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ボランティアの対価はじぶん次第

ちょうど30年前のたぶん9月、フィリピンのパラワン島の市場でのショット。

学生時代、長期の休みになると西成にボランティアに泊まりで行っていた。お世話になっていたカトリックの団体が行うフィリピンでのプロジェクトに、旅費出すからボランティアしに行かへん?って聞かれて、あー、行く行く!って行ったのが、1番最初のフィリピン。

たいして英語が話せるわけでもないが、パラワン島で施設を作るメンバーの食事や言葉のサポーターという名目で行き、フィリピンのラテン系の明るさとアジア特有の熱気に心をぶち抜かれ、そしてマニラを歩いている時に、その辺りの角から幼馴染が出でくるようなデジャヴ感が強烈で、前世はフィリピン人かも、が突如頭に浮かんだ。

結局、そのご縁から始まって私はフィリピンと長〜いお付き合いで今に至る。

私は頑固で、自分の目で見て感じたことを信じる。誰が言っていようと、どれだけ多くの人が賞賛しても疑う。
自分の心で、腑に落ちないと納得しない。まぁまぁめんどくさい奴。

でも、あの日あの時、即答で行く行く!って即答した自分が好きだ。お陰で今の私が存在する。バブル末期の大学4年生で、就職活動もしないで国内外でボランティアをしていたのは、楽しかったから。事実は小説より奇なり。いろんな場所で出会う人々は自分と全く違う価値観だったり、全く違う環境なのに同じところがいっぱいあったりして、相手を認めて、そして自分も認めてもらう関係が私にはこの上なく心地よかった。普段の生活で密接に絡みとられてくるような利害関係がボランティアの現場では存在しない。10代の頃、私は地元で実家で暮らす時に感じた同調圧力的な雰囲気が苦しかった。だから、そこから羽ばたき一人暮らしをして自由を得てから、より一層自由な場所を求めていた時期だった。

クリスチャンファミリーで育ったため、奉仕をするということは普通だった。クリスマスになればどこかの国の恵まれない環境の人を思い献金すること、ウォーカソンといって自分が1キロ歩くごとに100円を払ってくれるスポンサーを募ってみんなで歩いてその集まった金額をネパールの井戸掘りのために献金とかが日常茶飯事だった家庭に育った。こうやって文字にすると、うちの両親は世界平和に向けて英才教育を行っていたんだなと思う。

じゃあ、ボランティアと仕事の違いはなんだろうと考えてみた。有償無償が大きな違いだけど、果たして無償だろうか、と考えたら答えは否。お金は貰わないがそこで得られる対価は無限大。そしてその対価は自分次第。

最初のフィリピンへの旅が仕事だったら、どうだったのだろう。たらればで考えてみると、きっと私はその2週間でやらなきゃいけないこと、支払われる対価に対しての責任で段取りや会う人、用意するものに心を持っていかれていたのではないだろうか。ボランティアで行った私にはざっくりした枠だけが用意されていたので、現地のお世話してくれる人と買い物に行ったり(写真はその時のもの)他のボランティアで来ている人の通訳もどきをしたりしながら自由に誰かとおしゃべりもできたし、フィリピン料理を教えてもらったりした。夜な夜な酒盛りもした。その経験は21歳の私にとって文字通り一生を変えるものとなった。

就職活動に有利だからとボランティアする学生がいると聞いた時、私は衝撃を受けた。へー?そんなこと考えるんだ、そして企業はそんなことを評価に加えるんだと。でも、それも対価の一つとして考えたらアリだ。そのボランティアで使った労力が価値あるものかどうかと、する側も評価する側も問われる新しい価値観比べの世界だと思う。

お仕事をするときはがっつり対価をいただき、その責任を果たし、そしていただく対価以上のものを提供できるよう日々努める。そしてボランティアをする時は惜しみなく私のできることを、できる範囲で行う。そうすると、まるで吐き出すだけ息を吐き出した後の身体に酸素が流れ込むように新鮮なエネルギーが自分の中に入ってくる。その対価はプライスレス。

もし、あなたが何かお金にならないけどやろうかな、どうしようかなと迷うことがあれば、ぜひぜひ深刻に考えすぎずにやってほしいと思う。経験に勝るギフトはありません。

世界平和は可能と信じてます💖