OLの手帳

 幸せというのは他人と比較するものではなく、その本人の価値観によって生み出されるべきものである。隣の芝生は常に青いものだから、あなただけの幸せの基準を作りなさい。こんな自己啓発本にありそうな言葉を幾度となく人生の中で聞いてきた。これまではそんなページを見つけると鼻糞で糊付して二度と開けない様にしたものだが、あながち間違ってもいないのかもしれないと最近よく思う。他人から見れば決して羨むような生活でなくとも、本人が活き活きとしていればそれでいい。

 ある夕暮れ、電車に乗っているとOLが手帳に何やら書き込んでいた。決して美人ではないが、その容姿や表情からは日々充実している喜びが感じ取れ、全身でOLを楽しんでいる様子だった。一万メートル上空からでも目視確認出来る程のOL然とした佇まいに電車内の誰もが吐き気、目眩、貧血を起こしそうな勢いである。きっと部屋の冷蔵庫には風呂上がりに食すであろうプリンやパンナコッタ的なものが常備されているに違いない。僕は嗚咽を抑えながらポケットの中で拳を握った。そのOLが実家の両親にまで届きそうな日々の充実したオーラを迸らせながら、手帳に丸文字で何やらしたためているのである。個人的に電車の中で気になるのは女子高生の御御足よりも、こういったその人の私生活が垣間見えるものだ。見てはいけないと思いながらも、その手帳を覗き込んだ。箇条書きで書かれた今後の予定や目標の一つ一つは非常にたわいもないものだったが、そのページを締めくくる最後の言葉に僕は戦慄を覚えた。

「仕事はサクセス!プライベートはハピネス♡」

 どついたろかと思った。何を言っているんだこのアマは。とりあえず電車を止めろ。緊急停止ボタンを押して、線路脇でこんこんと説教をしたい気分に駆られた。その文がそのOLの創作なのか、引用なのかは分からないが、ともかく木を切り森を削り作った紙の上にそんな駄文を書き連ねていること自体が許せない。韻を踏んでいることがさらに怒りを助長する。ポケットの中で震えていた拳をいよいよ振りかざしそうになった時、ふと冷静に自己を顧みた。しかしながら自分自身はどうなのだろう。日々の仕事や生活に不平不満を並べながらも向上心の欠片もなく、その上他人の目を気にしている卑屈な人間である。一度このOLの様になってみたい。竹内まりあの『毎日がスペシャル』を爆音で聞きながら、丸の内あたりを闊歩してみたい。車窓から流れ行く景色を見ながら、心の中で呟いた。

「仕事はサクセス!プライベートはハピネス♡」

 少しだけ、世界が明るく見えた。

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