手打うどん甚六

 いつもそこに当たり前にあるものが有難い。
 それはたとえ高価なものではなくとも、代わりのきかないものなのだ。たまにしか着ない高価なカーディガンの肌触りより、使い古した安い部屋着のスウェットが心地良い。そんな体験をした。

 先日、家の近くにあるうどん屋に初めて入った。
 引っ越してからもうすぐ一年経つけれど、これまで少し敷居が高そうでなかなか入れなかった。小さな入り口には、暖簾に染め抜かれた「手打うどん甚六」という文字。少し緊張しながら暖簾をくぐった。

 中に入ると初老の夫婦が笑顔で向かい入れてくれた。ご主人はいかにも職人という風貌だが、物腰は柔らかく、柔和な笑顔と闊達な語り口の人で、少し安心した。カウンターと小さなボックス席が二つ。お客さんは常連風のおじさんがカウンター席に一人座っているだけだった。
 こじんまりとした店内だが、生け花や木彫りの彫刻など、内装の一つ一つが品良くまとられていて、お品書きも全て手書き。壁には芸能人のサインが張られていて期待が高まる。お茶を出され、一口啜ると渋みがきいているが後に甘みの残る美味しいお茶の味がする。やはりチェーン店の安いお茶とは違うなと、嬉しくなった。

 小さな声でたぬきうどんを注文した。ご主人は慣れた職人の手つきで調理をはじめ、ものの数分で綺麗な器に入ったたぬきうどんを出してくれた。
 天かすにワカメ、人参、水菜というシンプルな構成だが、一つ一つが目に鮮やかで、手打ちうどんの麺は太く、当然機械で作られた無機質な形ではなくて食感が楽しみになる。
 香りをたっぷりと楽しみ、箸をとってうどんを啜ろうとした時、おばさんがコップを持ってこちらに近づいてきた。ああ、水もわざわざ頼まなくても出してくれるのか、気が利くなと思っていると、そのおばさんが一言。

「どうぞ、アクエリアスです」

 アクエリアス!?
 一瞬、自分の耳を疑った。アクアって言ったのか?ハイカラな言い方に憧れた世代なのか?と、そのコップの中を見ると確かに淡く白濁している。
 健康の為に蕎麦湯を出してくれたのか?いや、この店はうどんしか扱っていない。おそるおそるその液体を口に含むと、一瞬にして電解質まで届く味がした。
 温かくダシのきいたうどんとアクエリアス。
 もしかして合う組み合わせなのかもしれないと交互に食したが、笑いを堪えるので必死だった。これは若者だからアクエリアスを出してくれたのか?
おばあちゃんがいくつになっても子供は炭酸飲料が好きだと勘違いしている様に、俺を見てアクエリアスを出してくれたのか?
 そう思い、隣でうどんを啜っているおっさんをチラ見すると、やはりそのコップの中の液体は白濁していた。

 のどかな昼下がり、うどんを食べ終わり、静かにお茶とアクエリアスを飲み干し、お勘定を払った。店を出てはじめに思ったことは、店の佇まいでも、老夫婦の笑顔でも、うどんの味でもなかった。
ただ一つ。
水飲みてぇ…。

 家に帰るとすぐ、部屋着のスウェットに着替える様に、コップ一杯の水を飲み干した。
 ただの水が、海外旅行に行った時以上に有難く、20mシャトルランをした後以上に美味しかった。

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