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ふくだりょうこ『ご注文は承っておりません~あなただけのお食事作ります』

 ゆらゆらと体が揺れる。

「……さん、加奈子さーん」

 誰か、呼んでる。女の人の声。

「もしもーし、加奈子さーん。そろそろ起きてくださーい」

 耳元で声が響いて、ハッと覚醒する。
 ガバッと勢いよく体を起こす。

「あー……寝ちゃってたぁ……」
「ふふっ。ぐっすりでしたね」
「仕事から帰ってきて、ソファでちょっと休憩するだけのつもりだったのに……あっ、いま何時!?」
「もうすぐ20時ですね」
「は!? もうあの人帰ってくるじゃない!」

 夕飯の用意をしなくては、その前に風呂掃除してお湯を溜めて、あっ、洗濯物を取り込んだっけ、いやとりこんでない! ……と頭の中でめまぐるしく段取りを立てている途中で違和感が差しこまれる。

「ん……?」
「はい?」
「……あなた誰?」

 私の目の前でニコニコ笑っているショートカットの女性。着物姿に割烹着。
誰だ。

「ああ、ご挨拶が遅れてしまって申し訳ありません。私、盛山花(もりやまはな)と言います」
「はあ……」

 差し出された名刺。そこには名前と電話番号、そしてかわいらしいフォントで『てるてるごはん』と書いてある。

「てるてる、ごはん」
「はい。簡単に言うと出張料理人ですね」
「頼んでないけど」
「加奈子さんの旦那様の桐山悟さんからご依頼いただきました。鍵も悟さんから預かっています」
「はあ……つまり、今日の夫婦の夕飯を作ってくれるということですか?」
「いえ、加奈子さんのお食事だけ作らせていただきます。当店では『たったひとりのためだけに料理をする』ことを生業としています」
「私のためだけに」
「はい。いま、加奈子さんに必要なお料理を」

 私に必要な料理。なんだろう。何か食べたいものなんてあっただろうか。今朝はヨーグルトで、昼は忙しくてサラダだけかきこんだ。でもあんまりおなかは空いていない。

「悪いんだけど、今食べたいものが何もなくて」
「大丈夫です。加奈子さんのお顔を見て、いま加奈子さんが食べるべき料理をお出しする。それが当店のサービスです」
「こちらから何か食べたいか、とか」
「ご注文は承りません」

 にっこりと、でもそれなりの圧を発しながら花さんが言う。雑にまとめると、人の家に上がりこんで勝手に料理をするだけではないのか、と思うが。ピーピー、と炊飯器が鳴った。ご飯が炊けた匂い。この人が炊いてくれたのか。

「じゃあ、お願いするわ」

 今さら、メニューをひねり出すパワーもない。それに、私だけのために、私に必要な料理を作ってくれるなんて。そんなことここ数年、あっただろうか。――ない。そもそも夫は料理ができないし、外食も嫌いだから、結婚してからの5年はほぼ毎日、人のために食事を作っていた。

「それでは、お台所お借りしますね」
「何か手伝う?」
「いえ、加奈子さんはくつろいでらしてください」
「材料は?」
「加奈子さんが寝ていらっしゃる間に買いに行ってきました」

 それならば洗濯物を、と思うが、ソファの隅にきちんと畳まれた洗濯物が置かれていた。じゃあ風呂掃除を、とバスルームに行くとこちらもピカピカに掃除されていて、お湯を溜めている最中だった。

「あの、洗濯物とか風呂場とか」
「加奈子さんが眠っていらっしゃる間、暇でしたので。あ、ご主人に一応許可はいただきました」
「……そう。別料金がかかったりするのよね、きっと」
「いえ、時間を持て余して好きでやっただけですので結構ですよ」

 ニコニコしながら、それでも手を動かしながら彼女が言った。手持無沙汰になった私はとりあえずソファに座ってテレビをつけた。

 ――どうしよう。くつろぐってどうするんだっけ。

 最近はとにかく時間に追われていた。朝起きたら洗濯機をかけて悟のお弁当と朝食を作って送り出したあとにテキトーなもので朝食を済ませてメイクして仕事に行って。帰ってきたらまた家事に追われて、お風呂から上がったら疲れ切ってスキンケアもそこそこにベッドに倒れ込むのが日常だった。
 ボーッとテレビを観ているとゆるゆると体中のネジが外れていくような気がした。いつもキッチンから、このソファを眺めていた。正確には私が家事をしている中、ソファでダラダラしている悟を眺めていた。なんで私ばっかり。勝手にやってるだけだろ、と言われたらそれまでなんだけど。私はこのまま悟の世話をしていくだけで一生を終えるのかな。気がついたら、最近そんなことばかり考えていた。

「加奈子さん、お待たせしました」

 ふわりとおいしそうな匂いが鼻をくすぐる。

「加奈子さんのための特別定食です」

 目の前に置かれた料理は少し意外なものだった。
 大きなおにぎりが2つ、豆腐とわかめのお味噌汁。大きな卵焼き。それから沢庵。
 でも、おなかがグウッと鳴った。胃がきゅうっと動く。

「おにぎりの具は昆布とシャケです」

 花さんが言い終わるよりも先におにぎりを掴んで頬張っていた。ほんのり効いた塩。一口ですぐに大きなシャケの切り身が顔を出した。手で持っても崩れない。でも口の中で米粒がホロホロとほどけていく。ひと口めが喉を通る前にもうひと口。おにぎりにかぶりつく。温かい米でしっとりとした海苔が少しだけ歯に抵抗する。少しだけ力を込めて噛む。海苔の香りと、米粒と塩の甘さ。おいしい。おにぎりを左手に持ち、右手で箸を取って卵焼きを頬張る。

「卵焼き……出汁巻だあ……」
「お好きですか?」
「うん……。悟が甘い卵焼きが好きだからずっと食べてなかったの……おいしい……」
「そうですか、よかったです」

 そう言うと、花さんはティッシュで私の頬を拭った。泣いていた。それも盛大に。

「えっ、あっ……ごめんなさい。人に作ってもらったごはん食べるのなんて久しぶりで」
「そうですか」
「人が握ってくれたおにぎりって、おいしいんですね。いや、コンビニのもおいしいけど、なんていうか」
「おにぎり、なんだか元気が出ますよね」
「……ん」
「加奈子さんは、ご主人に元気をあげてるばかりで、ちょっと疲れていたんですよね。毎日、お疲れ様です」

 ニコニコという彼女に、涙で視界が歪んだ。

「今日は休んで大丈夫ですよ」

 彼女の言葉に私は、年甲斐もなく、声をあげて泣いた。
 数年ぶりに。

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