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制作日誌②

人にも当てはまる話なのか、実際のところ分からないことではあるが制作期間は不思議な感情を抱く。
特にバンドの頃はひどかった。
活動自体は色々あったが楽しくできていたので、それ自体が嫌だったわけでは勿論ないが、何かを作るときにネガティヴとは言い切れない負荷がかかっていることを感じていた。
この負荷というのは、自分の作った曲が誰かに何かを感じてもらえるかもしれない楽しみや良いものが作れた喜びと、それが何にもならないかもしれない悲しみや焦りのバランスが拮抗するようなジリジリした感覚だ。
自分にとってエポックメイキングな曲だからといって万人に響くわけでは当然ないが、勝手に期待して勝手に落ち込むようなことをよくやった。
このサイクルに使うエネルギーの消費が多いので、作る前から思い出しジリジリが発生するようになっていた。

アルバムの制作期間は長かった。
Suhmの制作進行は緩やかなので、かつてのジリジリはあまりない。
ジリジリがないからといって、良いものが生まれないわけでもないと分かっていたが、恐怖心なのか、制作に手をつけられないでいた。
すると今度はジリジリがあったスペースに何もないことに対して激しい虚無感を感じ始めた。
どうやら僕の場合、ハートは常に満杯になっていないといけないらしく、あろうことか僕はできた穴を虚無で埋め尽くしてしまったらしい。
ジリジリには若さがあった。
何者かになろうと思っていたのか、そういう欲の残り香があったように思う。
ただ、今度の住人からは死の臭いがしていた。
子供の頃に感じた何者にでもなれる、ならなくちゃ感は、この死の臭いによって掻き消されて忘れさせられるのかもしれない。
虚無を自覚してから、それは物凄いスピードで膨れあがり、満杯になった僕のハートは軋んでひび割れ、このままでは決壊して大切なものが消えてしまうような気がした。
僕は焦って、何か吐き出さないと不味いと感じた。
鬱ツイート、鬱ストーリー、鬱ブログ、迷惑行為ばかりが頭をよぎってソワソワしている間にもブチブチとハートを繋ぐ繊維は切れていった。
そして、僕はアルバムの曲を書くことにした。

つづく

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