情報や技法、体験を言語化/デジタル化/知性化することについて

どうも。


最近考えていることを書きます。

タイトルのとおり、“情報や体験を言語化/デジタル化/知性化することについて”です。

このタイトルではなんのこっちゃ分からないし読む気も起きないと思うのですが、何だかんだで音楽にも関係する話なので良かったらちらっと読んでみてほしいです。


きっかけ

そもそもこういうことを考えるきっかけは何なのかと言うと、最近読んでいる本、“プレイセラピーへの手びき  関係の綾をどう読みとるか (田中千穂子. 2013. こころの科学叢書)” がきっかけとなります。

こちらの本まだまだ初めの方しか読んでいないのですが、ひとつの大きな大前提のもとに話が進みます。それは、体験を言語化して伝えることでそれは本来のものではなくなっていくというものです。

我々は何かを伝えたり説明する時に主に言語を用います。そしてその行為によって定義し、知性化することが出来ます。

しかし、人間のコミュニケーションや、人間が受け取る情報は言語によるものだけでは無いのです。それは表情だったりジェスチャーだったり声色だったり、もしくは空気だとか何かよく言い表せない雰囲気だとかそういったものでしょうか。

この本ではプレイセラピーの非言語である部分(子どもは言語での説明が十分ではないが、遊びによってコミュニケーションが可能であるという見方をします)を強調し、感情や雰囲気といったものを言語化したり、技法をチェックリスト化したりすることによってむしろ情報の詳細は失われ、元のそれより正確ではなくなるということを度々述べています。これはアナログ→デジタルの過程そのものです。

つまり、タイトルの“言語化/デジタル化/知性化”というのはニュアンスは微妙に違えど、全て同じことを指しているのです。

【追記:もちろん著者は言語化を否定しているわけではないです。言語化しなければプレイセラピーの本も書けないので。この本では、本来のものではないにせよ、何とか当てはまるような言葉を当てはめていくという作業には意味はあると述べられています。この言語化に対する批判(?)はどちらかというと、認知行動療法などのトレンドにより、心理学が理論化に傾倒しすぎることに対する危惧であると僕は捉えました。】


音楽におけるアナログとデジタル

話が少し変わります。機材の話ではありません。

この前ライブを観に行った時に、REEVESのVo./Gt.のダイキさんとお話をさせていただきました。

ダイキさんはニューメタル最盛期をリアルタイムで体感していた世代で、その頃の体験をいわばアナログに覚えているわけです。それに対して僕はその頃の空気感は話には聞くけれど、実際には体験出来ておらずデジタルな情報しか得られていないわけです。ダイキさんとお話をしているとその差をひしひしと感じる部分がありました。

また、その話から派生し、Kornのアルバムの話になったのですが、「1st、2ndの何が魅力的かというと、ジャムって作っているのが伝わるところだよね。(スタジオアルバムっぽいのも好きだけど)」と話されたことがめちゃくちゃ腑に落ちたと同時に、「これ(ジャムによって発生する雰囲気)もアナログの力だな」と思ったのです(音源にする時にデジタル化されるだろという話は置いておいて)。

大鷹はこう思いました

最初のプレイセラピーの本を読んでかなり反省した部分がありました。曲がりなりにも子どもと関わることのある職業をしているのに、言語というものの便利さに胡座をかいて全てそれらで理論的に解決したり、小手先の技法で解決しようとしていたなと…。

まぁ非言語の雰囲気とかを感じ取るアナログの力って経験によって培われるし、まだまだ臨床経験の浅いペーペーなんでこういう状態に陥るのもまぁあるあるではあるんですけど…。そういう自分に意識的であり続ける必要はあるなって…。

僕の反省は置いておいて、音楽におけるアナログの理解力も肌で感じる経験によって培われると思っていて。

CDで聴いてイマイチだった曲がライブで観たらめちゃくちゃ良くてそれ以降なんか聴こえ方違うみたいなやつありませんか?僕はあります。

アレもアナログの体験による変化だと思っています。何が良かったのかうまく言葉にできないことが多いし。

僕自身このアナログな感覚を大事にしたいと思っていて、やはり家で音源を聴いたり演奏の練習したりといった体験で得られるものをを超えたものが、多くの人が集まった場においては発生すると思っています。

そういうアナログを自分の中に溜めている人は立ち居振る舞いにブレがないし、不思議なことに言葉にまで説得力がもたらされるように感じます。

デジタルに溢れた世の中でアナログが生き残ることには理由があるなと思います。


デジタルが悪というわけではない

アナログの体験はデジタルより情報量が多いのは言うまでもないですが、やはり手軽さという点ではデジタルが強いです。

どんなコンテンツ、分野においてもビギナーはいるわけで、そういった人達にとって言語を含めたデジタル化/知性化された情報はすごくとっつきやすくありがたいものだと思います。

僕自身そういった情報に助けられたことが多々あるため、デジタルを否定することは出来ない立場です。

デジタルもきっとこれからも残り続けるものだと思います。


おわり

先述の通り、どっちが良い悪いという話では無いと思います。デジタルな情報だけで全て知った気になっていては鼻で笑われてしまいますし、アナログな情報だけで何かを極めようとすることは、効率がかなり限定されてしまい現代においてはかなり難しいのかなと。

結論、デジタルとアナログはそれぞれ長所短所があり、それらを意識しながら情報を取り入れる過程をデザインすることが音楽に限らず色々な分野で活きてくるのではないかと最近は考えています。

またしても話がとっちらかって読みづらい文章を書いてしまいました。

失敬!ドヒューン。

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