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大沢一公の「将棋雑記」9月24日分

(マガジン『勝手に大沢一公』)
 
 将棋ブログの大家、大沢一公のブログエントリーを、ときおり転載している。彼からは、「別に構わない」と許可をもらっているし、おもしろいエントリーが次々と出てくる。
 まぁこちらも多少の意地があるので、そうポンポンと転載はしたくないが、やはりおもしろいものを読むと誘惑にかられる。また、彼の文章のファンでもあるので、紹介したい思いもある。
 
 彼の真骨頂は、文章のリズムだ。元々意識しないでリズムよく書けるウデを持っているところに持ってきて、それを強く意識してもいる。だから、読んでいて引っかかるところがない。
 リズムのいい文章がウリなので、将棋以外のものだって構わないということになる。データとか知識とかではないのだから。
 当然だが、ブログのファンの中には、将棋以外のことを書いてという者もけっこういる。ぼくもまた、そのひとりだ。将棋はもう何割か減らしてもらって、他のものを広く書いてもらいたい。
 
 9月24日も、将棋のエントリーではない。その前日に開業した西九州新幹線に関するものだ。鉄道ネタも、また彼の持ち味が存分に出るところ。
 以下に掲載する。

西九州新幹線の光と影
 
 佐賀県の武雄温泉駅と長崎駅を結ぶ「西九州新幹線」が9月23日に開業した。1973年に整備計画が決定してからほぼ半世紀、待望の開業である。
 
 今回の新幹線の大きな特色は、上記の通り、大都市を起点としない。博多~武雄温泉は新幹線で繋がっておらず、今回の開業部分は根なし草となっている。その全長は66キロで、日本一短い新幹線路線である。
 
 だが沸いているのは長崎県だけで、佐賀県は苦々しく思っている。新幹線が通っても地元の恩恵はほとんどなく、逆に在来線の特急が廃止になるなどのデメリットのほうが大きい。特急の走らない町は、不思議とサビれていくのだ。
 
 そんなわけだから、博多―武雄温泉の新幹線着工にも、佐賀県が首をタテに振らない。ルートさえ決まっていない。
 
 西九州新幹線に話を戻せば、私もあまり魅力を感じない。今回の開業にあたり、JRや長崎県は「博多―長崎間が従来の在来線特急より30分早くなった」と胸を張った。
 
 しかし武雄温泉での乗り換えを余儀なくされるので、これを面倒と捉える人には難儀だろう。
 
 それに私は旧長崎駅舎が好きだったので、よけい新幹線仕様の長崎駅を苦々しく思うのである。
 
 博多―武雄温泉間は特急リレー号を使い、博多―長崎間が5,520円。オール在来線よりやや割高になったが、まあ許容範囲だろう。新幹線の約6割が山の中、すなわち直線で貫かれているので、営業距離が短くなり、意外に安く済むのだ。
 
 ただ博多―長崎間なら、私は迷わず高速バスを使う。2,900円と割安だし、バス本数も多い。席が必ず確保されるうえ、乗り換えの必要もない。唯一のネックは時間がかかることだが、車窓を愉しむからよい。
 
 そもそも列車の魅力は、クルマが通らない秘境にレールを敷いて、鉄道ならではの景色を堪能できることにある。紀行作家の宮脇俊三は、「各駅停車は長時間列車に乗れるうえ、料金も安い」とさえ書いている。
 
 その伝でいくと、山の中ばかりを高速で走る西九州新幹線に魅力はない、ということになる。
 
 西九州新幹線の評価は、今後の乗車率にかかっている。

 本当に、中途半端なところに作ったなぁという感想は、誰もが持つものだろう。九州新幹線と繋がっていないのだ。これまでは必要なかった「乗り換え」を要することになってしまった。
 とりあえず造れるところを造っておこう、という感じを受ける。
 
 また大沢さんのブログで書かれているように、長崎駅が変わってしまうのもイヤだ。地元の人の利便性も、当然考えなければいけない。それはそうだが、なにしろ遠方から訪れる人の多い地だ。そこは旅情ということも考慮してほしい。
 玄関が都心のそれとまったく同じ、ということでは、旅の高揚感が沸かない。
 
 また、こういうときには、それまでのものがサラリと変えられたり、なくなされたりする。その一つが「肥前山口」駅だ。
 この駅名はブルートレインやエル特急がばんばん走っていた頃の鉄道ファンには、なじみのあるものだった。
 長崎方面へのそれら優等列車は、多くが、途中で切り離されて「長崎」行きと「佐世保」行きになる。その分岐駅が、肥前山口だったのだ。
 東京に住んでいるぼくからは、地味な魅力を放つ駅だった。東京を出た寝台特急「さくら」が、毎日そこで切り離し作業をしているのだ。どうしたって、思いは馳せる。マンガの一コマなら、上向き加減に目をつぶり、ぽわぽわと吹き出しが出ている感じだ。
 
 それが、この新幹線開業にあたって、駅名変更となってしまった。
 9月23日から、江北(こうほく)駅だ。
 
 まぁ駅が江北町にあるので、変更はシンプルになって、いいことなのだろう。でもぼくは、子どもの頃に頭の中に何度も浮かんだ駅が、名称を変えてしまうのがさびしく思える。
 
 その肥前山口駅を通ったときに撮ったのが、上記の写真だ。
 特急の分岐駅はそれなりに賑わっていると勝手に想像していたぼくは、びっくりしてしまった。駅前ロータリーなどなく、田んぼに包まれている。撮影したときの子供の頃の気持ちを、実は今でも覚えている。「ここ、本当に肥前山口駅なの? となり駅じゃないの?」と。
 
 新幹線のルートに入る駅、名称変更こそしないものの、多くが、単一の色となってしまうことだろう。アジや特色は大会社など眼中に入れないだろうから仕方のないことではあるが、もったいないなぁと個人的に強く思う。遺産なのに、と。
 
 大沢さんの、このエントリーに付く「光と影」という言葉が、全体像をうまく表している。
 
 

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。