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ご無沙汰しています

ずいぶんnoteを書いていませんでしたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。ぼくはいろいろと裏方に徹して静かに作品を書いています。最近はなんだか、こうした水面下での作業が楽しくて、自分は本来ここにいるべきではないかなどと考えるようにもなってきました。

今年は大きな舞台作品はつくれず無念もありましたが、いくつかの小規模な作品創作を経て、来年以降自分がなにをしていくべきかが少しずつ見えてきたように思います。Youtubeで公開した「バナナの花」は来年舞台化して発表します。コロナの状況下と合わせて作品をアップデートさせていく、というのが「バナナの花」のコンセプトのひとつでした。公開された4つの話は、後半になるにつれ劇場に近づいていく、という仕掛けをしていました。最初の1話は完全リモートで俳優の家で創作し、2話目はグリーンバックを使ってスタジオで撮影、3話目は実際のラブホテル、4話目はSTスポットという横浜の劇場で撮影しました。社会情勢とシンクロさせてオンラインから劇場にむかっていく、というのをコンセプトにしていたわけです。実社会と劇世界の時間についての舞台「その夜と友達」の発展系のようにぼくの中では位置付けています。(そういえばその夜の冒頭のセリフにドナルド・トランプという固有名詞を入れといてよかったな、と2020年12月現在思います。あのセリフが彼が大統領を退くことによってきちんと過去になるわけですから)。そんな時間についての演劇「バナナの花」は来年実際の劇場で演劇公演として行われます、、、。できることを祈っていますが、できなくてもなにかしらやる、という図太さみたいなものは持っています。図太さが取り柄です。

他にも八王子学生演劇祭という演劇祭の一環でWSを行いました。そのWSのために能楽の卒塔婆小町、三島の卒塔婆小町に目配せしながらぼくオリジナルな解釈による「卒塔婆BBA小町」という短い戯曲を書きました。みすぼらしい存在に対して社会が徹底して排除する現代のありようをすこしだけアイロニカルに書きました。(東京オリンピックにむけてホームレスを街から排除している現代社会は、病的なほど潔癖だとぼくは思っています。)古典を読むとき、どうしても現代に置き換えて考えてしまう作業はとても楽しいです。なんかこんな風に、あらゆる古典戯曲(能楽でも狂言でも歌舞伎でも)を現代にリメイクしてみる作業、趣味としてやっていきたいぐらいです。

他にも、俳優の李そじんさんの企画「三人姉妹の女たち」にテキストを提供しました。アントンチェーホフの「三人姉妹」から読み解く「悩み」のあり方を見つめました。設定を日本に置き換えている時点で原作とは異なりますが、チェーホフの書きたかっただろう根幹の部分を「悩み」とぼくは捉えて複雑な人間性を意識しました。俳優さんたちの声と間と解釈が素敵です。ぜひ聞いてください。

2月末にやる気満々に日本に帰ってきて、コロナで肩透かしをくらって、腐ったりした瞬間もあったように思います。けれどもなんだか、またいちからはじめようみたいな気分になっていることも確かで、そういったことを考える時間はたっぷりありました。ひとつの結論として「ぼくはぼくも含めた"人間"になにも期待しないこと。でも人間を愛すること」という生きる上での処方箋みたいなものを持っていようと思いました。こういう指針めいたものが自分の中にないと引き締まらないというか、ついつい見失ってしまいがちなのです。

2020年もまもなく終わります。みなさんご自愛くださいませ。来年もみなさんに楽しいことがいっぱいありますよう。

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