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「絶滅危惧種」となった桶屋の挑戦、過去のものというイメージを刷新するコンテンツ戦略とは?

風が吹けば桶屋が儲かる、とは思いがけないことの果てに得をするという意味の諺ですが、なぜ、そもそも桶屋なのか?

それは、桶屋がそれだけ儲かりやすかったのではないかという考え方があるそうです。つまり、ビジネスの世界において、桶屋とは金のなる木であり、収益性も成功確率も高いビジネスだったようです。

というのも、桶屋とは、風呂で使う湯桶、洗面器、手桶だけでなく、台所ではおひつ、寿司桶など。そのほかにも、桶の形をしたものは、全て桶屋が担っていました。つまり、桶とは生活必需品だったのです。

そんな桶屋も時代の進歩、新素材の誕生によって、少しずつ淘汰されていきました。かつては、それこそ、そこらじゅうにあったであろう桶屋も、今では全国におよそ40軒のみとなっています。

特に、プラスチックの普及によって、生活の中に木桶はどんどんと少なくなってきています。木桶にこだわる人が減っている中、この流れは致し方ないものかもしれません。

しかし、そのような時代に逆行するかのように、桶という文化を再興しようと奮闘している桶屋が香川にあります。それが、谷川木工芸です。

今回は、この谷川木工芸の3代目である谷川清さんにお話を伺いました。



介護士の資格を捨てて、家業に戻る

谷川清さんが家業である谷川木工芸に戻ってきたのが2017年のことでした。1955年に祖父が創業してから、60年位以上の年月が流れていました。

家業に戻るまでの清さんは、介護の業界として働いていて、実家に戻ることなどは少しも考えていなかったそうです。しかし、枠のない場所で、上のいない環境で、もっと挑戦したいと考え始めた時に、初めて実家の木工芸を継ぐことを考えたそうです。

そして、現代には現代にあった桶屋のやり方があるはずだと考え、そのプランを実行させてくれと両親に直談判をしたそうです。それを聞いた両親は、もちろん、猛反対でした。おそらく、わざわざ厳しい仕事をする必要はないと考えたのでしょう。

しかし、清さんの意思は固く、いつしかその熱意に動かされて、ある条件を元に、家業を継ぐことを了承します。

その条件が、半年間で、谷川木工芸が扱っていた商品全てを作れるようになれ、というものでした。少なく見積もっても30種類以上の商品全てを。それまで、道具も握ったこともなく、木の違いもわかっていない清さんにしてみたら、あまりにも過酷な条件です。

しかし、それに対して、清さんは、「半年もいらん、3ヶ月で十分や」と言い返します。


寝ても覚めても、桶作り

3ヶ月という短すぎる期限のために、清さんは最短距離で桶作りの技法を学びます。背中を見て覚えるという職人的な方法に頼っていては間に合わないと考え、数学を応用することを考えつきます。

そもそも、桶を作るには、木の小さな板をぐるりと円状に並べて、その外側に「たが」と言われる金属の輪っかをはめる必要があります。この木の小さな板の厚みがどれくらいで、板の断面の角度が何度で、それを何枚使えば、作りたい桶の大きさになるのか。これらを熟練の職人は勘で導き出します。

しかし、そのような経験も勘も育てている時間のない清さんは、作りたい桶の直径と円周から、必要な数字を全て計算で出していきます。勘がなくても、この数字さえあれば桶が作れる。意気揚々と、作業場に分度器を片手に行った清さんでしたが、この数字通りに削ることができませんでした。

その時に、数字の限界と勘の必要性を実感したのです。

そこからは、ただひたすらに勘を磨くだけでした。数字で出した狙いを実現するために、昼も休まず、ひたすら作り続けました。


桶の制作風景

そんなある夜のこと、清さんは夢を見ます。桶を作る夢を。その夢の中では綺麗にバシッと円形に決まったのです。目が覚めた時には、夢かと落胆したものの、その朝、作業場に行って桶を作ると、夢と全く同じ感覚でバシッと決まったのでした。

勘を掴んでしまえばあとはどんどんと腕を上げていき、3ヶ月経つ頃には全ての商品を作れるほどの腕前になったのでした。


桶の復活のためのお弁当

そもそも、清さんの目的は、全ての商品が作れるようになることではなく、桶の復活であり、現代にあった桶屋の形を作ることでした。

その第一弾として、取り組み始めたのがお弁当箱でした。

木のおひつ、寿司桶がいまだに重宝されているのは、お寿司屋さんなどお米の美味しさにこだわっている場所です。木でできているおひつや寿司桶は、お米から出てくる水分を調節することで、冷めても美味しい状態を維持してくれるからです。

この特徴をもっとも活かせる場所として、目をつけたのがお弁当箱でした。持ち運べるおひつとして、お弁当箱を出せば、きっと人気が出ると考えたのです。

その時に、清さんの奥さんのアドバイスも力になりました。当時、丸いお弁当箱がインスタグラムで流行していて、インフルエンサーさんもこぞって丸いお弁当箱を使って撮影をしているのに目をつけたのです。

そんなインスタグラムを見せながら、この人たちが使いたくなるようなお弁当箱を作ったらいいと思う、と。そのアドバイスを受けて、丸型のお弁当箱を開発しました。そして、まさに狙い通り、インフルエンサーさんたちがこぞって、谷川木工芸の丸型のお弁当箱を買っていったのです。

そこから、2段のもの、1段のもの、さらには、電子レンジで使えるお弁当箱と、次々とお弁当箱を発表していきます。その反響はテレビや新聞を集めるほどのもので、いっときは、お弁当箱の谷川さんと呼ばれるほどだったそうです。


桶の可能性はライフスタイルへ

お弁当箱のヒットによって、改めて桶の可能性を確信することができた清さんは、さらに次のプロジェクトへと進んでいきます。それは、一般的な桶のイメージを覆すものでした。

桶とは改めて何なのかを考えてみると、あの形状を指しているそうです。つまり、ぐるりと円形状に木の板が並び、底板がある形を。そのように桶を捉え直した時に、実はこれまで桶が使われていたのは、ほんの一部分に過ぎなかったとも言えるのです。

桶の形をしたものが、身の回りにもっとないかという目で見直すと、いろいろなものが桶として捉えられるようになります。

たとえば、現在、清さんが商品化を進めているプロジェクトでは、桶はソファーとして、照明器具として生まれ変わります。


桶のソファー


桶の照明器具

これらはまさに、桶をコンテンツとして捉え直したことで誕生したプロダクトです。

桶という形にどのような意味や文脈を載せるのか、そのコンテンツとしての可能性を拡張することで、これら以外にもより多くのものが生まれていくことにもなるはずです。

その先に、清さんは、桶のある生活、ライフスタイルを提案できるブランドを作っていきたいと語っています。そうすることで、桶屋がもっと必要とされる時代が来るだろう、と。

確かに現在は、風が吹けば、桶屋が儲かる時代ではありません。しかし、清さんが目指すのは、風を取り戻すことです。桶屋にもう一度、風を吹かせば、また桶屋は儲かる。そんな時代を作りたい、と。


中小企業が変われば、日本が変わる。その思いをもとに、今まさに変わろうとしている、新しい挑戦に取り組んでいる、チャレンジしている中小企業をご紹介しました。

谷川木工芸の桶の取り組みは、全ての業界に勇気を与えてくれるものだと思います。

谷川木工芸のホームページはこちら

それでは、次回のnoteもお楽しみに。