旧約聖書の歴史はどこまで「真実」なの?(どのようにして聖書は書かれたのか #06)

今回は、紀元前1400年頃から1200年頃までの話をします。

前回取り上げたメルエンプタハ碑文(紀元前1207年頃)。そこに刻まれた集団「イスラエル」とはいったいどこからやって来た、どんな人たちでだったのでしょうか。

旧約聖書、その中でも特に『創世記』『出エジプト記』『ヨシュア記』『士師記』にはイスラエル民族がどのような経緯でパレスチナへとやって来たかについての興味深い物語が記されています。しかし、これらの物語は歴史的事実ではありません。考古学や歴史学によって数多くの反証が挙げられています。

そもそも旧約聖書に記された物語のもとになっているのは、イスラエル民族が「自分たちの祖先が体験した物語」として長い間、口伝えに語り継いできた伝承です。これらの伝承が文字として記録されはじめたのは紀元前1000年頃になってのことですし、現在知られているテクストとしてまとめられたのは、それからさらに数百年もたった後のことです。口伝えで伝えられるたびに、また、文字に起こされるたびに、語り手・書き手たちのさまざまな思惑によって伝承は語り直され、付け足され、切り貼りされ、編集されてきました。それゆえ旧約聖書に記された物語は、名もなき無数の人々の想いや願望、世界観がふんだんに投影されたフィクションだといえます。

それでは、旧約聖書の歴史物語は荒唐無稽なほら話で、そこには歴史的事実は一切存在しないのかというと、実はそうとも言えない、というのが面白いところですというのも、「火のない所に煙は立たぬ」わけでして、ある伝承が生まれたその背景を探ってみると、何らかの歴史的事実が推察されるということは極めて多いのです。それに、何百年もの間にわたって伝承され続けた物語には、それほどまでに人々を惹きつけてきた理由があるのです。その理由を考えてみると、当時の人々が大切にしていた世界観やアイデンティティが浮かび上がってくることも多いのです。

もっとも、歴史の「真実」は本当は誰にも分かりません。しかし、旧約聖書に記された物語を客観的に検証し、考古学・歴史学上の発見とすり合わせることで、フィクションの背後にちらちら見える「真実らしきもの」を探ることができるのです。

ということで、まずはイスラエル民族の起源について、旧約聖書ではどのように書かれているか、ざっと見てみましょう。

メソポタミアのウル出身のアブラハムは、土地を持たずに牧草地を求めて移動生活を送る遊牧民の族長でしたが、ヤハウェという神の祝福を受け、自分の子孫がいずれ「大いなる民」となってパレスチナの地を所有するという「約束」を与えられました。その後、アブラハムはパレスチナに寄留します。アブラハムの後を継いだのは息子のイサク、さらにイサクを継いだのはその息子ヤコブです。このヤコブには12人の息子がおりまして、それぞれの末裔である12部族が後のイスラエル民族となった、というわけです。なお、イスラエルという民族の名前は、ヤコブのもう一つの名前がイスラエルであったことに由来する、と旧約聖書には書かれています。

さて、ヤコブとその家族たちは、飢饉にみまわれた際に難民としてパレスチナからエジプトへ移住します。彼らの子孫たちはやがて数を増し、一つの民族集団にまで成長するわけですが、当時のファラオによる圧政のもとで強制労働を課せられて苦しみます。やがて神ヤハウェは、モーセという指導者を遣わし、彼に率いられたイスラエル民族はエジプトを脱出します。さらにヤハウェは、シナイという山で、モーセおよびイスラエル民族全体と「契約」を結び、人々が守るべき「律法」を与えます。その後イスラエル民族は荒野を何十年も放浪した末にパレスチナに至ります。モーセは死に、その後継者ヨシュアに率いられたイスラエル民族は、パレスチナを侵略し、先住民族であったカナン人の多くを虐殺しました。そして、征服した土地を例の12部族のそれぞれに、くじ引きによって分配しました。このようにして、イスラエル民族がパレスチナに住むにいたった、と旧約聖書には記されています。

繰り返しになりますが、以上の物語は実際に起こったことの記録ではありません。もちろん、後のイスラエル民族にとってこの一連の歴史物語は、自分たちのアイデンティティの中核をなす、きわめて重要な「真実」ではあるのですが、信仰を持たない私たちとしては、物語の内容そのものを歴史的事実として認めるわけにはいきません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?