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【はかせ日記】21/12/31名古屋へ。『北野誠ズバリ大晦日』で仕事納め。焼き肉打ち上げ。大晦日の雪の降る町で完全遭難。一年を振り返る。

博士の悪童日記 2021年12月31日(金曜)

6時起床。

日記を書く。

モーニング。
昨日の残り物だが、もうこの流れは完璧だ。

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 大晦日。

 今日は家族大移動。

 荷造りと点検。
 お正月の警備強化もお願いする。

 11時30分。高円寺発。

 東京駅は大混雑。 
 このところのコロナ禍の数年、
 ここまでの人混みは初めて見た。

 家族は東京駅地下の蕎麦屋の行列へ。
 ボクひとり、のぞみへ乗り込む。

 車内は比較的に空いていた。

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 移動満喫の予定であったが、
 ライブの後始末でメール交換頻繁に。
 大晦日の大切な時間をロス。

 名古屋到着。
 タクシーでCBCへ。

 15時30分より、
 北野誠ズバリサタデー生出演。

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なんと今日は、
誠さん朝7時から7時間の一人駅伝を敢行中。 

ゲストが入れ代わり立ち代わり、
ボクは最後の襷を受けた。

氏田朋子アナとは初対面。

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オトナ電話相談室は下ネタに特化していて、
年末オンリーゲストのドM嬢と、
ドS誠さんの凸と凹が噛み合った、
やりとりには驚いた。

◎太田光炎上問題。
◎張本勲ら、大御所炎上問題。

この話題に、現役「炎上師匠」として
コメントを入れる。
途中、誠さんから
「せやねん」節の引き出しにも成功。

しかし、ボクより前に北野誠さんこそ
日本を代表する炎上師匠だ。

かつて大阪で日本最大級の大火災で、
芸能史に残る焼け野原を作った男だ。

あれから、拠点を名古屋へ移すと、
ゼロからない仕事を立ち上げた。

自らのキャリアの戦後再復興を最短で成し遂げ、
尾張名古屋のCBCに城を構えるほどになった
立派なお殿様だ。

17時に終了。打ちあげ。
CBC近くの焼き肉屋さんへ。

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今日の7時間、一年の労をねぎらうが、
誠さんの気配り肉将軍ぶりが相変わらずで、
懐かしくあり微笑ましい。

誠さんとの昔話が花が咲く。
スタッフを交えて笑いがとぎれない。

この番組の月イチレギュラーに
加えていただき本当に良かった。

誠さんを見送り、
スタッフがタクシーを用意してくださるのを
丁重に断り、
キャリーバックを引きながら、
駅前のホテルまで歩いて帰ることに。

今年は最後までキープ・ウォーキングだ。

とにかく12月の名古屋の大通りの、
イルミネーションは見ものだ。

ツイキャスを開いて
実況しながら、
一問一答スタイルで歩くのだが、
途中から雪が降り出し、
大晦日の冬の清澄な空気に、
都会の煌きが小さな画面に閉じ込められ、
ロマンチックこの上ない。

テレビ塔は青い陽炎のようだ。

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時間経過と共に体温がどんどんと下がり、
目の前に八甲田山や、マッチ売りの少女や、
ルーベンスの絵などの幻影が見えてくる。

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携帯の充電が持たなく、結局、強制終了。
終了を告げる「イヤオー!」の雄叫びとともに、
夜空に色とりどりの花火が打ち上がる。

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忘れられない大晦日になった。

ここから家族が待つホテルに辿り着くまで……。
右往左往の道のり。

電源を借りるため、コンビニを廻り、
やっとタクシーに乗り合わせて、
「ニッコースタイル」と言うと、
そのまま『JALシティ』で降ろされてしまう。

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そこからホテル2箇所も間違え、
体に雪が降り積もりながら、
歩けども、歩けども、
完全遭難寸前で……。

そしてようやく辿り着いた。

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ママと娘の部屋へ。
途中で買ったハーゲンダッツのアイスを届け、
紅白歌合戦の藤井風を見て、
僕一人の部屋へ送られる。

素晴らしいインテリアの一室。

ひとり2021年を振り返る。
テレテレビジョンで順不同に書いたもの。

1 アサヤン旗揚げ➡ニコニコ動画 ザテレテレビジョン始まる。
2 3月、30年ぶりに地上波のレギュラーゼロに。
3 博士の異常な対談。YouTubeで復活
4 散歩部旗あげ➡脱腸に。
5 ツイキャス100日連続配信。
6 『藝人春秋Diary』出版。
7 藝人春秋2・3文庫化
8 ラジオのレギュラー次々と決定。
9 NEWS加藤シゲアキくんと8年ぶり再会。
10 noteデビュー。日記、原稿投稿。

もうすぐ10位。

11 末っ子中学入試合格。長男の大学合格。
12 デジタル庁創設し、YouTube奪還。多くの人の協力を得る。
13 雑誌、WEB連載次々と決まる。
14 高須SANとの仲が復活
15 TAPの若手と交流始まる。

などなど。

とにかく今年3月、MXテレビを切られ、
30年ぶりに
地上波のレギュラーゼロになったとき、
BOOKSTANDTVが月一本あるだけだった。

病み上がりで、
気力も体力もない。

まずは体力づくりのため、
利根川さんと散歩部を作り、
歩きはじめた。
ひたすら一年、あるき続けた。

そこから、noteにも新規に日記と記事を投入。
一日も欠かすことなく600投稿を続けた。

関口さんのもと、デジタル庁を創設。
YouTubeの権利を取り戻し、
町山智浩さんの対談と共に配信を開始。

『藝人春秋Diary』の推敲、書き直し、
文藝春秋で断られると、
出版社をひとつひとつまわり、
カットなしの大部のまま、
上梓にまで辿り着いた。

ライブも再開。
阿佐ヶ谷ロフトで「アサヤン」を思いつき、
週イチでテレビ番組を作るライブを実践。
キャスティング、台本作り、
請求書、領収書作りまで自前で、
全26本を作った。

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YouTubeの「博士の異常な対談」も復活。

気がつけばテレビを見る暇もないほど、
忙しい毎日になっていた。

ゼロからでも、はじめられる。
年寄りでも、はじめられる。

それを証明したい一年だったな。

何度目かのキッドリターン。

みなさんも良い年を!!

来年は60歳の年男です。

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