族長伝承の共有:疑似的な「血縁」意識(どのようにして聖書は書かれたのか #09)

今回は、紀元前1400年頃から1200年頃までの話をします。

この時代にパレスチナの山地や丘陵地に登場した集団「原イスラエル」について、前回お話ししましたね。彼らはさまざまな出自を持つ部族たちから構成されていたのでしたね。彼らはいったいどのようにして「自分たちは同じ民族だ」という意識を持つようになったのでしょうか。鍵となるのは「伝承」と「信仰」の共有です。

まずは「伝承」の共有について、お話ししましょう。旧約聖書の『創世記』を読んでみますと、そこにはイスラエル民族の父祖と見なされているアブラハム・イサク・ヤコブという直系三代の族長たちにまつわる物語が記されています。この族長物語、実は初めから一つの物語として語られていたわけではありませんでした。

「原イスラエル」に加わった各部族には、それぞれ自分たちの「起源」について先祖代々受け継がれてきた伝承がありました。たとえば、ある部族は「アブラハム」を父祖とする伝承を、またある部族は「イサク」を父祖とする伝承、別の部族は「ヤコブ」を父祖とする伝承を持っていました。これらの伝承は、本来は別々の集団で語り継がれてきた物語でした。しかし、部族間の関係が深まり「原イスラエル」が形成されていくにつれて、これらの伝承も組み合わさっていきます。すなわち、アブラハムの子がイサク、イサクの子がヤコブというふうに父子関係でつながった伝承とすることで、「みんなもとをたどれば一つの民族だ」ということにしたのです。

アブラハムやイサクについての伝承は、主にパレスチナ南部を舞台としています(ヘブロンやベエルシェバなどユダ山地周辺)。これに対して、ヤコブについての伝承ではパレスチナ北部の聖所が多く言及されています(シケムやベテルなどのサマリア山地やヨルダン川東岸)。ここから分かるのは、アブラハム・イサク伝承は南部部族に、ヤコブ伝承は北部部族に伝わっていた物語だということです。

さて、以下、族長伝承を少し詳しくみてみましょう。まずヤコブにはイスラエルという別名があり、これがイスラエル民族という名の由来だ、という伝承があります。ここから推測するに、最も初期の「原イスラエル」、つまり自分たちを「イスラエル」と自称しはじめた集団の中心は、ヤコブを父祖と仰ぐ北部部族だったのでしょう。

やがて北部部族に代わってユダ族を中心とする南部部族が主導的な役割を担うようになっていきます。(じっさい「ユダヤ人」という名前もユダ族に由来します。)これに伴って、南部部族が自分たちの父祖と信じているアブラハムやイサクについての伝承が、元々のヤコブ伝承に追加されたのでしょう。ちなみに、アブラハムとイサクの伝承には内容が重複しているものがいくつかあります。これは、それぞれの伝承を受け継いでいた集団の間に、何らかの交流があったが故のことでしょう。つまり、本来は同じ話であったものが、ある集団ではアブラハムを主人公として、別の集団ではイサクを主人公として語り継がれていたわけです。

さて、伝承によりますと、ヤコブには息子が12人いて、彼らの末裔がイスラエル民族を構成する12部族となったのだそうです。たとえば長男のルベンの子孫はルベン部族、次男のシメオンの子孫はシメオン部族というふうに、息子たちの名前がそのまま部族の名になったというわけです。「血のつながった兄弟の末裔がイスラエル民族だ」というこの伝承は、「自分たちは部族は違えど、みんな血がつながった一つの民族だ」という意識(=民族アイデンティティ)を強調するものといえましょう。部族間の連合が強まり「原イスラエル」が形成されていくなかで、意識的に作り出された伝承と考えられます。

ですから、部族の名前がヤコブの息子たちの名に由来しているのではなく、反対に、部族の名前からヤコブの息子たちの名前が考え出されたのです。12部族の中には、明らかにその部族が住んでいた地域に由来する名前があります。たとえばエフライム族やユダ族、ナフタリ族は、もとは同名の山地を指す名前でしたし、ベニヤミン族は「南の人」という意味です。つまり、はじめは地縁でつながっていた部族たちが、部族連合を組むにあたって「擬似的な」血縁関係を設定した、といえましょう。例えていいますと、青森県民と秋田県民と岩手県民が連合を組むにあたって「自分たちはアオモリ・アキタ・イワテという3兄弟の末裔なのだ」という伝承が生まれた、みたいなものです。

12人の息子たちの母親は4人もいます。ヤコブの正妻が2人に、それぞれの妻の召使が2人です。面白いことに、北部部族の中心エフライム部族や、南部部族の中心ユダ部族とベニヤミン部族、さらに祭司階級であるレビ部族は、みな正妻の子の末裔とされています。とすると「どの母から生まれたか」とか「どの順番で生まれたか」というのも、何らかの歴史的事実を反映しているのかもしれません。

もしそうだとすると、正妻の子、しかも長男と次男であるルベンとシメオンの存在が気になります。伝承では、彼らの末裔はルベン部族とシメオン部族ということになっていますが、この2部族は後の歴史ではたいへん影が薄く、その活躍はほとんど知られていません。ということは、歴史に残っていないほど古い時代に、彼らは何らかの主導的な役割を果たしていた、のかもしれません。これ以外にも、たとえば、同じ母親から生まれたとされている部族同士には何らかの交流があったのではないか、などなど色々な説がありますが、伝承を深読みしすぎている気もします。12人の息子たちの関係は、伝承が語り継がれる中で付け足された創作にすぎないのかもしれません。

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