。

    第10回飲茶先生の本について語ろう2

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    第10回飲茶先生の本について語ろう1

    前回のニュータイプの時代から、ちょっと間隔があきましたね。今回も、予告なく「飲茶先生の本を語ろう」という企画が立ち上がりました。 我々の中で、飲茶本に触れるきっかけは、「哲学的ななにか。あと数学とか」それと「14歳からの哲学入門」でしたね。 そして、最近の飲茶本としては、「正義の教室」です。これも大作でした。過去の飲茶本とは、少しテイストの異なる本でもあります。飲茶先生のすごいところは、「哲学」「数学」「正義」みたいなテーマを軸にして1冊の本を読者に読ませる力量ですね。いままでたくさん本を読んできたけれども、類を見ないタイプの作者。ですから今回は、1冊の本ではなく、飲茶先生について語ろうというテーマになりました。 イントロダクション 1 哲学。。。。? 即物的な思考の人間だったので、哲学って、正直興味なかった。 でも、理系がどんづまった先にはリベラルアーツがあって、最もプリミティブなリベラルアーツの一つというのが哲学。 前回の第9回のニュータイプの時代の中で、STEMとリベラルアーツの話をした。 Science, Technology, Engineering, Mathematicsの頭文字で、科学技術・工学・数学分野の教育を指す。STEM教育は他の教育分野と比べて高い教育投資の収益が見込まれるとして、重点領域になっている。 実際、高額所得者におけるSTEM関連職業の割合は高いが、これには罠がある。STEMは所詮「高額労働者の嗜み」でしかなく、超高額所得者になると、STEMはほとんどおらず、リベラルアーツ系がほとんどである。 お医者さんなんかは、累進課税の餌食ドンピシャ系の糞のような高額所得者の代表格で、中年以降なんか、いくら頑張ったところで4000万くらいまで稼ごうが、税金で持ってかれて、可処分所得なんて研修医の頃と大した変わらない。 便利屋さんとしてのSTEM職には明確な天井がある。ここをリーガルに打ち破るなら、リベラルアーツの要素を自分に取り入れて業界を横断的に渡って行かなきゃ行かなきゃダメですよ、というのが前回のポイントだった。 STEM系を束ねて産業を牽引するようなリーダーたちって、どんな人も独自の深い哲学を持っている。こう言った人は、自分の哲学や美意識に照らして人に対する好き嫌いを決めてしまうことが多い。 そう言ったものを理解して対話するにも、素養というものが必要になる。 わからないものは理解できないし、ルーツがわかれば思考も読むことができるようになるからだ。 僕も、正直、飲茶先生とニュータイプの時代の山口周先生がいなかったら、リベラルアーツ、中でも哲学というテーマに興味を持つことはなかったと思います。我々お医者さんは、みんなSTEMという武器をもってキャリアをスタートする。でも、これからの時代は30〜40代で、リベラルアーツという武器についても習得していく必要があると強く思う。年をとって劣化したSTEMだけで戦うのではなく。リベラルアーツという武器はキャリアを横方向にスライドするときに、とても便利な武器。 2 飲茶先生だから読めるというのはあると思うのよ。 読書にはいろいろな効果効能がある。知識を手に入れる、著者の生き様・哲学などを学ぶとか。それ以外に、「この人の文章を読むと、とっちらかった頭の中が整理される」といった、精神安定剤的な本の読み方もある。飲茶先生の本は、読んでいると心が落ち着く。 心が落ち着くだけでなく、逆に精神の状態がジェットコースターに乗るように揺さぶられることもある。これは、「哲学的な何か、あと数学とか」、だったり「正義の教室」なんかがそう。 これは、本当にそのとおりです。面白い本を読んでいると、現実世界や時間がたつのを忘れて、本の世界を旅することができる。小学校の頃に、学校が終わって友達と遊んでいたらあっという間に夜になってた。そんなイメージと重なります。 正直なところ、一冊を深掘りするような読み方はできない気がする。根っこの深いところを理解してないからね。でも、そういう哲学に素養のない僕らアホの子にわかるように飲茶先生が噛み砕いた本を、どうやって咀嚼したか、どんな味だったか、ということは言えるよね。

    第10回飲茶先生の本について語ろう1

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    第9回ニュータイプの時代6

    フランケンのポエム説教 ・流浪の勧め? この本では、あらゆる意味で1つのことを死ぬまで、みたいな硬化したキャリアプランを危険だって教えてる。 『「腰が据わらない 」 「節操がない 」 「一貫性がない 」と批判的に揶揄されてきたような生き方 、つまり 、何が本業なのかはっきりしないままに複数の仕事に関わり 、節目ごとに仕事のポ ートフォリオを大きく組み替えていくようなキャリアを志向する』 のがニュータイプだと、そのフェノタイプを表現します。 これ、ここだけ読むとなんだかわからない人物像ですよね。極端に言えば、そんな人、西成あたりにいっぱいいるんじゃ無い?って気がしますが、そういうこと言ってるんじゃないんでしょう。 ここで大切なのは、「ジョブに不要とされて弾き出された結果としてジョブチェンジを繰り返さざるを得ない」という人物像では無いですよ。 「ジョブに対する優位性が本人にあり、本人がジョブを切り捨てて新しいキャリアを自分に加えていく」っていう強さが条件になってます。 そう考えると難しいですよね。 果たして、単純な転職を繰り返すだけの職業人生は、自分の有り様にプラスに働いているのか? このラジオのリスナーのほとんどは医療者なわけですから、毎年毎年新しい職場に移動したり、大学院に行ってみたり、教員になったり辞めたりを繰り返すような人生を歩むわけです。あるいは開業して固定化された事業に自分を放り込むかどうかを迷ったりするわけです。 コネクティングドットの話にも通じるのですが、まずは自分がやりたいことを追求してみる。最初は、人の役に立つ、必要とされる小さな専門家になってみる。その小さな専門家になる過程で、マーケットのニーズにさらされて、自然と進むべき道が修正されていく。だから、結果的には、自分が当初描いた目標とは別の場所に着地するのです。その過程では、一貫性がない、節操がないというのは、「フットワークの軽さ、多様性を許容する柔軟性」といった強みに対する、コモディティからの愚痴であることに気付かされます。小さな小舟で大海原を進む。でも、人生の軸となるべき指針や哲学。ワンピースでいうところの海賊旗を掲げないといけない。進路は自由でもいいけど、海賊旗に掲げる哲学にはブレがあってはいけない。 ・コモディティからの脱却 僕らが考えなければいけないのは、キャリアを複雑にするなんて即物的なことではなく、「自分の有り様を定義しない、誰からも定義されない」、この価値観を維持できるかどうかということに尽きるんだと思います。 誰かから定義された瞬間にあなたは「コモディティ」であり、コモディティである限り、「一緒の箱に突っ込まれた他のコモディティと一緒に、限界効用ゼロへ目掛けてダンピング競争をする」ことになるからです。 じゃあどうすれば? そう思いますか。 それに答えを与えることができたとしたら、その瞬間にその答えはコモディティです。 そういうことなんですよ。 自分で考えないと。 それだけが自分の価値を担保します。 そのためには自分の価値観も日々アップデートが必要になるんです。 医療というものは基本的に「固定化された価値観を画一的に提供する」という行為に国が予算を切るという構造で成り立っています。 ですから、医療制度という枠組みからひきだされる常識っていうものは全て定義可能なコモディティになっていきます。 だからこそ、いろんな人に合わないとダメなんですよ。 同じ科でも違うグループ。 医療でも違う科。 違う国。 同じ国でも違う職種。 違う国の違う職種。 こういった人たちとつながることはとても大切です。 自分のキャリアの中でこういった人たちと、ビジネスパートナーとしてどうやって繋がっていくのか、それをマネージメントする。これができるようになったら一人前なのかな、と今の僕は思います。 今の若手医師たちの悩みって、「いったい今の時代、何をすればいいのか?」ということに尽きるんですよね。この道を進めば成功できるというレールが存在しない時代。でも、それは、必然であって、「これをやれば良い、この道を進めば良い」という道が示された途端にそれはコモディティに向かう、行進の第一歩になってしまうわけです。人生をいかにして生きるか?という正解のない課題と向き合うことこそが、人生最重要のタスクになるわけです。我々が今、哲学をテーマにラジオを作っているのも、ある意味必然なのであります。 具体的な話をすると、 業界、特に医療業界のほとんどのエラい人っていうのは、医療が持つ莫大な予算を振りかざして上から目線で周辺の世界を蹂躙してきました。 「分かりやすい価値」ってやつを無理やり提示させて、「それを買ってやる」みたいなことをやってきたんですよ。やってきたんです。 それって、目新しい自販機にコインを突っ込んで見たことないジュースを一本買った、みたいな繋がり方なんですよ。 全然有意義じゃない。 医療者が上からぶつけるWin-Win、実にふざけてるんですよ。「俺は金を出して欲しいものを手に入れた。お前は商品を売って金を得た。」あのね、自販機にジュースを並べた人間にとっては、このやりとりは大した価値のあるものじゃないんですよ。誰が買ってくれてもいいものをたまたまアンタが買った。それだけです。お互いに何も残るものはない。 賭けてもいいですが、あなた同じジュースが隣の自販機で10円安く売ってたら、そっちに金突っ込むでしょう?こんなのは単なる金のやり取りなんです。 ・意味の抽出とビジョンの共有 僕らがやらなきゃいけないことは、この自販機に入ってるジュースを作っている人に会いに行って、どういう哲学でジュースを作っているのか、僕たちとどういうビジョンが共有できるのか、共有したビジョンからどういった事業を立ち上げることができるのか。 こうした活動を繰り返すことで、段々と自分の持つビジョンや常識が変化して、職業人としての枠組みが変化していく。 この変化が外部から観測すると「理解不能な流動的なキャリア」として認識されるっていうことなんですよ。 それがニュータイプってやつだと認識されるんでしょう。 目の前に提示されたわかりやすい課題を手当り次第解決してしまうのって、受験エリートにありがちなことですよね。今のお話は、まずは課題の定義を疑え?ということですね。 ・ニュータイプはニューなのか? 僕はこの本はすごくためになる本だと断言できます。でも、一点だけ違和感を覚えるのは、果たして、この本で取り上げられるような「ニュータイプ」っていう人種は、取り上げられている「6つのメガトレンド」が初めて作り出した人物像なのか、っていう部分です。 昔からこういう訳のわかんない人達って、いたんですよ。 ニュータイプ。過去にも生息してました。古い地層から化石が発掘されています。ただ、今までこれらのよくわかんないオーパーツみたいな化石を分類する概念がなくて、ひとまとめに「変人」枠に突っ込まれてたということでしょうね。 この本の内容からちょっと逸脱するけど、いわゆるニュータイプって、オールドタイプより優れた才能かっていうと、ひょっとして違うんじゃないかな?って思う。 ただ単に「終末期の資本主義」にマッチした特性なんだろうってことだと思う。 この前、フィンランドに行ったんだけど、バイキングの時代はもうただひたすら動物的な強さが人間の価値だった訳でしょう?問題はすべて腕力で解決みたいな。その時代にはニュータイプは真っ先にぶち殺されてた可能性がある。 だから、僕の直感としては、オールドタイプにできてニュータイプにできないことっていうやつを切り分けてチームを作ることが、ここから先は大事になるんじゃないかな、って思うんですよ。 多分、ニュータイプって、問題を解決する能力があんまり高くない。興味ないから適さないんだよ。職場のルールに無頓着だったり、単純作業をため込んだり、そういうタイプかもしれないな、って思う。僕の周りのいわゆる天才たちをみてるとそう思う。 優劣ではなく、時代のトレンドにフィットした人材であることに価値がある。というのは重要な視点ですね。資本主義の定義からして、希少なものが価値を持つわけです。先程バーベル戦略のところでも述べましたが、医師というのは明らかに、プロブレムソルバーという働き方。それを自分の人生に100%当てはめるのではなく、10%くらいは、真逆に振りましょう。そうです。10%変人戦略です。 そういえば、私達の知り合いにも、PBP(パリブレストパリ)という4年に1回開催されるロードバイクのイベントに参加して、1200km完走した愛すべき変人がいますよね。彼の人生は、僕はすごく注目していて、真面目に医師の仕事を続けながらも、10%は変人として立ち振る舞う。まあ、本人は至って真面目に1200km完走しているのですが(笑) こういう生き方、戦略は、これからの時代で輝くためのキーワードになると思っています。 この三年くらい、僕がいるチームでは奇しくもこの本でいうところのオールドタイプ向きな仕事と、ニュータイプ向きな仕事をきっちり分けて、お互い向いてない仕事を全くやらずに効率を上げるって言うハンドリングを試している。これがビッタリハマるんですよ。 アジェンダシェイパーは無尽蔵にアイデアとプロブレムを垂れ流す。プロブレムソルバーはこれらに最速の正解を与えて、プロジェクトとしてエフォートを注入する意味があるかどうかを算定する。 出来上がった提案を再びアジェンダシェイパーがプロジェクトプランを俯瞰して、よりニッチで奇抜なモデルを提案する。モデルを返されたプロブレムソルバーチームは外注を含めて最適なスキームを組み上げる。 これを僕らは学術、医療サービス、病院経営、機器開発販売に至るまであらゆる領域にアプライしてきた。 これは、いわゆるニュータイプジョブでもなんでもなくて、タレントのマネージメントの力。 はっきり言ってしまえば、ニュータイプって、多分単体では役に立たんし、ニュータイプ/オールドタイプ比率が大きくなる、つまりニュータイプが多くなると運用面が不安定になるだろう。僕の感覚では1:5〜10くらいが妥当なんじゃないかな、と思う。 このスキームには1つ限界があって、このやり方は仕事の枠組みを根底からバラバラにして、仕事に人を、じゃなくて人に合わせて仕事を組み替えていくことになっちゃうから、人事経営のイニシアチブを掌握してなきゃできない。会社組織であれば、少なくとも社長クラスをハンドリングできるポジションにいないと何もできないってことだよね。必ずトップダウン戦略になるので、ミドルマネジメントクラスがボトムアップでできる戦略じゃないってことです。 これは結構致命的。 下からやるなら強烈なレバレッジが必要。野心的な二代目社長をたぶらかすくらいの覚悟は必要です。 でも、できる。だから、やろう。 締めの言葉 冒頭で述べた、資本主義の脱構築の意味するところ。資本主義を共産主義にリプレースしてもうまく行かなかった。新しい時代への転換は、オールドタイプがかつて目指したような 「ファンファーレを伴ったシステムのリプレース 」によってなされるのではなく、誰もが気づかないうちに「人間の見方 」が変わることで起きます 。人それぞれの思考・行動様式が、オールドタイプのそれからニュータイプのそれへと変換することで 、新しい時代への転換が起きるのだ。

    第9回ニュータイプの時代6

    第9回ニュータイプの時代6

    第9回ニュータイプの時代5

    主題4)フランケンの注目ポイント 3章5 限界費用ゼロ 「作りたいもの 」が貫通力を持つ オールドタイプ ▼スケールを求めて市場におもねる ニュータイプ ▼自分がやりたいことにフォーカスを絞る メジャーとニッチ、ローカルとグローバルの話をちょっとしておきましょう。 今出てきた大量生産大量販売のモデルは、メジャー商品をグローバルに展開するという考え方です。もちろんハマればでかい。 スケールのメリットの減少について考えましょう。ローカルで獲得できた顧客層の割合、これが大きい、すなわちローカルメジャーというものを、グローバルに拡大したら何が起こるか? 顧客層の割合は維持できないっていうのがこの本の論旨です。 ローカルメジャーというのは、様々な要因から他の選択肢が無いという種極的な理由による顧客層が含まれている。グローバルなマーケットでは、この層がゴッソリいなくなる。この話はクリステンセンのイノベーションのジレンマに出てきます。 さて、じゃあ、ニッチって何?って話です。 ニッチって、簡単に言えば大きなトレンドから外れた小さなこだわりを持つ消費領域とでも言いましょうか。一言で言えばマイナー、ただ、単に数が少ないっていう意味ではなく、少ない代わりにそれを選択するモチベーションが強いニーズって言うべきでしょう。メジャーサービスでは満たされないニーズ。マニアックな何か。 マーケットサイズとしてはニッチは小さいと言えます。ローカルニッチなんていうのは相当に小さいので、大きな企業はあまりそこを重視しない。 でも、ニッチなニーズは、それじゃなきゃダメだという強いこだわりに立脚しているので、市場貫通力が強い。全体の1%しかいない顧客層である代わりに、その1%はそれ以外のサービスを求めない。 さっき出てきたタバコの例はいい例で、「タバコはタバコだろ、マルボロでいいだろ」って言ったところで、「ワシは若葉しか吸わん」っていうジイ様のニッチな要求を変えることはできない。 このニッチの市場貫通力の強さは、グローバルメジャーが失うスケールメリットっていうやつを保持しうるっていうのが、この章の骨子です。 これはシャープなんですよ。 ローカルメジャーがローカルでは持っていた50%というシェアを、グローバルにスケールアップすると30とか20%とかにシェアを失っていくのに対して、ローカルニッチが持つ1%はグローバルにスケールアップしても1%のシェアを維持しうる、すなわちスケールメリットが保持されうる、そういう理屈です。 これはガツンときますよ。 これね、実体験に基づく話なんで僕にはストライクです。 日本の中でのローカルニッチを熟成して、世界展開してグローバルなニッチマーケットをゼロから形成する、っていう仕事を進行形で複数手掛けていて、そんな時にものをいうのはやっぱりニッチユーザーがニッチデマンドを発生させる根源的な意味を理解することなんですよ。彼らが感じているコレジャナイ感を理解して、ニッチな彼らが潜在的にもとめている「ニッチな彼らにとってのあるべき世界」ってやつを想定する。 最初に出てきた通り、このあるべき世界とコレジャナイ感の差分が「問題」な訳だから、ニッチだろうがなんだろうが、ここに対する「答え」はサービスとして価値を持つ。市場貫通力を持つ商品になる。 これは別に具体的な商品だけの話じゃなくて、学術領域でも、人材でも、運用でも、すべてに当てはまるロジックだって痛感する。だから、なにかのチームを率いて結果を出さなきゃいけない立場の人は参考になると思います。 各論と深掘り3 ワークスタイルとモビリティ。 博士とフランケンが非凡な生き方をできているとすれば、ここに明確な意志を持っているからだと思う。 ここで取り上げたいテーマは2つ。バーベル戦略とモビリティ、言ってしまえばマルチポジショニングについてです。 第3章6 意味のポジションを取る 『経済学者のロナルド ・コ ースは 、なぜ経済活動のほとんどが市場による取引ではなく 、官僚的な大企業による管理と統制のもとになされているのかを研究し 、市場よりも 、企業内の方が情報流通のコストが低く 、より効率的に経済活動の調整ができるからだ 、と結論づけた 。今日 、コ ースが指摘した情報流通のコストは急速に低価格化が進んでおり 、労働市場で企業に所属せずに働くことのデメリットは相対的に小さくなってきている 。このような世界にあって 、従来通り 「オ ーガニゼ ーションマン 」として組織に所属する生き方は 、リスクばかりが大きく 、リタ ーンの小さいものになりつつある 。今後の世界は 、大企業による市場の寡占化と 、個人に代表される小規模組織の多様化 ・乱立という二極化が進むと考えられる 。このとき 、どちらの立場で仕事をするかが大きなオプションとなるが 、最もリスクが低いのは 「両方の立場にポジションを持って働く 」というバ ーベル戦略になる 。』 バーベル戦略については博士の真骨頂でしょう。 このバーベル戦略のポジショニングっていうやつが理解できない人がすごく多い。 基本的な考えとしてはブラックスワン、アンチフラジャイルで出てくる、90%の弁護士と10%のロックスターってやつですね。 この話は博士お願いします。 ナシーム・タレブ「アンチフラジャイル(反脆弱性)」の中で、バーベル戦略を提唱。90%医師、10%ロックスターという生き方。簡単に言えば、アップサイドとダウンサイドのリスクに非対称性のある仕事を組み合わせること。医師という職業は安定しているが、報酬が10倍に跳ね上がることはない。ロックスターのような生き方は、成功確率は低いが、成功すると報酬が青天井。ある程度安定した職業を片手で持ちながら、どこかで大化けするアップサイドのリスク(不確実性)を人生に盛り込んでおく。ちなみに、このラジオは私の中で、ロックスターに分類されるものです。失敗のリスクが限定的で報酬、マイクロインフルエンサーになる?は青天井です。ロックスター的なキャリアは、インターネットとの相性も良いですね。 山口さんがこの本で解いているバーベル戦略は、バーベルの左右に同じ業界を絡め取ってしまおうって言う、ややテクノカルなものになってる。 マーケットシェアは2極化する。 「役に立つ」の価値観では、GAFAのようなグローバルメガプレイヤーが独占寡占マーケットを形成する。 「意味を持つ」の価値観では、グローバルバルニッチがマーケットを分散・多様化させる。 こんな2つの山が1つの業界に現れる。 僕らが取るべきポジショニングは、グローバルニッチのポジションを取りつつ、「役に立つ」価値観の根源的なピットフォールである「コピー問題」にコミットするというバーベルポジショニングだ。 役に立つサービスはコモディティの中の最大資本が総取りする、でもその優位性は絶対的なものにはならない。価値をコピーされることで優位性が簡単に揺らぐ。それに対して、「意味」はコピーできない。マルボロを吸っている人はマルボロだから吸っているのであって、マルボロっぽい何か、が安かろうが意味を見出さない。 これは記号消費資本主義って言う別の閉塞した問題につながる命題なんだけど、今その話題はおいときましょう。興味が有れば、ボードリヤールでググってよね。 さて、まとめると、 ニュータイプのバーベル戦略としては、メガプレイヤーに「意味を付加する」ニッチな価値観を提供するというものになる。 これはなかなかに難しいですよ。 でも、考えれば頭ひとつ出る人って、みんなこういうバーベルポジショニングが上手い。 医療業界なら、学会って言う独占的メガプレイヤーにニッチミーニングをぶつける形でクレジットを構築している若者って、いっぱいいるでしょう? 教授レースをポクポク最下段から登るなんて戦略じゃ、スライドできない小山の頂上に閉じ込められて人生終わるよ。 努力が報われる、はミスリーディング。 個人が適性や置かれた場所におおいに影響を受ける。 これを無視する害念が1万時間の法則では、と山口さんは述べる。 『1万時間の法則が通用するのはルールが厳格化している分野に限る。楽器、スポーツなどがこれにあたる。知的専門職では費やした時間と成功の相関が極めて低いことが証明されている。』 また、1万時間の法則は形式論理学上の誤りがある。 命題:天才モーツァルトも努力していた が正しいとして、 1万時間の法則が進めるのは対偶ではなく逆命題である。 逆:努力すればモーツァルトのような天才になれる。 逆は真ならず、対偶は真なり。 この命題の対偶は 対偶:努力しなければモーツァルトのような天才にはなれない ここまでしか言えない。 努力は否定しない。でも、努力が成功を担保する、っていうのは間違い。 これはよくある若者の心理的甘えで、「スタートに必要な条件を揃える行為を、ゴールへの約束だと誰かに言って欲しい」という願望を垂れ流しているに過ぎない。 山口さんは、「正しい努力」を勧める。 1。努力の方向と、自分の適性が一致している。 2。技術に結びつく正しいやり方になっている。 この2つが無ければ徒労に終わる。 日本の教育が美徳とする「一所懸命」という価値観は、場合によっては意味のない筋トレになる。 「体験の質」「仕事の環境」が整ってなければ成長、成功できない。この「場」を得るためにポジショニングを変化させることがニュータイプの成長スキームである。ノマドワーキングにも通じるかもしれない。 これについて肯定的な本を読みたければ、「13歳からの世界征服」中田考(なかたこう)が最近では面白かった。 逆に、けちょんけちょんのして欲しければ「だから日本はズレている」古市憲寿(ふるいちのりとし)が面白い。 参考までに。

    第9回ニュータイプの時代5

    第9回ニュータイプの時代5

    第9回ニュータイプの時代4

    主題3)博士の注目ポイント 第4章8 論理と直感 オールドタイプ ▼論理だけに頼り 、直感を退ける ニュータイプ ▼論理と直感を状況に応じて使い分ける 過剰なもの。正解、モノ、データ、利便性、説得、競争 希少なもの。問題、意味、ストーリー、ロマン、共感、共創 過剰なものは「論理と理性」によって生み出される。希少なものは「直感と感性」によって生み出される。過剰なものとして挙げられているものが、かつては希少なものだった。 希少なものとされる、ストーリー、ロマン、共感といったもの。これはまさにワンピース的な価値観であり、それが時代に求められているもの。でも、今は時代の過渡期なので、ワンピース的価値観だけで生きていける人はまだ少ないのかも。時代のトレンドではあります。 第5章 ワークスタイル モビリティについて オールドタイプ ▼一つの組織に所属し 、留まる ニュータイプ ▼組織間を越境して起動する 複数の組織と横断的に関わることの重要性。 そのために、リベラルアーツが必要になる(後述) ここは、おそらくコモディティを抜け出すために必要なパーツになるのではないかと考えています。 大企業による寡占化と企業に依存しない個人(フリーエージェントなどのスモールプレーヤー)の台頭というトレンドは現在進行している二極化の双極と考えるべき現象。 7章19 リベラルアーツ オールドタイプ サイエンス(問題解決)に依存して管理する ニュータイプ リベラルアーツ(構想力)を活用して構想する S T E M ( S c i e n c e =科学 、 T e c h n o l o g y =技術 、 E n g i n e e r i n g =工学 、 M a t h e m a t i c s =数学 )としてくくられる理数系学位を得た学生は総じて給与水準の高い職に恵まれている。ところが全米で最も優れている人物、つまり年収の上位10%に当たる人びとの専攻を見てみると、政治学、哲学、演劇、歴史といったリベラルアーツ系科目が突出して目立つようになる。 「役に立つ」の軸に沿って目盛りを高めるのはサイエンスの仕事であり、「意味がある」の軸に沿って目盛りを高めるのはアートの仕事。 医師の多くは、STEM寄りの価値観を持っている。30代後半から40代にかけて、リベラルアーツを学べは、成長が加速できる可能性があると思う。 ジョブズは、カリグラフィー(美しい書物という意味)の美しさを知っていたからこそ、なぜパソコンのフォントはこんなに醜いのか?という疑問を持てた。 組織の上層に行くほど仕事の重心は、問題の設定へと傾斜し、組織の下層になるほど問題の解消へ傾斜する。 リベラルアーツのリベラルとは自由という意味であり、アートとは技術のこと。リベラルアーツとは自由になるための技術ということ。

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