落第レベルの就職活動をなんとか終えた元女子大生のためにはならない話


だいぶ前に「エントリーシートがどうしても書けなかった」というタイトルでnoteを投稿した者だ。

ちなみに、くだんの記事はこちらである。
別に読まなくても本noteは読めるので、特段読む必要はないと思う。

久しぶりにnoteを開いてみると、くだんの記事に思いのほか「いいね」がついていて驚いた。こんな中身のない自虐に共感してくれたのか、なんなのか。そこらへんは「いいね」だけではよくわからないのだが、読んでくれた人が何人かいたらしい、ということで、そのnoteに対するアンサーでも書こうかという気が起きた。

結論として、なんとか就職活動を終えたのである。(めでたい)
わたしはいま某所の特段大きくもないが特段小さくもない企業で新入社員(2週間目)になっている。

エントリーシートを書いては破り捨て、デリートし、部屋から一歩も出ずに過ごした荒んだ去年の今頃を片時も忘れるときはない。

だからこそ、いまこうしてなんとか肩書きを得ていることにほっとしている。

あの頃は本気で「どこも受からなかったらフリーターになろう」と思っていたし、両親にもそう宣言してとんでもない勢いで怒られ、いよいよ大学卒業後無職まっしぐらだった。まさか自分に内定が出るとは、いまでも信じられない。

それぐらい、就活生としては落第点だったし、そもそも受かってやろうという気力もなかった。

わたしは本気でフリーターになるつもりだったし、就職活動も「やってみたけどやっぱりダメだった」という証明を両親にするために渋々重い腰を上げたに過ぎなかったのである。

とんでもない勢いで「高いお金を出して大学まで行かせた結果フリーターはやめてくれ」と至極真っ当な意見で怒られたわたしは、両親がそう嘆くのも「もっともだ」と思った。

わたしが進学したのは、とんでもなく家賃の高い都内の、かなり学費の高い私立文系大学だったからである。

小さな頃から理系にあまり強くなく、文章を読んだり書いたりするほうが好きだったし、そちらのほうが得意だという自覚もあった。

それでもテストで悪い点を取ればいやな思いはしたし、テストで悪い点を取りたくないという思いはあったので、苦手なりに勉強はそこそこしていたと思う。

それが完全に諦めモードへと突入したのは、地元でそこそこ賢い高校に進学してからだった。

わたしはお山の大将というほどでもないが、地元ではそれなりに勉強ができるほうであったと思うし、苦手な理系科目でもそこまで落ちこぼれというわけでもなかった。

それなりに勉強ができると自覚している、小賢しいやつだったのだ。本当にいやなやつである。

高校の数学で完全につまずき、わたしは割と早いうちから「数学がある限り国公立進学は無理だな」と悟っていた。
なにせ高校一年生の段階で数学教師に呼び出され「あなたの成績が悪すぎて進級させてあげられない。補習に来て欲しい」と言われたくらいである。

得意な現代文や古典といった科目は高校でもそれなりに鼻高々と掲げられる程度だったが、こと理系科目に関してはまったく目も当てられない惨状だったのである。

そんなこんなで、担任の勧めもあり高校二年生ぐらいからは「国公立が正義」という主義を掲げる地元ではあまりいない私立文系大学への進学を考えていた。

父親は学歴コンプレックスとモラハラの権化のような男なので、学歴がよければ私立文系でもよかったのだろう。
「〜〜以上なら行く意味がある」と勝手にボーダーラインを掲げ、わたしは唯唯諾諾と「じゃあそこ目指します」と答えたので、この件に関してはあっさりと承諾を得た。

この件に関しては本題ではないので、詳しくは話さないが、わたしは結局父親の定めたボーダーラインの大学に進学することは叶わなかったわけである。

しかし、わたしが受かった大学は滑り止め以外にここしかなかったため、父親はありとあらゆる手管で情報をかき集め、己を納得させるに至ったのだろう。とにかく現在ではわたしの母校となった、某都内にある私立大学への進学を認めた。

そんな学歴コンプレックス権化の父親の理想通りに人生を歩めなかった娘である。
当然、高いお金を払い本来は本意ではない大学に通わせながら一人暮らしを謳歌させてきた娘が「就職活動しんどいから就職しないで実家に帰ってフリーターをやりたい」などと言い出したら怒るのも無理はない。

いま思うと本当に追い詰められていたなと思う。

二度と戻りたくない過去、堂々の第一位である大学受験期に差し迫るほどの暗黒期だった。

結局、なぜいまの会社に内定を貰い、就職先を定め、結果としていまなんとか新社会人として新たに人生をスタートさせているのか。

長々と前置きしてしまったが、結論から言うと、本当にやる気のない就活をしていたのになぜか内定が出てしまった、からである。

なにを言っているのかと思うかもしれないが、本当にこのままなのだ。

わたしはもう諦めていた。

父親はギャースカギャースカ怒っているがそんなの知ったこっちゃないと思っていたし、就職先がなければ父親にもどうすることもできないのである。(本当は父親の会社にコネで就職させられそうになったが、本当に死んでも就職したくなかったので勝手に二次試験を辞退した。この時点で本当に最悪である。)

就職しろ、就職しろ、と親が騒いだところで、そこにない内定はないのである。

とりあえず、連日鬼のように電話やLINEが来ている状況がさらにストレス増加の一因となっていたので、尊大にも両親に「これから受けるところ全部で落ちたら就職活動をやめて卒業後は無職になる」と宣言し「それを認めてくれないのであればわたしは人生なんてどうでもいいので」と最低最悪にもいやな未来をほのめかせた。

そうして親に「わかった」と言わせたわたしは、とりあえず手当り次第に登録した就職エージェントから紹介された興味も関心もない企業(しかも業種も業界もてんでバラバラである)いくつかに、AI生成したのちに手直しをしたやる気も元気も気力もないエントリーシートをばらまいた。

就職エージェントというサービスは便利であるが、面倒くささとアタリ・ハズレが大きい。

マイナビ、リクナビ、ベネッセで提供している就職エージェントはわたし個人にはけっこうよかったので、もし参考になるならして欲しい。

とにかく聞いたことのない就職エージェントの利用は考えたほうがよいと思った。

四六時中電話がかかってくるし、なんの気づきも提案も得られず、身にもならない面談に時間を割かれるし、よくわからない怪しい(怪しくないかもしれないが)就活セミナーとやらに参加させられそうになるし、聞いたこともない企業や、なにをしているのかもよくわからない(本当に失礼で申し訳ない)企業を勧められる。

閑話休題。

ばらまいたエントリーシートは、運よく数社に通過した。

不自然な部分にちょっと手を入れるだけで、それなりに「っぽい」エントリーシートができあがったおかげであろう。時代はAIである。馬鹿と鋏は使いようというが、AIも例に漏れず使い方次第では非常に便利だ。やはり時代はAIである。

エントリーシートが通過すると、やれ一次面接だ一次試験だとかったるい展開が待っている。

わたしは本当にこれもストレスだった。

大前提として就職活動へのモチベーションもやるきもまっさらなゼロの上、興味も関心もない企業のために労力をかける気力はすでに残されていないのである。

片手間にサクッとできそうなもの以外はすべて蹴った。

中にはそこそこ名前は聞いたことがあるようなないようなレベルの某金融系企業なんてのもあったが、何回も電話がかかってくる上にいきなり課長面接に行かされそうになるし、なにより営業職が本当にいやだった。

ノルマとかあるんでしょ? 絶対むりむり。競争心とかないし。接客業のアルバイトしかやってこなかったけど、これを職にするのは絶対いや。と、就職活動を頑張ってもいないのに一丁前に希望はそれなりに多かった。わたしは固く決意をしていた。

企業紹介をお願いしていたエージェントには「接客と営業はいやです」と伝えた。

完全週休二日制がよい。年間休日は最低でも120日欲しい。と大学4年5月に就職活動をはじめたとは思えない尊大さで条件を絞った。そこそこ人間が暮らせれば給料の額面はそれなりでいい、と言ったが、まあ貰えるのなら貰いたい。一応基本給が高いところから応募した。

そうしてイヤイヤ期を乗り越え、わたしの手元に残ったのは、某IT系と某運輸系の2社だった。名前はまあ知ってる人は知ってるくらいのレベル感だろう。まあまあ悪くない。意外によい手札が残っている。まだエントリーシートが通っただけだけど。

そんな感じで、とりあえずスタートラインに立った。この時点で大学4年生の5月である。

いちばん最初に1次試験の結果が出たのは某IT系の企業だった。

オフレコでお願いしたいが、本当に某IT系企業に関してはミジンコほども興味がなかった。なんなら就職活動中にはじめて名前を聞いたくらい知らない企業だったし、業界研究もしなければSPIなんて一度も対策したことがなかった。

完全週休二日制と年間休日120日という項目だけを見て応募していた。とんでもない就活生である。

SPIはたぶん目も当てられない結果だったと思う。解いててもさっぱりわからなかったので、何問かはチャレンジし、お手上げの問題は選択肢をすべて「ウ」にして提出した記憶がある。

本当にとんでもないな、といまでも思う。

ただ、一応、相手方もこんなカス(わたし)のために時間を割いてくれるわけである。
「御社の業務にまったく興味がないです」のような失礼な態度を取ることはできないという良識と常識はわたしの中にも存在している。

それでも本当にミジンコほども興味がなかった。興味がないというより、考えもしなかった。

なにせ筋金入りの文系人間である。真面目に勉強していたにも関わらず高校一年生にして進級が危ぶまれる成績の人間である。自慢じゃないが、2進数も16進数もさっぱりわからないし、プログラムが書けるわけもなく、なんならWordもExcelもPowerPointもかなり怪しい。

けれど通ってしまったものは仕方ない。二次試験は面接だったので、ちょっと企業について調べるくらいはしておくか、と面接の日までに累計三時間くらいはリサーチした。一日三時間ではなく、累計三時間だ。しかもインターネットにある本当か嘘かもわからない就活サイトの口コミを見漁るだけのリサーチである。

あとはIT業界を志望した理由も絞り出した。

なにせ履歴書を見れば、IT業界を志望すること自体疑問なくらいかけ離れた生活を送ってきた自覚がある。絶対に突っ込まれるだろうなと思った。

面接で詰まって「あ、コイツ、テキトーに受けてんな」と思わせるのは本意ではない。テキトーに受けてはいるんだけれども。

なんという回答を用意したのかは忘れたが、まあ時代はAIなわけだし、インターネットが主力のこの時代だ。通り一辺倒な当たり障りない理由を考えた気がする。

相手方に「やる気のない学生だった」と思わせたくはないが、それとこれとは別として、まあ落ちるだろうな、と思って受けた。

時代が時代だったので、オンライン面接だったのだが、拍子抜けするくらい緊張感のない面接だった。あんなのもうほとんど雑談である。

大学でなに勉強してたの? へー!文章書いて本作ったことあるの? どれくらいの期間で本って作るの? とか、そんなようなことをいくつか聞かれて、あーそうだ面接で聞いてねって言われてることがいくつかあるから一応聞いとくね、と、形式通りの質問を投げられて、終わり。

なんだこれは! とビックリした。大丈夫なのか? この企業。

正直あれで受かるなら誰でも受かるぞ、という受け応えしかしていない。わたしは普通に面接官の社員さんふたりとお喋りしただけである。なんなら途中からわたしの敬語の使い方は怪しかった。

某IT系企業なのではあるが、ラフでカジュアルな雰囲気というわけでもなく、まあいろいろな事情があってちょっとお堅めの企業だったので、まあダメだろうなと思っていたのだが、なんとびっくり雑談二次面接が受かってしまう。

ここからわたしの無職計画は狂い始めた。

これ、もしかして内定出るんじゃ?

母親は涙を流して喜んでいた。父親は早くも某IT系企業をさまざまな人脈を駆使してリサーチしていた。本人よりやる気である。冗談じゃない。

ITだぜ? わたしが? そんなまさか!
未経験どころか数学も怪しいどころか壊滅レベルの人間に、2進数が理解できるわけがないだろう。

わたしは戦々恐々としながらも、最終面接まで進んでしまった某IT系企業の面接対策を始めた。
それでも直前三日間くらいに社長の名前と企業理念を詰め込み、IT業界の志望理由を丸暗記し、説明会で言ってたかもしれないけど言ってないかもしれないくらいの話をウンウン唸って思い出したくらいのレベルだ。就活生としては落第生どころかもはや退学確定である。

恐ろしいことに、まったくやる気のない就活生が、まったく興味も関心もない企業の最終面接に進んでしまったのである。

あんまり喋ると身バレしてしまうので伏せるが、5月から就活を始めたカスにはそこそこレベルの企業様である。ミジンコほども興味はなかったけれども。

そんなこんなで最終面接、これは二次面接ほどフランクな空気もなく、そこそこ緊張感のある面接だった。

社長とかぜんぜん喋らないし、話聞いてるのか聞いてないのかわからないし、役員の人はめっちゃ圧かけてくるし、ちょっと意地悪だし、なんで文系がIT来てんの?みたいな顔されてもわたしが知りたいし……

といったように、まあ手応えは正直1ミリもなかった。

なんならわたしはもう就職活動諦めモードだったということもあり、かなりぶっちゃけた回答も多かったと思う。(同じく就職活動をしてきた友人知人、現在の同期たちに話しても「よくそれで受かったね」と言われる)

「文系なのにうちを選んだ理由はなに?」と聞かれたときなんて「やったことのないことに取り組んでみるのもおもしろいかと思いました」と答えた記憶はめちゃくちゃにある。偉そうすぎる。

「プログラムの経験はあるの?」と聞かれたときなんて自信満々に「まったくありません」と答えた。社長と役員はちょっとびっくりしていた。
わたしもそんな就活生が来たらびっくりするよ。

「営業職に就こうとは思わなかったの?」と聞かれたときに口が滑って「(営業職だと)ノルマがあるとよく聞くので、ノルマを追って人と競い合うのが嫌だったので考えませんでした」と答えたときはさすがに手汗が噴き出した。「ヤバいな」とここにきて感じていた。遅かった。
これにはさすがにぶっちゃけ回答すぎたのか、質問してきた役員も「あ、ああ……そうなんですか……まあノルマはありますからね……」と引いていた。そらそうだろう。

「就職活動はいつ頃からはじめましたか」と聞かれて「今月です」と答えたときは苦笑いされた。「それは……なかなか……遅いですね」とコメントに困っていた。そらそうだろう。

最終面接あるある(らしい)逆質問とやらも、わたしはたいして対策して行かなかったので特に思いつかず、薄っぺらい質問ひとつかふたつを終えて最終面接は終わった。

帰り道、駅までのバスは出ていたが、乗らなかった。
駅までそれなりに長い距離を履き慣れないパンプスでとぼとぼと歩いた。歩きながら「終わったな、これ」と思っていた。どう考えてもこんな学生取りたくない。あけすけに物を喋りすぎである。嘘でもいいから「プログラムの勉強はしたことありませんが、いま独学で進めています!」くらい言えばよかった。

どこかのビルの敷地内の池で鯉が泳いでるのを見つけて写真を撮った。鯉が泳いでる、と母親にLINEを送った。最終面接の手応えがなさすぎて、報告しようにもすることがない。やらかしすぎていて、あまりにも虚無だった。

最終面接まで進んだのが、この時点ではそこの企業だけだった。絶望である。

いつだか出していたエントリーシートが通過したと、某メーカー系企業から連絡が来ていた。こちらはみんなが知っているような名前の企業だった。たまたま通っただけで、こちらは受かる気もしない。面接の連絡が来ていたが、もう頑張る気になれなかった。

もともとやる気なんてミジンコほどもない。
最終面接はすごく気疲れする。
もう無理かも。

ただでさえ存在していない就職活動へのモチベーションが再び完全になくなった。もうエントリーシートを出すのも諦めていた。

最終面接日だと知っていた親から急かされ、渋々手応えがないことを伝えた。それと同時に「ここに落ちたらもう就職活動をやめる」と宣言した。ダメなもんはダメなのだし、そこに内定がなければないのだ。諦めてもらおう。いつかは就職するし。30歳くらいまでにはなんとかするし。そんな気持ちだった。

ここまで読めば、まあオチはそれなりに予想がつくだろうと思う。

なんとびっくり、あのとんでも最終面接が通過したのである。

「おめでとうございます!!内定です!!」とテンション高々な電話が来たときは、びっくりしすぎて「はあ……そうなんですか」しか言えなかった。どこまでも最悪な就活生である。

あまりにもリアクションが薄かったのか、内定の電話をくれた総務の人から「え、あの……テンション、低くないですか?」と言われるくらいだった。慌てて「あ、いや、ちょっとビックリしてて」と取り繕ったが、地を這うような「はあ……」はもはや取り消せない。

面接のフィードバックというものが貰えた。「明るくて、素直な受け応えがよかった」と言われた。その話を聞きながら「誰のことだろうか、まさかわたしのことか?」と思っていた。そんな記憶はどこにもない。

この企業を紹介してくれたエージェントづてでも面接のフィードバックが来た。「明るくて素直な受け応え」はここでも言われた。本当にそれわたしのことなのか?

笑ってしまったのは「就活慣れした変にスレた学生さんじゃないところがよかった」というフィードバックである。

就活慣れもなにも就活していないのだから当たり前であった。逆に好印象に映っていたことのほうがビックリである。あの受け応えで好印象を与えるなんてことあるか? というのはいまだに不思議に思っている。


そんなこんなで、あれだけ大騒ぎして散々荒んでいた状況から一転、まさかの内定獲得(1社)である。わたしの無職ライフは当然立ち消えになった。

そして、再三書いているが就職活動へのやる気がないわたしが、さらなる高みを目指して就職活動などするわけもないのである。

なんなら最終面接で「うちから内定出したら来ますか?」と聞かれ「いま御社しか受けてないので、受かれば行きます」と言っていた。正直すぎである。

残っていた面接やエントリーシート通過の連絡はすべて蹴った。

まあ、もういいや。とりあえず嫌になったら辞めればいいのである。
そんな気持ちで入社を決めた。

……というわけで、現在お世話になっている弊社となった御社であるが、本当によくもまあこんな無能を採用したな、と思う日々だ。

まず「2進数も16進数もわからない」と同期に言ったとき「なんでここにしたの?」と本気で困惑された。そんなのわたしが聞きたい。なんでわたしを採用した?

高校生ぶりに猛勉強を強いられる毎日だが、とにかく居場所を得られたという意味ではほっとしている。
研修初日に大寝坊をぶちかまし遅刻したり、会社ですっ転んで備品を軽破損させ、食堂で箸をばらまくといったやらかしはすでに多数発生しているが。本当になんで採用した?

そんなこんなで、本当にやる気も気力も根気もない社会不適合スレスレのわたしでも、なんとか社会人になることができた。何年続くかはわかりません。

内定をもらったとき、大学受験のときにいくらか年上の友人に言われた「落ちても気にしないでいいんだよ。その大学とあなたは縁がなかっただけだから。不思議なもので、縁があるところには自然と結ばれるんだよ。そうやってもっと気楽に構えていようよ」という言葉を思い出した。

本当に縁というものは不思議なものだと思う。
まさかわたしがIT業界に就職するとは思ってもみなかった。きっと一年前のわたしどころか、高校生、中学生、小学生のわたしに話したとて信じることなどないだろう。

とにかく採用してもらった縁がある。

体を壊してまで働くだとか、自分の生活を犠牲にするだとか、「弊社に尽くして頑張ります!」なんて行き過ぎた義理人情のようなことは考えていないけれど、そこまで先の未来は新入社員二週間目のわたしにはまだまだわかることではない。

でも、できないなりに、わたしもここでできることはやってみようと思う。


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