ただの模造紙とマジックペン、しかし 書き続けている奥深さを慮る。

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【今週の自戒】
ただの模造紙とマジックペン、しかし
書き続けている奥深さを慮る。

何気に通いはじめてもうすぐ
10年になります。
この壁に貼っている写真は、
大阪市内のあるガソリンスタンド。
マイカーを持たない、車を運転しないながら、
たくさんの方々から、
最近あのガソリンスタンド行かないのですか?
と聞いてくださるほどに。

経営の一端、事業継続に大切なことを
この模造紙一枚とマジックペンでできることから
学ばせていただいています。

この模造紙に書かれた言葉、
都度都度、誰かが
書き起こし、ガソリンスタンドの壁に貼る。
その壁は、給油の際に運転席から
見えるように、そして車道に出る際にも
よく見えるところに貼っている。

給油客だけでなく、私のような
全く顧客化しない者までに影響を
もちろんこのガソリンスタンドの社員の
皆さんにも必ず与えていることは明らか。

この模造紙以外にも
ポップがあったり
他のガソリンスタンドではおよそ
扱わない商品も分かりやすく
それとなく販売している。

斜陽産業であることは周知のこと
しかし、
継続してできることはやり続ける
また新たにやってみることにも
貪欲に経験値を増やす。
当たり前のことですが、
当たり前にできている会社、経営者が
いかに少ないことか。

写真の言葉、書いている内容は
毎回雑誌PHPの裏表紙の言葉です。
以下に全文を引用します。(6月号PHPより)
『戦争、天変地異、そして疫病の流行。国家社会を襲う未曽有の危機は、きまって不意に訪れる。そして人びとは不安と恐怖から理性を失い、狂奔した行動に走る。
必需品の買い占めに走ったり、他国民を非難したり、人として見苦しい振舞いをしてしまう。恐ろしいのは移ろいやすい人の心。平時であれば自制心を保つところが、非常時となるとたががゆるみ利己的になる。おのずと下品になっていく。
国民の品格が問われるのは平時よりもむしろ、こうした苦難の時なのではないだろうか。
元来、日本人の素晴らしさは和を貴ぶところにある。だからこそ、秩序を守りながら衆知を集め、危機を打開することができる。
それは数多くの被災地でも、私より公のことを優先し、他人への思いやりを忘れない民の行動一つひとつに、存分に発揮されてきたといえよう。
和の伝統精神を以て、これまで通り節度を失わず、世界の模範となる国民でありたい。競い合うより、一つになって協力し合うべき時代に来ている。
その魁として日本人は成熟した大人の国民でありたい。』

上記の模造紙に書かれた文章を読みくだき、
感じますのは、、、
一部の声の大きい下品な人々、
賞味期限切れ感のある方々
その不平不満は聞くに耐えない。

しかしながら、
大多数の日本人は現状を受け入れ
自分のやるべきところに集中している。
暴動や略奪が発生した話なんて聞いたこともない。
なんて素晴らしい国であり、国民なのかと
思います。そして誇らしい。

私自身へ老害と呼ばれないように
戒めつつ、
賞味期限切れの方々にはさっさと
お引き取り願って、
若いやる気ある方々と
共に前へ進んでいきたいと思います。

マジックペンと模造紙があるだけでも
これだけのことができるのだと。
自信を持って。行動していきたい。

元気と笑顔ある月曜に
今週も
よろしくお願い申し上げます!

一度だけお会いさせていただいた出口さん、
素敵な人生の先輩でした。
考え方にも共感いたします。
・良き人に会い続ける
・良き文章に出会う
・良き街・田舎へ旅に出る
これからさらに意識的にやっていこうと。
明日は宗像市、博多へ。楽しみです!

【思いがけない世界が広がる】
立命館アジア太平洋大学(APU)学長、出口治明(はるあき)氏の心に響く言葉より…

ホモ・サピエンスの歴史のなかで、高齢者はその知識や経験が群れ全体の生存に役立つだけではなく、たとえばみんなが食べ物の狩りや採集に出払っている間に赤ちゃんの面倒を見るとか、留守番をするなどして、次世代の育成に役立ってきました。
こうした歴史的、生物学的な事実を踏まえると、高齢者がなぜ生きているのかといえば、次の世代のためというのがその答えになるでしょう。

高齢者は「次世代のために働くこと」に意味があり、次世代を健全に育成するために生かされていると考えるべきなのです。
そう考えると「保育園が近くにできるとうるさくて昼寝ができない」などと反対する高齢者は、自分が何のために生かされているのかという本分をわきまえない人というほかありません。
行政はそういう人のわがままを受け入れるのではなく、逆に「子供のいない山奥にでも行って一人で生活してください」と説得すべきです。

洋の東西を問わず、船が沈没する際に脱出する順番は子供、女性、男性、そして高齢者です。
なぜなら、その順番にしないと群れが死滅するからです。
高齢者より、将来を担う若者たちの優先順位を高くしなければいけないということは、昔からみんな、わかっていたのです。

ある大企業の人事担当役員と会食したときのことです。
「転勤をしたくないというわがままな社員が増えて困っています。これでは日本の将来が心配です」と語るので、僕は次のように反論しました。
「そういう考え方は歪んでいると思います。
企業命令でどこにでも自由に社員を転勤させられるという考え方は、2つのあり得ない前提を置いています。
一つはその社員が『飯・風呂・寝る』だけの生活をしており、地域や社会とのかかわりは一切ないという前提。

その社員はひょっとすると、週末は地域のサッカーチームで名コーチとして子供たちに慕われているかもしれません。
もう一つはパートナーが専業主婦(夫)で、転勤を命じたら黙ってついてくるという前提。
パートナーも仕事を持っていたり、地域とのつながりがあったりするでしょう。
だからグローバル企業では、転勤するのは希望者と経営者だけです」

しばらく下を向いていた彼は、再反論してきました。
「希望者だけ転勤させるようにしたら、札幌や福岡のような元気のある大都市にはみな手をあげますが、過疎地には行く人がいなくなってしまいます」と。
「希望者がいなければ現地採用すればいいだけの話です。過疎地にはあまり仕事がないので地元からは喜ばれるし、多様な背景を持った人材の採用にもつながるでしょう」。
そう返したら、彼は黙ってしまいました。

「企業が命令したら転勤するのが当たり前」というのは高度成長期のいびつな考え方を何も考えずにそのまま引きずっているものですが、少し自分の頭で考えれば、社員の地域との結びつきやパートナーの事情を一切考慮してない、人間性に反した慣行であることにすぐ気付くはずです。
転勤というシステムは、無意識に終身雇用を前提にしていて、企業にはいろいろな事業所があるので全部見せておいたほうが後々の仕事で役に立つだろうという漠然とした考えから行われています。
しかしいま、企業の寿命はどのくらいでしょうか。
この質問を大学生に投げかけると、長くて18年くらいという答えが多い。
仮にそのくらいだとすると、人生100年時代のキャリアとしては一生に3つから4つくらい企業を変わることになりますから、一つの企業のなかの、全国のいろいろな事業所などを、知る必要は全くありません。
それより、専門性をみがいたほうがはるかに役に立ちます。

  『還暦からの底力』講談社現代新書

出口治明氏はこう語る。
『偶然の出会いに任せることで、もしかすると自分の好きなことではない、無縁の分野と思っていた世界に新たな道が開けるかもしれません。
定年前はメーカーに勤務していた、文化的な教養とはまったく無縁のように見えた僕の友人がいます。
彼は友達に誘われて短歌の会に参加したところ、すっかり短歌に魅了されてしまいました。
いまではその短歌の会が出している機関誌の編集長を務め、「サラリーマン時代よりも忙しい」と嬉しそうに活動しています。
これはまさに適応の好例で、誰かに短歌の会に誘われたことが彼に前に現れた運でした。
だから大切なのは「人・本・旅」で、たくさんの人に会う、たくさんの本を読む、たくさんいろいろな現場へでかけていき、たくさんの出会いをつくることです。
すると、その中から運と適応により、思いがけない世界が広がるかもしれません。
「やったことがない」「行ったことがない」と未知の物事に門戸を閉ざすのではなく、やはり来るもの拒まず、去るものは追わず、で川の流れに自然体で流されて生きていくのが一番いいと思うのです。』

年齢を重ねれば重ねるほど、頭を柔らかくしないと、世の中の流れを止めてしまったり、若者の可能性を縮めてしまうブレーキとなってしまう可能性がある。
頭を柔らかくするには、出口氏のいう「人・本・旅」を多くするしかない。
新たな人と出会わなくなったり、新たな本を全く読まなくなったり、新しい場所へ行かなくなったとき、人は老いる。
これは、年配者だけではなく、若者、中年にも言えることだ。

興味と好奇心を持ち、自分の思いがけない世界を広げたい。

上記の【思いがけない世界が広がる】については人の心に灯をともすより引用しています。

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