8年前のあの日、劇場で

今日であれから8年

午後2時46分 パブリックシアターの舞台下手袖付近に僕はいた。
その日の催し物は「舞台音響講座」
午前中に仕込み、午後から講座開始

時刻

ちょうどその時舞台上では「舞台音響講座」が真っ只中。
通常の講座スタイルだと客席に座ってもらい行うところ、その日だけはたまたま舞台上に長机とホワイトボード、音響卓など組んで舞台を横に使って実施しており、舞台上に受講者が全ている状態であった。
音響課長が熱弁を奮っていた。

1度目の揺れ

はじめはただの地震と思いきや、、長い、、そして揺れがすごい。
機構卓前室から舞台に出て覗いてみると
けたたましい建物の軋む音とブリッジとバトン同士が当たる金属音、そしてすのこから細かいものがパラパラ降ってきた。

すぐに音響課長が講座の参加者(15〜25人くらいだった記憶)を上手前の避難口からロビー客席に誘導した。

僕はすぐに機構の油圧の電源を落とした。

揺れている最中同じく待機していたKさん(現技術部長)と階段を手摺をつかまりながら袖に降りていき
ほんの僅かなではあったが状況を観察

1度目の揺れが止まってもありえないくら上空のブリッジやらバトンやらが揺れていた。

そして2度目の揺れ

ああ、建物が崩れるかもな〜
って思うくらい怖かったのを覚えている。

「誰かいませんか〜」
それでも避難訓練通り楽屋など見回り、誰もいないことを確認しつつ

世田谷線三軒茶屋の駅前のプラザ(駅前広場)に降りて行った。

人が多すぎて広場には人が入りきらない。
ここでこんなに大勢が働いていたんだと実感した。
キャロットタワーで働く人がみんな降りてきていた


人がゴッタ返す中、僕ら技術部がフォローするべき人含めてみんないるかの確認。
この日は稽古場は1つだけ稼働していて、大駱駝艦さんが地下4階の稽古場で稽古していた。

良かった、稽古場チームも全員いる

そしてまた激しい揺れ

キャロットタワーがぐわんぐわん揺れている
それを見た広場にいた全員がキャロットタワーを背に
一斉にその場を離れようとした

僕は揺れるタワーに見入ってしまっていた
みんなはパニックだった

あぁ、こっちの方が危険だと本能的に感じた

タワーが倒れることなく揺れがおさまり(あとで聞いたらあえて揺れて被害を少なくする構造なのだそう)

広域避難所の昭和女子大に避難することに

街中はいたるところが壊れ、衝撃だったのがマックの2階部分のガラスが割れて落下し飛散していた。

今思えば三軒茶屋にはガラス張りの建物だらけ

震度7とかが来たとしたらゾッとする
多分劇場の外の方が危ない

昭和女子大につきしばし状況確認と情報収集
ここで講座参加者の皆さんとは別れた

講座からそのまま避難して来てしまったので
格好は半袖Tシャツのまま。寒かったのを覚えている。
劇場が複合施設ということもあり、一度出たら建物内にはすぐには入れず出るときに持ち出さないといけない

大学キャンパスでどのくらい経っただろうか

日も暮れはじめようやく事務所に入れる確認が取れた
その日は事務所に戻り僕は近かったので帰宅
照明課長は劇場で一晩を過ごした

翌日

劇場を確認するべく出勤
劇場に行こうとすると
まず建物同士の渡り廊下にすごい起伏と亀裂
エスカレーターには怖くて乗れなかった(その時1番思ったのは池袋の芸劇のエスカレーターは大丈夫だろうかということ)

1歩ずつ確認していき中々劇場にたどり着かない

ようやく劇場に入ると
運が良いことにそこまで激しい感じではなかった
舞台上に普段見たことがないものが落ちてたりはしていたが
想像していたよりは全然綺麗だった

すのこでバトンのウィンチ、プーリーなど1つ1つを確認をした

一番被害があったのは主舞台、前舞台に段差ができてしまっていたこと
(後日床機構を確認し、床板を削り修理)

当日のことは割と鮮明に覚えているが翌日以降はぼんやりしている
やはり当日のインパクトが強かったせいであろう。
ただ翌日以降は生と死を考えながら劇場にいたことは覚えている。

あとはこの状況で公演をやるべきかやらないべきか問題が出た
「不謹慎」「自粛」「こういう時こそ芸術を」「支援のために」
これは都内の劇場でもかなり議論になったと思う
確か野田秀樹さんがやっていて声明みたいなのを出していた気がする
どちらの言い分も正しいと思うし、正解がないのかもしれないが
ちなみに僕はその時はやらない派だった。
この考えが僕が一番共感できたので載せておきます

僕はちょうどその時「獅子虎伝阿吽堂」という公演の舞台監督をしていて準備期間だったんですね。それがなくなってその枠で芸術監督である野村萬斎さんがトークするっていう企画が急遽浮上して来て、
そのままスライドで萬斎さんの解体新書の舞台監督を。

それでも現場ではやるやらないのその議論にもなったのだが、
やる方向になった。
もともとトーク形式の公演だったので
節電ということで明かりを最低限しか使わず蝋燭の灯りだけでがコンセプトでやろうということになった。
普段なら絶対に通らないであろう禁止行為解除の申請を僕は消防署にしに行った。当時の技術部長が消防署の副署長(だったかと思うが)にホットラインはしておいたからハンコもらってこいと言われ行くも、担当官にまで連絡が回っておらず必死に事情を説明し、何度も説明して受け取ってもらった。
舞台4隅と中央の5本だったかな、蝋燭があったと思う。
もちろん獅子虎伝は幻の公演になってしまった。


今となってはどの劇場も実際にお客さんをいれての避難訓練や、想定外を想定しての訓練、机上での想定訓練など今でも訓練の情報は劇場から回ってくる。
もちろん訓練が大事なのはわかる。
実感として体感できるし、チェックもできる。
パニックになった時も思い返されば、訓練通りで救われることはあるだろう。
やったほうが良いに決まってる。

ただ僕はもっと大事なのはその場に居合わせた人たちの人間力だと思ってる
誰かに頼るのではなく1人1人が最善を尽くし、怪我をしている人がいれば声を掛け合って助ける。
そうありたいと思う。


2019.3.11
哀悼の意を込めて、そして新しい時代に向けて。
忘れないことではなく、何かしら次に進むために。
note。早くこんな桜がさくと良いな。

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