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世田谷パブリックシアターとの契約をやめました

13年間技術部舞台担当として携わってきました世田谷パブリックシアター、シアタートラムですが、今年度を最後に年間契約を更新しないことに決めました。

思えば右も左も知らない状態で、
「劇場管理がやりたい!小屋付きやりたい!!」
で飛び込んだこの劇場。
最初はヘトヘトになりながらも、第一線のプロの方達に早く認められるように、そして最高の劇場にしようと思ってガムシャラに働いてきました。

舞台用語を覚えるところから始まり、備品管理資材出し、機構オペレーター、機構フロアチーフ、公演受入れチーフ、技術チーフ、主催公演の演出部、舞台監督、プロダクションマネージャー、ツアー公演、海外招聘チーフとステップアップしながら色々なことを経験させてもらい、舞台人として成長させてもらいました。
そしてこの劇場で働けたおかげで、名だたるプランナーさんから老舗の業者さん、画面向こうでしか見れなかった芸能人、自分が普通に生きてきたら出会えなかったら世界のダンサーさん、これからを担う小劇場の役者さんまでこの業界の様々な方と一緒にお仕事をさせていただきました。
本当に感謝しています。

世田谷パブリックシアターは4月で25周年になります。
芸術監督が野村萬斎さんから白井晃さんにかわり、館長も高萩宏さんになります。
劇場としても大きな節目、ちょうどよいなと後押しされた結果です。

もともと他の劇場でも働きたいという思いがあったので5年前くらいから新しい劇場にいこうという気持ちが強くなっていました。
全国の公共劇場から来てくれないかと声をかけていただいたのは本当に嬉しかったし、劇場管理冥利に尽きるなと今でも鮮明に覚えています。
そこからオリンピック開会式を萬斎さんがやるということを聞き、だったらそれまで世田谷にいようと思い、ここまできました。

芸術監督が変わるというのは1つの大きな理由ですが
辞めようと思った理由は良いことも悪いことも様々あります。

人生は一度きり
楽しんだもん勝ち


これが僕のキーワードになりました。
舞台以外にも色々やりたいことも出てきました。
人生欲張って、そしていつだって挑戦者の気持ちで新鮮に生きていこうと決意しました。
新しい劇場でも働いてみたい。もっと世界も見てみたい。
そして今大事なもの・大事なことは何か常に考え、そして大事なことに気づけたらそれを今以上に大切にしていこうと。

今舞台業界は疲弊しています。公共劇場も疲弊しています。
疲弊を認めて少しスピードを落として休んでも良いのじゃないかなとも思います。
一度足を休めると次に動き出すのは大変だということはわかります。
でも無理をしてやっているからうまくいかない。
悪循環のスパイラルは各々が意識して抜け出さないと抜け出せない。
それが厳しければ少し角度をかえてみてやる。着眼点をかえる。

なので今年1年、私は次に向かう為の転換期です。
自分で自分自身にCueを出します。

そう !転換です、転換。ブリッジ。
セットチェンジがあるのか、シーンチェンジなのか時間経過だけなのか。
暗転板付なのか、フェードアウトなのかカットアウトなのか、見せ転なのかブルー転なのか。ワゴン転換なのか、吊物転換なのか、はたまた休憩15分なのか。

出演者は自分。スタッフも自分。自分劇場。

そう、なので自分的演劇史、第一章 世田谷編 完!!

それでは!
「転換スタンバイ、、、GO!!」

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