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これからやりたいこと


いくつになってもできないことの方が多い。

『29』は、基本的に全てを自分でなんとかしたかった。作詞作曲編曲はもちろん、歌唱や演奏、加えてミックスとマスタリングも修行して、今回のクオリティくらいのことまではできるようになった。しかし、どうしてもうまくいかなかったことがジャケットだった。子どもの頃は絵画教室に通っていたし何かの賞状ももらったことがある。イギリスの高校で少しだけ美術も勉強したし、美術館に行ったりデザインの本を読んだりするのが僕は好きだ。それにも関わらず、ちっともできなかった。頭に浮かんでくるものはあったが、うまく配置できない。感覚でできるものだと思っていたことが実は鍛錬によって得られるスキルだったのだと己の無知を恥じた。10代であれば勢いよく感覚に身を任せていたが、僕は裏付けされた精密さのようなものを無意識に求めていたのかもしれないし、あるいは困窮によってフォトショ等に月額を納める気がしなかったのかもしれないし、曲が完成して気持ちが一段落してしまっていたのかもしれない。とにかく上手くいかなかった。そこでバンド時代からお世話になっている先輩に連絡をしてジャケットの制作を依頼した。先輩は快く引き受けてくれた。素材撮りの際に東京の原点を尋ねられ、初めて東京でライブをやった新宿と答えたので、新宿で撮影をすることになった。その際に生きていることをアウトプットしろとアドバイスをもらい、文章を書くことにした。

そわそわしながら時間は経ち、完成したジャケットを見て、うわ、かっこいい、プロってすごいな、と語彙力をシュレッダーにかけたような感想を抱き、己の知性の無さを事務処理仕事により忙殺ならぬ忘殺することにした。そしてついに『29』はリリースされた。出してみて喜んでくれる人もいたので改めて出してよかったと思うし、聴いてくれた方々にはとても感謝している。個人的なものを作ったため、発表することで初めて客観性が加わり、自分の一人部屋に誰かを招いたような感覚になった。誰かを招いたのであれば入り口は開いており、それならもっと多くの人に来て欲しいものだと今は考えているので、『29』を広げるために尽力しようと様々な術を模索しているが、ライブしかないのではないかと感じ始め、いただいていたライブのオファーに対して了承の返事を二件した。条件が合えばライブ活動を再開する。もし決まったら、遊びにいらしてくださいな。心が決まれば行動するのは早いタイプなのか、僕はライブのための機材について考え始めた。盛大に滑ったであろう先日のnoteに少し書いたが、こっちのnoteの売り上げで新たな機材を購入できた。ライブの再開できたのは間違いなく皆様のおかげだと思う。ちなみに買ったのは下のやつ。逆さまに持ってるけど。音ではなく映像が出力されるのだが、ハマればこいつは大活躍することになる。あくまでハマればだが。

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①制作の前にやったこと②歌詞について③This is me④Imaginary friend⑤Raise your arms⑥Reply⑦

僕はよく物を忘れるので『29』を作ったとき、どんなことを考えて制作に取り組んだのか、気ままに残しておこうと思いましたが、知ってもらいたいよ…

貯金はせず、音源やグッズの制作などにあてたいと思います。 よろしくお願いします。